電脳筆写『 心超臨界 』

自由とは進化向上のチャンスにほかならない
( アルベール・カミュ )

セレンディビティの予感 《 「生きた文化遺産」――渡部昇一 》

2024-07-05 | 04-歴史・文化・社会
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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  セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
  予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
  いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
  ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
  [ ウィキペディア ]


海を見晴らす丘の上に海神を祭るという点ではギリシャの神も日本の神も同じである。しかしギリシャの神々は遺物であり、博物館の中の陳列品にすぎない。ところが、日本の神は、まだ自分の社(やしろ)、しかも木造のもの(これは絶えず建て替えているということだ)を持っており、コミュニティが、挙げてその祝日を祝っているのだ。


◆「生きた文化遺産」を持つ日本

『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p93 )

数年前の夏、私はギリシャのスニオン半島に3週間ばかりいた。ここを根拠地にして、ほうぼうの遺跡に見物に出かけたのである。

私が宿泊していたホテルのすぐ上の岬の上にはポセイドンの神殿跡があった。それからミケーネをはじめとし、ほうぼうの遺跡を見た。

そのギリシャから帰ると、すぐに私は石巻(いしのまき)の知人のところに家族を連れて10日間ほど遊びに行ったのであるが、そのときの印象を忘れることができない。そこでは夏祭りをやっていたのである。石巻の港を見下ろす高い丘におおきな神社があって、その祭りを町じゅう挙げて祝っているのだ。これは日本じゅうどこでも見られる風景で珍しくも何ともない。しかし、ギリシャから帰ったばかりの私には、何という新鮮な光景であろう。

海を見晴らす丘の上に海神を祭るという点ではギリシャの神も日本の神も同じである。しかしギリシャの神々は遺物であり、博物館の中の陳列品にすぎない。ところが、日本の神は、まだ自分の社(やしろ)、しかも木造のもの(これは絶えず建て替えているということだ)を持っており、コミュニティが、挙げてその祝日を祝っているのだ。

ジョン・キーツが「ギリシャの甕(かめ)によせる賦(ふ)」を作ったとき、ギリシャの古い甕にお祭りの模様が刻まれているのを見て、想いを古代に馳せた。しかし日本においては、土中から見つけられた甕を見て古代を想う必要などは、さらさらない。祭りは生きているのだ。しかも近代工業の後進国ギリシャでは死に絶えた海神が、日本では世界最新最強の工場を見下ろす丘で、町じゅうの人のお祭りの中心になっているのである。

日本文化とか日本史に特徴があるとするならば、まさに、こんなところではないだろうか、とそのときに思ったのだが、その感じは今も変わっていない。

島には黄金山(こがねやま)神社があって金山毘古神(カナヤマビコノカミ)と金山毘売神(カナヤマビメノカミ)が祀ってあり、さらに山頂には大海祗(おおわたつみ)神社がある。この三神はいずれも『古事記』によれば、イザナミノミコトからお生まれになったことになっている。

そして、この島から産出した金が朝廷に献上されたのは、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)元年(西暦749)というから、これまた古い話で、現在の西欧の国はまだ生まれていないころだ。

私はこの金華山の水の美しい海岸で泳ぎながら島を見上げたが、それは、まったくの緑島山(みどりしまやま)であった。この島には大木が鬱蒼としげり、野生の鹿もいた。

当然、私はポセイドンの神殿跡の下で泳いだギリシャの体験とを思い合わせざるをえなかった。それはまずハゲ山であった。神殿跡はあくまでも神殿跡であって、神殿ではなかった。鹿はおらず、いたとしたら野鼠ぐらいだったろう。祭りは絶えていた。

つまり古代日本文化は生き物なのに、古代ギリシャ文化は死んだ物だったのである。

たまたまギリシャの例を挙げたが、同じことはエジプトについても言えるであろう。私もラクダに乗ってピラミッド見物をしたことがあるが、それも遺跡の見物であった。ラクダの綱を握っていたエジプト人も単なる観光案内人にすぎない。しかし日本人が仁徳陵(にんとくりょう)を見物に行ったとしたら、ピラミッドの見物とはまったく異なり、多摩御陵(ごりょう)にいくのと同じことなのである。ピラミッドを祭るべき古代エジプト王家の子孫はあとかたもないが、日本のほうは、依然として皇位にあられる。

ついでだから言っておくが、近ごろシナを訪問する人は万里の長城を見て感嘆してくる。それはなるほど驚くべき建造物である。しかしそれを作らせた秦の始皇帝の子孫はあとかたもない。またそれを作らされた北方の民衆と、今のシナ大陸のほかの部分の民衆との民族的なつながりは、われわれが日本人といった意味におけるような同一民族ではない。したがって湖南(こなん)省出身の毛沢東がそれを民族の遺産として誇るのは、ローマのハドリアヌス皇帝の作った城壁の跡を、ライン河流域のドイツ人が誇りに思うのと似てないこともないと言えよう。

日本の現在の文化的遺産は、ほかの国のものと違って、単なる旧跡でなく、「生きている」ことが大きな特徴である。

私はこの特徴を外人に説明するとき、よくローマのコラシアムとバチカンの例を挙げることにしている。

同じローマ市中にありながらコラシアムの遺跡に入るときは料金が取られる。それはすでに死物であり、管理されているからである。それに反しバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に入るのは無料である。それはまだ生きているからだ。日本の神社もタダなのは(お賽銭は当人の勝手だ)まだ生きているからである。そして日本の神社は、ローマのコラシアムが実際に使われていた時代から生きており、今なお衰退の徴候がない。
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