靄齢が蒋介石に目をつけたのは一種の博打であり、先物買いであった。この時点辺りで蒋介石と結びついておけば、蒋介石が支那の支配者となった暁には莫大な利権が手に入ると計算したのだろう。蒋介石が住む広州に家を買い、妹の美齢を連れて移り住み、蒋介石に接近した。 . . . 本文を読む
日本政府は国際法に基づき、「無主の地」に竹島と命名して日本領とし、以来、終戦近くまで実効支配を続けてきた。ところが、韓国側も、「独島(竹島の韓国側の呼称)は歴史的にも国際法上も韓国の固有の領土」と、鸚鵡(おうむ)返しのように独島を固有の領土としている。何れの主張が歴史の事実に即した発言なのか。 . . . 本文を読む
1926年3月20日、突然、広州で戒厳令を布告し、軍船「中山」の艦長やその他の部隊内の共産党員を多数逮捕した。中山艦事件と言われる。蒋介石によれば、この船に蒋介石を乗せ、ウラジオストックに運んで殺す計画があったそうだ。蒋介石の狙いがどこにあったかはともかく、この事件は意外な結果を生んだ。 . . . 本文を読む
翌24年には、黄埔軍官学校の校長に就任した。黄埔軍官学校の生徒の多くは、陳其美の甥の陳果夫が上海で集めた青幇のメンバーの子弟であった。中流階級の出身で、中等教育を受けていたという。この生徒たちは、卒業後も私的な場面で蒋介石を「校長」と呼び、私兵的存在となる。 . . . 本文を読む
体が目覚めて新しい一日を無事にスタートできる、朝日の静かな時間が与えられる、陽光や鳥のさえずりなど大自然が温かく包み込んでくれる、よくよく考えれば、これらはすべて人智の及ばない大いなる生命の働きによるものだからです。 . . . 本文を読む
つまり、『マンガ嫌韓流』という書籍の存在そのものをなかったことにしようとしている意図的な力が、日本のメディア界に存在していたということだ。〈検閲〉が行われていたと言っても過言ではない。皮肉にも、その報道管制が、『マンガ嫌韓流』それ自体の価値を高め、そのなかで描かれた反日メディアの実態を図らずも証明することになったのである。 . . . 本文を読む
それは、平成17年(2005)7月26日に発売された『マンガ嫌韓流』(山野車輪、晋遊舎)の大ヒットが可能なかぎり報道規制されていたことだ。しかも、なぜ情報統制のようなことが行われているのかという疑問を解明しようとすると、そのまま『マンガ嫌韓流』の内容を保証することになる。その結果、ますますこの本の大ヒットの理由を隠蔽(いぺい)するメディアが増えるという珍現象を生むことになった。 . . . 本文を読む
教育ということには、教育する側と、教育される側とがあり、教育する方から考えると、やはり自分が「教える」という行為に重点がおかれ、その後で、「育てる」ということが考えられるが、「育つ」となると、これはその本人の自発的なはたらきであるから、教育とは関係がない、あるいは考慮の外にある、ということになりがちである。 . . . 本文を読む
私はかつて、現代においていろいろな分野で活躍している個性豊かな方々とお会いして、その子ども時代について語っていただいたことがある(『あなたが子どもだったころ』光村図書出版)。京都大学教授の生物学者、日高敏隆さんにお会いしたとき、個性を伸ばすという点で参考になる、小学校の先生についての話を聞くことができた。 . . . 本文を読む
ソ連の援助で孫文は1924年1月、国民党の第一回全国大会を召集し、6月には広州の沖合の島に黄埔軍官学校を開設する。ソ連は小銃8千丁、1丁につき銃弾5百発を贈与した。同校はさらに小銃1万5千丁、機関銃、大砲の部品などをソ連から購入する。孫文はやがて、ソ連の勧めで中国共産党とも手を結ぶことになり、共産党員が個人の資格で国民党に入党した。 . . . 本文を読む
戦後、日本でオートバイの草レースがはじまった頃、ホンダからもレースがメシより好きだという若者たちが参加するようになり、私もそれを知って、応援してやることにした。その頃は、まだ何十社とあったオートバイメーカーは、私のみるところではそのほとんどが、トライアンフやアドラーといった外国メーカーのエンジンをそっくり真似てレーサーを作り出場していた。 . . . 本文を読む








