西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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両性具有のヴォーカル

2015年05月21日 | 手帳・覚え書き
ポリーヌ・ヴィアルドの声は、「母なる声」か、あるいは、それ以外の声だったのだろうか。
作曲家のレイナルド・アーンは、ポリーヌの声域を音符で記録しているが、そこには何オクターブ
もの幅の音域が示されている。「人間とは思えない」という感想を持つ人もいたほど彼女の声域は
群を抜いていたようだ。
 ゴーチエもまた、ポリーヌは「驚異的な広がりの声域をもっており、最も力強いコントラルトと
最高に響き渡るソプラノを結びつけていた」あるいは「彼女は、3オクターブまで楽々と歌えるだ
ろう。少なくとも練習では出せていたのだから」と具体的な事実を明らかにしている。
 
 ゴーチエの言葉が憶測させる、ソプラノもアルトもカバーする声域をもつポリーヌは、恐らくルソー
やプルーストが聞いた「鈴の音」のような美しい声や優しい響きの「母なる声」で格調高く歌うことが
出来たと推測しうる。この「母なる声」は、甘い郷愁を呼び覚ますものとして、とりわけ「根源的な
ものを喪失した」存在にとって、主体構築に大きな役割を演じるだろう。

 しかし、ここで注目したいのは、ポリーヌがテノールやバスといった声域のコントラルトを歌う歌手
でもあったこと、さらにサンドがコンスエロに纏わせる「コントラルト」や異性装に象徴される両性
具有的な側面である。
 コンスエロの物語が書かれる以前のロマン主義作家にとって「声」が表象する両性具有性と美の関係
は、重要なテーゼであった。
 両性具有性のテーマを扱っている作品としてはゴーチエの『コントラルト』や『モーパン嬢』が知ら
れるところだが、ここでは、バルザックの『サラジーヌ』とサンドの『ある夢想者の物語』を考察して
みたい。

 ロラン・バルトが、女装してソプラノで歌うカストラートの歌手ザンビネッラに恋する彫刻家サラジ
ーヌの物語『サラジーヌ』(1830)についてエロチックな分析をしたことは、よく知られている。ここ
で重要なことは、バルトが彫刻家の強い欲望の対象となった歌手における完全性と二つの性の混在の正
統性を指摘している点である。

  ラ・ザンビネッッラは「超女性」であり、本質的に完全な女性である。
  (・・・)が、同時に同じような具合にして、彼女は男性以下のものであり、
  去勢歌手であり、欠如であり、決定的なマイナスである。彼女にあっては、
  絶対的に望ましいモノであり、彼にあっては絶対的にいまわしいものであ
  るという二つの境界が混在しているのだ。この混在は正統である。なぜな
  ら、境界逸脱は標識以外のなにものでもないからである。

 超女性であると同時に欠けた女性であるザンビネッラは、サラジーヌにとっては「女以上のもの」
である。

  それは一人の「女以上のもの」でした。それは傑作でした!このおもいがけぬ  
  創造物の中には、あらゆる男を悩殺する愛と、批評家を満足させるにふさわし
  い美とがありました。(・・・)ラ・ザンビネッラが歌うとき、彼は錯乱状態に
  陥りました。
 
 カストラートやコントラルトの歌手は、「あらゆる男を悩殺する愛」とその完璧なまでの「美」
で聴衆を魅了し虜にしてしまう。ザンビネッッラとは逆の形だが、ポリーヌ・ヴィアルドもまた、
男装しコントラルトで歌ったが、彼女の場合は男だけではなく女も「悩殺」したのである。

 サンドの『ある夢想者の物語』(1830)の主人公も、バルトによれば「二つの境界が混在する」美少
女の虜となってしまう物語だ。音楽が重要な位置を占めるこの短編小説の主人公は、ホフマンやモー
ツアルトの名前を彷彿とさせる青年アメデ(アマディウス)である。シチリア島の活火山のクレーターを
見に旅に出たアメデは、山中で美しい声で歌う少年に遭遇する。ところが、この少年は彼の目の前で
若く美しい女性に変身する。
 しかも、彼/彼女は「あまりにも力強い目眩を覚えるような声」で歌い、その極めて高度なレベルの
歌唱はアメデの全身を貫く。その声は、カストラート、テノール、バスといった、あらゆる声域の性質
を備えていた。火山が噴火し、アメデは、彼女の腕に抱かれてクレーターの深淵に飛び込み至福のとき
を過ごすが、二人の唇が触れそうになった瞬間に夢から覚めるという筋立てとなっている。
 『ある夢想者の物語』においても『サラジーヌ』と同様、「正統」である「二つの境界が混在」する
存在は、完全なる美を表象している。ロマン主義作家にあっては、完全美と両性具有性が共存していた
と言っても過言ではないだろう。


参考文献:
フェリシア・ミラー=フランク著・大串尚代訳『機械仕掛けの歌姫』東洋書林 2010
Jean-Josephe Goux, Les Inconscients, Paris, Editions du Seuil, 1978
Symbole économique, Cornell University Press, 1990.
Didier Anzieu, Le Moi Peau, Dunod, 1985
Luce Irigaray, Ethique de la différence sexuelle, Editions de minuit, 1984
リュス・イリガライ『性的差異のエチカ』浜名優美訳 産業図書 1986
Luce Irigaray, Speculum de l’autre femme, Editions de minuit,1974

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