戦前の右翼は、議会民主主義廃止、独裁制導入、資本主義廃止、企業国営化、社会主義化、ナショナリズム高揚などを唱(とな)えていた。これらの綱領に盛られた思想がかなり広い層の日本人、特に若い軍人に浸透した理由の一つは、泥沼の不況、特に農村の困窮である。特に冷害を受けた東北の農村では、一家を救うために娘たちが売られたが、その代金は100円から300円ぐらいであった。山形県のある村では、「娘身売(みうり)の場合、当相談所へ御出下(おいでくだ)さい」という看板を堂々と掲(かか)げていたという例もある(安倍源基『昭和動乱の真相』原書房・昭和52年・79ページ)。 . . . 本文を読む
いつか雨の日に19世紀末のイギリス人の釣師の書いたものを読んでいるうちに中国古諺(こげん)を一つ教えられた。出典が書いてないので、どこから引用したものか、いまだにわからないでいる。しかし、それは男による、男のための、男の諺なのである。いまこの人ごみのなかで、それがありありと昏迷のなかによみがえってくる。 . . . 本文を読む
右翼は社会主義者であった。ヒトラーのごとくに社会主義者だった。ただ天皇という名前をシャッポにしていた一国社会主義だったのである。右翼社会主義思想の源(みなもと)の一つは、北一輝(きたいっき)(1883-1937、主著『国体論及び純正社会主義』、『日本改造法案大綱』)によると言ってもよいと思うが、彼の思想の中には、初めから国家主義と社会主義が結びついていたようである。 . . . 本文を読む
「波羅蜜多(はらみった)」は梵語のパーラミターの音写で、「彼岸(ひがん)に達す・度(すく)う・完成・熟達・さとりの極地」と多くの訳語がありますが、〈完成・熟達〉が原語にいちばん近いと思われます。したがって「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ずる時」は、観自在菩薩が、深遠な般若の智慧を修行して、その智慧に熟達した時」、あるいは「……その智慧を完成した時」となりますが、私は前者の智慧に熟達した時」に従います。 . . . 本文を読む
「特別高等警察」(特高)というと、左翼思想が取り締まるための思想警察で、戦前、猛威を揮(ふる)った機構と考えるのが常である。事実、最初の特高が設置されたのは、明治天皇暗殺を計画した幸徳秋水らのいわゆる「大逆事件」(明治43年=1910)に刺戟されてであって、それは警視庁特別高等課として、事件の翌年、つまり明治44年8月につくられた。ところがロンドン条約に関連して起こった統帥権干犯問題、それが引き金になって続々と起こった暗殺事件などに対処するために、警視庁特別高等課は、警視庁特別高等警察部として昭和7年(1932)6月に機構を拡大した。 . . . 本文を読む
昔話をすることは、高齢者にとってもいいことずくめです。近頃は、アルツハイマーにも新薬が出てきてはいるようですが、まだ西洋医学ではお手上げ状態です。そこで、一番の治療法だとされているのが、回想療法といって昔の思い出話をすることです。昔話が養生だという理由はここにあります。 . . . 本文を読む
ホーリイ・スムート法によって惹き起こされた世界的大不況により、左翼全体主義であるマルクス主義の権威が上がり、また右翼全体主義のナチスもその実力を証明してきていた。ドイツやイタリアやスペインでは右翼全体主義が左翼全体主義に勝って、それぞれヒトラー、ムッソリーニ、フランコが政権を執(と)った。イギリスでは労働党がマルクス主義の正しさを発見し、アメリカでも社会主義的政策が採られはじめたことは、すでに述べたとおりである。 . . . 本文を読む
子游(しゆう)曰く、子夏(しか)の門人小子は、洒掃(さいそう)、応対、進退に当たりては可なり。抑(そもそ)も末なり。之を本つくるものは則ち無し。之を如何。子夏これを聞きて曰く、噫(ああ)、言游(げんゆう)過(あやま)てり。君子の道は孰(いず)れをか先にして伝え、孰れをか後にして倦(おこた)らん。これを草木に譬うれば、区して以て別たんや。君子の道は焉んぞ誣(し)うべけんや。始めあり、卒(おわ)りある者は、それ惟だ聖人か。 . . . 本文を読む
ファラデーは物質の研究だけの科学者ではなくて、敬虔な信仰家で、精神生活を楽しむ人だった。あるとき彼は、一人の母親の涙を試験管に入れて、学生にこう教えた。「諸君の見るように、母親の涙も化学的に分析すれば、ただ少量の水分と塩分である。しかし、慈母の頬を流れるその涙には、この水と塩の他に化学でも分析し得ざる尊い深い愛情がこもっていることを知らねばならない」 . . . 本文を読む
普通の日本人は、いくら治安維持法を批判し非難してもよい。しかし、少なくとも共産主義者は非難する権利は道義的にないのではないか。治安維持法のある日本よりも千倍も万倍も恐ろしい国を作るイデオロギーを持ちこもうとしていたのだから。さらに言えば、そもそもロシア革命がなければ、あるいはコミンテルンが外国にまで皇室廃止などを統一テーゼとして指示してこなければ、治安維持法もなくてすんだであろう。 . . . 本文を読む
戦前の日本の警察による弾圧や労働運動迫害を非難する文献は、それこそ汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)もただならぬほど多くある。そして大正初年から昭和20年の敗戦までの約30年間を「暗い谷間」と呼んだ元東大総長もいる(大河内一男(おおこうちかずお)『暗い谷間の自伝』中公新書)。この社会学者が、「暗い谷間」と呼んだ暗い時代が、どのようなものであったかは、きわめて示唆するところが大きい。 . . . 本文を読む