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飴山實を読む(14)

■旧暦5月12日、火曜日、

目覚めると、いきなりまたせみ時雨。一日しか効かなかった。睡眠の質の劣化が影響したか。一時半に目覚めて、その後、熟睡できず。一進一退。終日、蝉鳴き止まず。TCI装着。午前中から、慈恵医大。もう少し長く眠れる睡眠薬を処方してもらう。リスミーに代えて、レンドルミン。

コンビニ本で『三丁目の夕日』を読んで、懐かしくなって、帰りに『夕焼の詩』の第一巻を探すが、出てない。最新刊の53巻か、テーマ別に編集されたものしかない。残念。53巻と諸星大二郎の『スノウホワイト』を購う。

そういえば、昨日、コミック墨攻の原作になった、酒見賢一の『墨攻』を読む。薄くて読みやすかった。原作では、革離は死んで、梁城は陥落する。このストーリーの方が面白いように思う。ただ、描き方が、平板で、文学作品としては、深みに欠ける。



昼の酒濁世の蛙聞きながら   『次の花』

■飴山實はよく知られているように、社会性俳句から出発している。『次の花』になると、その面影はないが、おおらかな俳句の中に混じって、社会へのまなざしを、時折感じることがある。この句にも、やるせなさのようなものを感じる。この句では、取り合わせに惹かれた。實のこの転換をどう考えるかは、興味深い問題だと思っている。今のところ、「社会から世界へ」という形で、この変化を考えている。この変化は何を意味するのか。近代と前近代、あるいは西欧と東洋といった問題とも関連させてゆくゆく考えみたいと思っている。
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