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俳句の今

■旧暦4月29日、木曜日。

11時就寝、6時起床。一度も目が覚めなかった。7時間睡眠でも、質が確保されれば、脳の調子はそこそこ確保できるようだ。レベル2。夕食時にウィスキーを少し飲んだのが効いたのかもしれない。通常、睡眠薬とアルコール類は、一緒に摂取することを禁じられているが、直前でなく少量なら、プラスの効果があるのかもしれない。以前、一緒に飲んだことがあるが、目が激しく回ってくしゃみがとまらなくなった。

江戸川に、2羽の郭公が来て鳴いていた。しばらく聴いていると、深い森にいるような気分になった。郭公の声は奥行きを生み出す。なるべく、遠くで聴くと、趣が深くなる。



以下は、英文雑誌『THE EAST』に書いた英文原稿の元になった日本語原稿である。紙幅の関係上充分に議論が尽くせていないが、俳句や詩の現在を考えるときに、参考になる論点が含まれていると思われるので、以下に掲載する。

この原稿は、最初に、日本語原稿を書き、これを英訳して、その後、ネイティブチェックを受けたものを最終原稿として、当雑誌に掲載している。以下の日本語原稿では、わからないが、ぼくの英訳した俳句が、間違って掲載されている。編集段階で、俳句は三行詩という固定観念から、三行に編集してしまっているが、ぼくの意図は、これとは違う。「切れ」を表すために一行空けているのだ。編集部に、文学への理解と繊細さに対する感受性が欠けていたことを残念に思う。



俳句の今

1. はじめに

「日本人ほど詩歌を愛する国民はいない。老いも若きもみんな俳句や短歌を詠んでいる。『詩歌の国』と呼んでもいい」俳人の長谷川櫂はこのように述べている。俳句人口は、少なく見積もっても100万、最大では1000万などとも言われてきた。これまで、多くの俳人は結社誌・同人誌に所属して俳句を発表したり、新聞の俳句欄に投稿したりしてきた。しかし、今では、インターネットの普及で、誰でも簡単にブログやホームページを作れるようになり、俳句を発表できる場が爆発的に増えた。この結果、俳句人口が着実に増加していると思われる。俳句は、短い表現形式なので、デジタルメディアとの相性がいいようなのである。また、ウェブ句会という新しい形態の句会も現れている。

俳句の起源は、室町時代の俳諧連歌までさかのぼることができる。このように古い出自を持つ俳句が、なぜ、現在まで途絶えることなく、詠み継がれてきたのだろうか。また、インターネットの普及によって、俳句にどのような影響が表れているのだろうか。

2. 俳句とは何か

俳句とはそもそもどんな文芸だろうか。今では、芭蕉の名前は、シェイクスピアと同じくらい世界標準になっている。芭蕉が、今でも多くの俳人たちの規範になっているのは間違いないが、芭蕉は俳人ではない。俳諧師である。明治時代に正岡子規が俳諧から発句を切り離した瞬間に生まれたのが「俳句」である。

子規は、俳句を書くにあたって、西欧の写実絵画の方法を取り入れた。目前の事物を、ありのままに描くことを俳句の方法としたのである。この結果、芭蕉の発句によく見られるように、古典文学を知らないと、その句を深く味わえない、ということがなくなった。
 
子規は俳句を革新したが、芭蕉の時代から続く特徴もある。その一つが、季語である。季語は、基本的に、日本社会の季節を表す言葉であるが、単なる記号にとどまらず、日本人と自然との交渉の歴史が、その言葉には凝縮されている。

音もなくしろくつもれるゆゑに雪       斉藤美規

作者は、雪国の俳人。雪国では、雪は美しいばかりではない。命を落とすこともある。そうした雪の怖さと美しさが表現された句である。

落葉松はいつめざめても雪降りをり       加藤楸邨

作者は病後の身を養っている。その窓から見えるのは、雪の降る落葉松だけである。目覚めては眠るうちに、いつの間にか、作者と落葉松は一体化してしまう。自然と人生が融合した瞬間である。

このように、雪という季語には、人間の経験のさまざまな諸相が凝縮されているのである。

現代俳句が芭蕉の時代から引き継いだものがもう一つある。それは、「切れ」と呼ばれる俳句の文法である。「や・かな・けり」で代表される「切れ」は、文字どおり、俳句を切って「間」を作り出すことを、目的にしている。

三月やモナリザを売る石畳       秋元不死男

この俳句には、切れ字「や」が使われている。わたしは、「や」を「石畳」と「三月」の間に空白を入れることで翻訳してみた。そして、「三月」をこの俳句の最後に持ってきた。こうしたわけは、切れ字は作者の心を表すことが普通だからである。言い換えると、作者は、石畳で売られていた「モナリザ」の複製画を見たとき、心の中で三月を感じたのである。石畳のひんやりした感じは、まだ寒さの残る早春を思い出させる。モナリザの穏やかな微笑みとエロシズムが、「命の春」の平和な訪れを予感させるのである。
 
俳句の本質を語る場合、もう一つ忘れてはならないことがある。それは、俳句が散文ではなく韻文だという事実である。散文は「論理」や「意味」、「説明」を重視する。日本語の散文は、明治以降、西欧文の翻訳を通じて形成されてきた。翻訳された書物を通じて、日本は社会の諸制度を近代化すると同時に、日本語自体を近代化してきたのである。散文の代表的な例は、新聞・雑誌やビジネス文書、社会科学や自然科学の書物などである。したがって、ビジネスや教育、科学技術の世界など、近代化(現在ではグローバリゼーションでもある)の進んだ世界は、ほとんど、散文的な思考の支配する世界と言っていい。これに対して、俳句は、論理の世界とは違った次元に一つの世界を打ち拓く。たとえば、次の句を見てみよう。

