戦後民主主義」を一言で言えば、自国の歴史を汚辱にまみれた過去とみるイデオロギーである。戦前戦中のことは何もかも日本だけが悪うございましたとする自虐の暗黒史観である。自分は国家の社会福祉や教育機関や公共施設の恩恵を享受しておきながら、常に個人を国家と対立させ、国が人間を抑圧する暴力装置のようにみなし、反国家・反体制のポーズをとる。それが進歩的で文化的な市民だと考える。
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人生というのは、自分で決めたとおりの道を行くんですよ。これは脳科学の分野でも証明されています。「自分はこうするんだ」という思いが潜在意識に植えつけられた瞬間に、脳はそのとおりに動いていくんです。逆に「できない」と思い込ませてしまえば絶対にできるわけがない。
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大江は、断固として世界言語を構想する。大江の言う「世界言語」とは、エスペラント語のような意味の世界言語ではなく、世界に通用する言語表現という意味なのだろう。要するに、私は世界に通用しているのだ、私以外の日本の作業で世界に通用する者はいない、と言っているのである。
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大江は、「第二次世界大戦の終戦50周年が、とりわけ広島と原爆投下について反省する機会になることを私は希望してきたが、こうした態度は今の日本には存在しない」と断言している。つまり、広島と長崎に原爆が投下されたことについて、日本人が反省しなければいけないと言うのである。そもそも誰が原爆を投下したと、この人は思っているのだろうか。
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ここで「中国」という呼び方について、一言述べておきたい。おそらく、この呼び方が使われたのは昭和15年に発行された「中国文学」という機関紙の表題が最初であろう。それまでは、みな「支那」という国名を用いていた。
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われわれ人間の思考パターンで、とくに近代科学以後は、因果関係を知るというのはすごく便利なことで、役に立つことでしょう。因果関係がわかったら、こちらの意図で操作できるわけですから。だからそっちへ行きすぎて、非因果的連関を見る態度を失ったんじゃないかと、僕らは思っているんですね。
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僕、一度いって、感激されたことあるんですけれどね、その人は一生懸命話をされるし、こっちも一生懸命聞いて、それでもその人が話しだすとどうしても僕が眠くなる、という人がいたんです(笑)。
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その論文には、いまの科学の感じからすると余計なことが書いてあるんですよ。《私はむした美しい岩に目を止めていた。そのあとずっと滝を見ていて、そこから目を離すと、苔むした岩が逆方向に動いているのが見えた》と。それが「モーション・アフター・エフェクト」の最初の方法論のところになるんですね。
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ハーグ陸戦規則の三点を守らずに武器などを持っている者は、山賊、海賊、野盗と見做(みな)してよいということになる。南京において犠牲者と呼ばれる人たちの多くはこの便衣兵であり、そうした活動を命じた蒋介石の責任は重い。便衣隊は捕虜になる資格がないのである。
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良寛が舟に乗ったとき、船頭が意地悪をしてわざと舟を揺らして良寛を水中に落としてしまう。溺(おぼ)れそうになっている良寛の姿をさんざんあざ笑ったあとで、ようやく舟に引き上げる――そんな悪質ないやがらせを良寛は船頭から受けるのです。 . . . 本文を読む
この人は民主主義というものをにっちもさっちも動きのとれない、固定されたものと考えていた。この人の頭には、アメリカ式大統領制民主主義しかない。しかし、現実には民主主義ほど、人類の政治体制史上融通無碍(ゆうずうむげ)なものはない。どんな民主主義もありうる。いやしくも横田は国際法学者、国際政治学者である。これを専門バカと呼ぶのだろう。 . . . 本文を読む
僕がすごいと思うのは、仏教の『華厳経(けごんきょう)』の考え方は、関係性が優先していますね。感激しますね。個があるけれども、個があっての関係というのじゃなくて、関係そのものが優先しているんですよ。だから「私」というのはないんです、『華厳経』でいうと。個の「私」はなくて、関係の総和が「私」なんだと。 . . . 本文を読む
川には水源があり、川は水源から流れてきた水を次の場所へと送る。その途中で、川は穀物に水を与え、電力を生み出す。自己充足型モティベーションは、もっぱら自分が答えを手に入れるために知識だけを追求する。いわば永遠の生徒である。一方、自己啓発型モティベーションは、知識の獲得に努め、その知識を人と分かち合う教師である。 . . . 本文を読む
ワッツはまず六万人の被験者それぞれに、住む国も地位や職業もちがう人をターゲットとして割りあてた。そして、ターゲット宛のEメールを、必ず自分の知り合いひとりに転送し、その知り合いにも同じようにして転送するように依頼するという方法で送らせたところ、平均五人~七人を経由してターゲット本人に届いたのである。 . . . 本文を読む
1899年11月27日、当代きってのシェークスピア劇の名優だったコフランはアメリカ南西部にあるテキサス州の港町ガルベストンでの公演中に、突然の病に倒れてまもなく亡くなった。遺体は、遠く離れた故郷に送るのは無理だったので、鉛で縁取った棺に入れられ、町の共同墓地にある石造りの地下納骨所に埋葬された。 . . . 本文を読む








