西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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ジョルジュ・サンドとフロベールの往復書簡 71

2012年09月14日 | サンド研究


<フロベールからサンドへ>   71年3月11日

僕は自分が進歩主義者で人道主義者だとは思っていませんでした。それでも僕は幻想を抱いていました。
なんという野蛮さ!なんという後戻りでしょう!・・・僕は息が詰まりそうです!

白い手袋でガラス窓を割り、サンスクリット語を解しながらシャンパンに殺到し、時計を盗んでおいて名刺を送ってくる将校達、金のための戦争、これらの野蛮な文明人達は「人食い人種」以上に僕をぞっとさせます。

そして、誰も彼もが彼らの真似をし、兵士になろうとしています!ロシアは今や400万の兵士を擁しています。
ヨーロッパ全体が軍服に身を包むでしょう。・・・大規模な虐殺がわれわれの目標そのものに、フランスの理想になろうとしているのです。

<サンドからフロベールへ>   71年10月25日

愛し自らを犠牲にすること、犠牲的な行為がその対象である人々にとって害をもたらす時代にのみ、自らに戻ること、真実の大義つまり愛に奉仕するという希望が訪れたとき、再び自らを犠牲にすること、ここで言っているのは、個人的な愛の情熱ではなく、民族への愛であり、自己愛の拡大された感情、一人孤独でいる自己への恐怖です。

私はあなたが話しておられる理想とする正義が愛とは別のものとして切り離されているのを見た試しがありません。
自然な社会が存続するために挙げるべき第一の法は、人々が蟻やミツバチのようにお互いに役に立つことです。・・・
人間にあっては、本能とは愛することです。
愛から忘れられる者は正義からも忘れ去られてしまうのです。・・・

マニー亭で、彼ら(参会者)は「無知の人間のために書く必要はない」と言いました。
私はその無知な人々のために書こうとしているので、彼らは私を口々に罵りました。
経営者たちには資産があり,彼らは大金を持ち満ち足りている。
愚か者たちには、あらゆるものが欠けている。私は彼らを気の毒に思うのです。
愛することと気の毒に思うこととは、別々に考えることはできないのです。
これが、至ってシンプルな私の考えのメカニズムなのです。
私と同じ信条を持っていると主張しながら、言葉とは正反対のことをおこなう人に私はよろこんで悪口を浴びせましょう。

法に抵触する放火犯や殺人者を気の毒には思いません。教育されることがなく援助の手も差し出されたことのない、荒廃し崩壊した生活がゆえに、こうした残忍な人間を作り出さざるをえない階層を心の底から気の毒に思うのです。

私は人類に同情します、人類が善良であることを望んでいます。
それは私が人類から自分を引き離そうと思わないからであり、人類が被る悪は、私の心を苦しめるからです。・・・
天上であろうと地上であろうと、自分一人だけの天国を考えることができないからです。

あなたは私を理解して下さるに違いありません。
頭のてっぺんから足の先まで優しさそのものなのですから、あなたは。 
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