verse, prose, and translation
Delfini Workshop
RICHARD WRIGHTの俳句(8)
2007-06-12 / 俳句
旧暦4月27日、火曜日。
3時半に目が覚めてから、よく眠れず。6時間睡眠。やはり脳の調子が悪い。この頃、思うのであるが、「共感・共苦」というのは真っ赤な嘘である。苦というのは、個々人のさまざまな規定性によって千差万別で、「共感・共苦」などできるものではない。できるとすれば、己の苦悩の経験を基にした他者への想像のみである。経験の質が貧しければ、想像力もまたpoorである。根本的には、己は己唯一の人生しか生きることができないからである。「共感・共苦」はできない。ここから出発するしかないのではないだろうか。
◇
最近、ファジル・サイのベートーヴェンを聴いている。サイはまだ37歳。トルコ出身のピアニストで、作曲も行う才気煥発な人だが、ぼくの感じでは、現代の西欧の音楽家によく見られるような、作品を対象として冷静に分析検討して、演奏を組み立てるタイプとはまったく違う。そうかといって、逆に、恍惚的に作品に合一没入していくのとも違う。ある意味で、ピアニストと指揮者の違いはあるけれど、曲作りという点では、フルトヴェングラーの系譜にあるような気がする。
ベートーヴェンが、偉大なのは、誰しも認めるところと思うが、さまざまな苦悩に向き合ったからでも、苦悩から歓喜へと至ったからでもない、とぼくは思っている。ベートーヴェンは、苦悩の真っ只中で微笑んだ。これが偉大なのである。
◇
(Original Haiku)
O finicky cat,
Forgive me for this spring rain
That disgusts you so!
(Japanese version)
気難しがり屋の猫よ
この春雨を許してくれ!
そうむかつくなって
■猫は、水を嫌がりますね。それでも、きれい好きで、よく自分の体を舐めて、きれいな毛並みにしていたのを思い出した。猫は、雨のときは、テリトリーの中にいくつか隠れ家を持っていて、そこで、じっとしていましたね。主人が病気のときは、不思議にわかって、雨のときのようにじっとしていましたね。
3時半に目が覚めてから、よく眠れず。6時間睡眠。やはり脳の調子が悪い。この頃、思うのであるが、「共感・共苦」というのは真っ赤な嘘である。苦というのは、個々人のさまざまな規定性によって千差万別で、「共感・共苦」などできるものではない。できるとすれば、己の苦悩の経験を基にした他者への想像のみである。経験の質が貧しければ、想像力もまたpoorである。根本的には、己は己唯一の人生しか生きることができないからである。「共感・共苦」はできない。ここから出発するしかないのではないだろうか。
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最近、ファジル・サイのベートーヴェンを聴いている。サイはまだ37歳。トルコ出身のピアニストで、作曲も行う才気煥発な人だが、ぼくの感じでは、現代の西欧の音楽家によく見られるような、作品を対象として冷静に分析検討して、演奏を組み立てるタイプとはまったく違う。そうかといって、逆に、恍惚的に作品に合一没入していくのとも違う。ある意味で、ピアニストと指揮者の違いはあるけれど、曲作りという点では、フルトヴェングラーの系譜にあるような気がする。
ベートーヴェンが、偉大なのは、誰しも認めるところと思うが、さまざまな苦悩に向き合ったからでも、苦悩から歓喜へと至ったからでもない、とぼくは思っている。ベートーヴェンは、苦悩の真っ只中で微笑んだ。これが偉大なのである。
◇
(Original Haiku)
O finicky cat,
Forgive me for this spring rain
That disgusts you so!
(Japanese version)
気難しがり屋の猫よ
この春雨を許してくれ!
そうむかつくなって
■猫は、水を嫌がりますね。それでも、きれい好きで、よく自分の体を舐めて、きれいな毛並みにしていたのを思い出した。猫は、雨のときは、テリトリーの中にいくつか隠れ家を持っていて、そこで、じっとしていましたね。主人が病気のときは、不思議にわかって、雨のときのようにじっとしていましたね。
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