西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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スタンダール:『赤と黒』『パルムの僧院』

2013年10月07日 | 十九世紀の文学
フランス文学受講生の皆さんへ

前回の授業で詳しくお話する時間のなかったスタンダール ー『恋愛論』の著者としても知られているー についての補足です。
映画のほか、文庫本の翻訳も出版されています。読書の秋です!是非、読んでみて下さい。

ーーーー
『赤と黒』
出版は、1831年。
貧しい農民の息子ジュリアンは、上流階級に昇るために自分の実力と策略だけで果敢に挑戦してゆく。ナポレオン没落後の1830年代が舞台。ジュリアン・ソレルの若さと夢とモラル。ジュリアンの家庭教師先の美しきレナール夫人とは?貴族社会を背景に女の恋とジェラシー、男の野望と純愛が織りなす物語。
赤は軍隊(ナポレオンを象徴している)、黒は僧侶を表す。幸福を探究した若きジュリアンが、その野心の先に見つけるものとは?

当初この作品は批評家から悪評を買い、売れ行きは芳しくなかったという。

「作者の心理分析のあまりの厳しさと社会主義に対する風刺の激しさに不安を抱き賛辞をためらう」 (メリメ)

「あのように重大な誠らしさが欠如し、道徳に欠けてはいるが、称賛すべき作品だ」(バルザック)

「フランスの心理小説の最高のものだと多くの人からいわれ、当時の社会情勢を的確に描いている社会小説として評価される」(ゲーテ)

アンケート:現在のフランスの作家たちが最も影響を受けた作品は何か?
結果:スタンダールの「赤と黒」が最も多かったと云われる。






『パルムの僧院』
当時55歳のスタンダールの最後の長編。
1838年11月から12月にかけて、パリで口述筆記され、1839年の春に、上下2巻で出版された。
1840年、バルザックが〈パリ評論〉誌9月号の70頁にわたる長大な論文で『パルムの僧院』を《今世紀の傑作》と絶賛。
《マキャヴェリが19世紀に生きていて、イタリヤから追放されたら書いたであろうような》小説と形容した。
「ある時代のある社会の政治的年代記」『赤と黒』と同様、無理解な父が実の父ではないという暗黙のテーマが覗く。

物語:
舞台はパルム公国という小国。ナポリで気楽で放縦な学生々活を終え故郷のパルムに帰って来た貴族の好青年ファブリスは、ナポレオンのワァテルローの戦いに参加するほどのナポレオン崇拝者。伯母のサンセヴェリナ公爵夫人は、数年ぶりに会った甥に肉身以上の激しい恋心を感じる。そして彼を生涯をかけて庇護する。
家柄がよく社交的なファブリスは、旅芸人の可憐なマリエッタという女優と関係をもったせいで、彼女の前恋人の道化役者ジレッチに襲われ、彼を刺し殺してしまう。すると、サンセヴェリナ公爵夫人の対抗勢力、首相モスカ伯爵陣がこの機に乗じ、伯爵夫人の愛するファブリスを城塞の塔にある牢に幽閉。彼は独房の小窓から見える庭園に清らかで美しいクレリアの姿を見て心を慰める。クレリアは、金特の四十男クレサンジ侯爵という婚約者のいる、典獄ファビオ・コンチ将軍の娘であった。いつしか二人は恋に落ちる。公爵夫人は自分の力で彼を脱獄させよぅと画策する。クレリアもまたファブリスを毒殺するという計画を獄卒グリロから聞き、炭焼党の首領フェラント・パラに助力を求めた公爵夫人に協力し、ファブリスを脱獄させることに成功する。しかし、この事件のせいでクレリアの父は監獄長の職を罷免され、クレリアはクレサンジ侯と結婚せざるを得ない羽目に陥る。相思相愛のクレリアとファブリスの行く末は、果たして?



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