古池や蛙飛び込む水の音       芭蕉

長谷川櫂によれば、この句は、蛙が水に飛び込む水の音に触発されて、芭蕉の心の中に現れた古池を詠んだものである。現実に蛙が古池に飛び込んで水の音がした、という事実を説明した句ではない。この俳句の文法は、散文の説明の論理とは異なった次元に一つの世界を表現する。
 
こうした特徴を備えているからこそ、俳句は短い表現ながら、宇宙の高みや人生の深みを表現することができるのである。

3. 俳句と社会

良い俳句の書き手は、子供と老人だと言われる。こうなる理由は、いろいろあるが、子供と老人の間の世代が、生産年齢になることが大きいのではないだろうか。生産年齢の人々は、生産組織に組み込まれていることが多い。生産組織を支配する思考形態は、散文の論理である。このため、俳句のような韻文に頭を切り替えることが難しくなるのではないだろうか。一方、こうした散文的な発想は俳句の表現に影響を与えてきた。

限りなく降る雪何をもたらすや       西東三鬼

この句は、自分の想いを述べた句である。季語は雪であるが、季節感が弱い。しかも、句の中には「切れ」はない。物語の出だしの一節として提示されても俳句との区別はできないだろう。俳句の文法で俳句を書いたのではなく、物語の影響を受けているように思える。俳句は社会の近代化とともに「散文化」してきたのではないだろうか。

俳句と社会の関係を考えるとき、インターネットが俳句に与えた影響を考慮しなければならない。俳人の五十嵐秀彦は、句会-俳人が集まって俳句を作り選択する会合‐の性格が変わってきていると警鐘を鳴らしている。山本健吉の述べるように、俳句は挨拶の文芸である。句会のほかの俳人や自然への挨拶が俳句の基本である。だが、ウェブ句会では、作品をけなし合ったり褒めあったりするばかりで、作品の批評がないと五十嵐は言う。またあからさまな剽窃も行われている。ウェブ句会は匿名の参加だからである。この結果、五十嵐の言うように、俳句の質は低いものになるだろう。楽しみのためだけに俳句を作る人には、ウェブ句会は、手軽で参加しやすいが、俳句の未来を考えたときには、いくつかの問題点も抱えているのである。

4.俳句の未来

俳句の未来を考えたとき、いくつかの重要な社会的変化を考慮しなければならないだろう。第一に、近代化やグローバリゼーション、都市化の進展により、季語の季節感がなくなったり、季語に実感が伴わなくなったりしてきている。また、地球温暖化により、以前ほど、四季の移り変わりがはっきりしなくなってきている。こうした影響をもっとも受けるのは季語である。

有名な詩人で俳人の清水昶は、季語について次のように述べている。「季語についていえば、歳時記を守るべきだと思う。版を重ねるごとに歳時記から美しい日本語が消えていく。今使われている言葉だけが季語として残り、記憶の中の言葉が抹殺されてしまうとしたら、残念なことだ」清水は、こんなことも述べている。「俳句は老人と子供の文学である。というのも、歳時記には、老人だけが知っている死語と若者の知っている新しい言葉が掲載されているからだ」

芭蕉の俳諧に「不易流行」という有名な言葉がある。これは俳諧制作上の導きになる考え方で、その意味は、俳諧には時代とともに変化する要素と変化しない要素があり、俳諧は時代に合わせるのでもなく時代から取り残されるのでもない道を行くべきだ、というものである。歳時記は、芭蕉の教えを忠実に守っているように見える。問題があるとすれば、年々、生活が合理化されるにつれて、非合理的という理由だけで古い季語が消えていくことだろう。

もう一つ、芭蕉の「不易流行」の例を見てみよう。太平洋戦争末期のニューギニアで、日本軍は悲惨な戦いを強いられていた。毎日、大勢の兵士が死んでいった。そんなとき、各部隊の有志を集めて、演劇を上演して兵士を慰めようという話が持ち上がった。この劇団は大成功し、連日、明日死ぬかもしれない兵士たちがたくさん押し掛けた。そんな兵士の一人がこんなことを言った。「死ぬ前に故郷の雪が見たい」このリクエストに応えて、劇団は南の島に紙吹雪の雪を降らせるのである。この劇を観た兵士たちはみな号泣した。この実話は、季節が人間の生活と密接に関わっているだけでなく、人間の魂とも深い結びつきがあることを示している。魂と結びついた季語は、けっして、この世から消えてなくならないだろう、たとえ、歳時記からなくなったとしても。
 
近代化、グローバリゼーション、都市化が進展する中で、俳句の持つ意味は、今後大きくなるに違いない。というのは、俳句は、自然と人、人と人が和解した世界のありようを理念的に提示するからである。こうした世界観は、俳句にとっての未来ばかりか人類にとっての未来も指し示しているのである。

【参考文献】

『俳壇』2002年9月号
『一億人の俳句入門』長谷川櫂著(講談社2005年)
『古池に蛙は飛び込んだか』長谷川櫂著(花神社2005年)

「日本文化紹介英文誌THE EAST Vol.42 No.6掲載、"Haiku Today"の原文原稿」


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