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飴山實を読む(15)

■旧暦、5月14日、木曜日、

夕方、一ヶ月ぶりに新聞が読めた。フジモリ元大統領が参院選に立候補とは驚いた! どの国でも選挙は話題性志向のショーになっているが、これはサプライズだった。国民新党の起死回生のマーケティングか。

今日は、午後から、国府台病院に行ってきた。自律訓練法を習得するためである。いくら、骨格を調整しても、睡眠が不足すると、耳鳴りは激烈になる。聴神経を切断しても、耳鳴りは止まなかったという報告もある。耳鳴りは耳の問題であると同時に脳の問題でもある。これが、この病気をやっかいにしている原因ではないだろうか。今の状態では、なかなか、一日5時間睡眠を越えられない。サラリーマンの平均睡眠時間だが、ぼくにとっては、昼寝を入れても、きつい睡眠時間である。これをなんとか、平均7時間まで持っていきたい。そのために、リラクゼーションの代表的な方法である自律訓練法を試してみることにした。今日は、診療部長と話をして、来週から本格的な訓練に入る。習得には、2、3ヶ月かかるらしい。サーモグラフィックを利用して、実際に自己催眠が効いて、手のひらの温度が上がったかどうか確認しながら進めるようだ。病院渡り鳥。そんな言葉がふと浮かぶが、「耳鳴り」という病気の性質と現代医療の性格を期せずして同時に表しているように思う。



一体はぼうたんのかげ苔地蔵   『次の花』

■はじめ、ぼくは、何体もある苔地蔵の一体にぼうたんの影が落ちているという景を想像した。だが、よく考えてみると、それなら、「一体にぼうたんのかげ苔地蔵」とするはずだし、そもそも、苔地蔵は、地域の信仰を集めるもので、たいていが一体である。この句は、苔地蔵一体が牡丹の陰になっているという景だろうと思うに至った。小ぶりの苔地蔵なのかもしれない。この句の眼目は、牡丹の陰の苔地蔵というだけではなく、色彩の取り合わせの妙にあるのだろう。牡丹の真紅の後ろからのぞく苔地蔵の緑の対比の鮮やかさ。
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