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Cioranを読む(57)


■旧暦8月11日、木曜日、、白露

(写真)無題

朝方は、本当に風も涼しくすごしやすいが、11時を境に急激に気温と湿度が上昇。11時まで、ブルバキを読んで、その後、郵便局や市役所などへ行く。午後から、仕事に入る。

マスコミは報道していないが(これもnews valueの問題だけでなく、資本によるメディアコントロールを考えざるを得ないが、逆に、運動の側も、どう、マスコミに報道させるかの戦略が必要な時代だと思う)、9月は、9.3柏デモを皮切りに、9.4我孫子デモ、9.11千葉デモと千葉県内だけでも複数の反原発デモがあり、9.11は、3.11から半年後ということで、全国各地で1000万人動員をめざすデモが予定されている。先日、参加したデモでも、参加者の幅は広く、職業もまちまちで、広い層が原発問題に危機感を持っていることを伺わせる。デモの途中から、小さい子ども連れのお母さんやご夫婦が飛び入り参加したりと、かなり自由な雰囲気で行われていた。9.19には、明治公園で、大江健三郎、坂本龍一両氏が参加するデモが予定されている。先日、スイスからメールをもらったら、スイスでも、ベルンの連邦広場で9.11と9.17に反原発デモがあるということだった。

世界中で、もっと、怒ればいいと思う。四季を台無しにされ、食を始めとした生活環境を台無しにされ、海を汚染され、山川森を汚染され、子どもたちの命を危険に曝し、今後生まれてくる未生の生命を汚染され...。これで、怒らないのは、人間としてどこか歪んでいると言い切ってしまっていいのではなかろうか。世界中で、日米政府・経産省と東電、東芝、日立、GEなどに、圧力をかけた方がいいと思う。

マルクスは面白いことを言っている「後はどうとでもなれ。これがすべての資本家と、資本主義国民の標語である。だから資本は、社会が対策を立て強制しないかぎり、労働者の健康と寿命のことなど何も考えていない。」この行動原理が現れたのが、まさに原発事故だったのだろう。野田首相が、原発の現場作業員に深ぶかと頭を下げたとニュースは伝えるが、この行為に残っている倫理的な契機は、システムとして、事前に設計・実現されていなければならなかったはずである。「後はどうにでもなれ」まさに自民党的・アメリカ的ではないか。



N'aimer que la pensée indéfinie qui n'arrive pas au mot et la pensée instantanée qui ne vit que par le mot. La divagation et la boutade. Cioran Aveux et Anathèmes p. 45

言葉にならない漠然とした想念か、言葉でしか表せない一瞬の思考か。そのどちらかしか好きになれない。うわごとか警句かだ。

■非常に面白い。創作のプロセスを思わせるようなところがあって好きである。la pensée instantanée qui ne vit que par le mot(言葉でしか表せない一瞬の思考)はベンヤミンを思わせる。たぶん、これは、これまでも、価値を置かれてきた思考だろうが、最初のla pensée indéfinie qui n'arrive pas au mot=La divagation(言葉にならない漠然とした想念=うわごと)に価値を置いた人は、あまりいないんじゃないだろうか。アルトーやバタイユなら、賛成するかもしれない。

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一日一句(220)






月に日に呼び交はしたる秋の声





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