
5月6日、池袋の芸術劇場の「三矢直生 独り音楽劇 ジョルジュサンド~ショパンへの手紙」を観劇。
この音楽劇の上演は、何と言っても、日本でサンドに関して開催された2018年5月の芸術イベントの最大事件だったといってよいでしょう。
なぜなら、それほど素晴らしかったからです。
これまでに何度か著名な女優さん方が演じたり朗読される「サンド劇」を観賞させて頂き、確かに女優さんたちの演技力は確かなもので、それなりに感動した記憶がありますが、いつもどこかピンと来ないというのか、なぜかどこかで、実際のサンドとは少しずれているような違和感を感じていたように思います。
それに対し、今回の三矢さんが演じられたサンドは、恋愛の情熱の虜となっているイメージのサンドではなく、ほんとうの愛に生きるサンド、愛といっても個人的な恋愛から師弟愛、家族愛、動物愛や人類愛に至るまで多様な愛を、愛ゆえに、愛により、愛のために生きたサンドがしっかりと表現されていたように思うのです。男性と同様の職業作家として書くことにより生活の資を得て二人の子供を養い、愛する人や友人に惜しげもなく自作をプレゼントしてしまうほど寛容で、自分の足で大地にしっかりと立ち、何よりも自由と自主自尊の精神をもち、当時の過酷なパワハラやセクハラにもめげず、男性作家にひけをとらない女性作家として生きたサンド、それでいて、日常の料理は使用人の手によるものだったものの、ジャム作りや刺繍なども大好きだった、性の境界があいまいで両義的な性を生きたサンド、まさに、これこそがサンド、というサンドが舞台に立っていたのです。こんな風に正しくサンドを紹介して下さっている、何てうれしいこと!サンドもきっとあの世で喜んでくれているに違いない!と、感謝の思いが上演中にひしひしと込み上げてきて、驚いたことに、いつのまにか、涙ぐんでいる自分がいたのでした。「いまどき、サンドに興味を持つ人なんかいない」と言われても軽くいなし(無意識の奥底では自分が考える以上に深く傷ついたのかもしれませんが)、サンドは研究に価する作家だという信念のもと半世紀近くサンド研究に携わってきてよかった、そんな思いと深い感謝の気持ちが涙になって迸り出たのかもしれません。
<三矢さんの演技がサンド研究者を感動させる学術的理由:『我が生涯の記』>
公演の成功は、何といっても、宝塚入団試験に一位の成績で合格し、黒木瞳と同期生となり、切磋琢磨の厳しい修練を積み上げて今日にまでに至った三矢直生さんの素晴らしく見事な表現力の賜です。大ホールを埋め尽くした満員御礼の観客たちを、もはやスタンディングオベーションかと思われるほど深く感動させたあの豊かな表現力は、彼女の著書に詳しく記されているように、我々の想像を遥かに超える宝塚での経験が土台となっているに違いありません。しかし、そのことを鑑みてもなお、どこか他にもサンド研究者を感動させるものがあったように思うのです。
それはいったい何なのか。サンド研究の観点から考えてみると、このことは翻訳出版と大いに関係がありそうです。これまでのサンド関連の音楽イベントでは、参考資料が限られていたことに思い至ります。サンドの書簡集(全26巻)の該当する年代で切り取って参考にしたものであったり、女性作家をステレオタイプ的な表面のみで捉えた出版物に頼っていたり、あるいは一部の男性作家やショパン寄りの批評家の誤ったサンド評、そういった外部からの資料や情報を頼りに舞台が組み立てられていたからではないかと推測されるのです。その頃から時を経て、加藤節子翻訳による、サンド自身が書いた『我が生涯の記』 "Hsitoire de ma vie "(膨大な頁数の三巻本で一冊1万円もしますが)が翻訳出版されたことが大きかったことは間違いありません。このサンドの自伝を読めば、サンドの捉え方が大きく変容し、これまでとはまったく異なるサンド像が立ち現れてくるからです。今回は、この自伝に忠実に脚本家により台本が書かれ、三矢さんは翻訳本もじっくり読まれたそうなので、そのことにより実物のサンド像に近いヒロインとなりきることができたと云えるでしょう。三矢さんがまさにサンドそのものになって演じられた、このことこそが今回の舞台が大成功を収めた最大の要因と考えても異論の余地はなさそうです。
三矢直生 著『夢がかなう法則』敬文社 2002
三矢直生(みつや なお)さんは、ラジオ番組でサンド特集を組んで出演されているほか、ご著書も出版しておられます。この本では、宝塚入団試験の合格体験記、宝塚の厳しい訓練教育と乙女の青春、大検にアタック、大学受験にも合格し芸大生となったこと、芸大の技術精神、芸大祭のことなど、非常に興味をそそられる内容がページをめくるたびに現れ、抱腹絶倒やら涙やら、社会規範に囚われず目的に向かって邁進する作者の活躍ぶりが面白くて、すらすらと読めてしまいます。非常に分かりやすい、易しい言葉で、時には少々脱線しつつ、物事の神髄を表現してしまう文章力は、なかなかのものです。
とりわけ、次の異文化体験に関する引用は、フランスに行くと「水を得た魚のようになる」とよく言われる私にとって、印象深い箇所でした。海外生活を経験したことのある方にとって、共感されるところが多いのではないでしょうか。
「ニューヨークに行くと自分の中身が変わっていくようで、どんどんすべての夢が実現できる人になっていくようだった。・・・ところが、日本に帰ると、なぜか"青菜に塩"になってしまう。・・・『現実はそんなに甘くないのよ』と誰かがシニカルな笑いを浮かべているようだった。なぜ夢をみることが難しいのだろうか。誰も何も許してくれないような気分になった。何だかわからないけれど、日本に帰ってくると辛くなっていた。」(pp.98-99.)
「日々色々な事が巻き起こり、乗り越えられなそうな時も、サンドの言葉に助けて頂いている」「『陽気で有る事が肉体と精神にとっての最大の健康法で有る』が心の指針で、全て解決出来る気がする」と述べる三矢直生さん。ユーモア精神のあったサンドに似ています。
この本を読めば、舞台で見せた三矢直生さんのあの素晴らしいエネルギー、心を揺さぶり、感動させる言葉と表現の数々がどこからきているのか、努力なくして天才なし、三矢直生が「天才的アーチスト」であると納得できることでしょう。本題をもう少し違うものに変更し、たとえば副題を「大検合格、芸大生になった宝塚ジェンヌの心意気」といった感じにしてもよかったかもしれません。
宝塚や芸大関連の方々、大検や芸大合格を目指す方にとっても、非常に興味深い内容ではないかと思われます。
みなさま、とにかく面白いので、是非、お読みになられてみて下さい!お薦めいたします。