人間学を学ぶメルマガ『こころは超臨界』
2012年第1四半期発行のメルマガ・アーカイブです。
みなさんの読みたい記事が見つかることを願っています。
渡部天真
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2012.03.30 第1320号 老いを語る言葉
2012.03.29 第1319号 清富の思想
2012.03.28 第1318号 夜盗の . . . 本文を読む
3月24日、南京では侵入した軍隊がたちまち暴徒と化し、略奪、殺人、強姦をほしいままにしました。このため、揚子江をパトロールしていたイギリス、アメリカの砲艦が市内を砲撃し、騒ぎを鎮圧した。この間、欧米人が殺され、事件後、宣教師の団体が非難声明を出すなど国際問題にもなった。 . . . 本文を読む
夜が明けて振り返ってみると京城が燃えている。これはなぜかというと、(ぬひ)や召使いたちが、自分がこういう身分にあるのは、戸籍文書があるからだというわけで、文書をすべて燃やしてしまおうと火をつけたからである。だから、日本軍が来る前にすでに京城は燃えていた。 . . . 本文を読む
蒋介石は11月5日、田中義一の私邸を訪問した。付き添っていた張群は回想する。《蒋介石が「中国革命の目ざすところは全国の統一にある」と述べたとき、田中義一は顔色を変えた。彼が一貫して企図している中国侵略にとって、都合が悪いからである》 嘘である。“中国侵略”を企図した日本軍人は、それまでも、それからもいない。 . . . 本文を読む
アドラーは従来の心理学とは異なり一人の人間を細かい要素に分けて考えず、一人の人間全体が、備えらた機能を伴って目的に向って行動していると考えました。具体的には、人間は皆なんらかの劣等感を抱いているため、より優越性を求めて行動すると考えました。 . . . 本文を読む
私は、いわゆる西原借款交渉の状況をさぐるとともに、北洋軍閥を助けて中国の権益を奪うことが、いかに悪い結果をもたらすかを理解してもらおうとした。しかし、田中(義一)は、中国の内部不統一こそが日本に悪影響を及ぼし、アジアの前途にも憂慮すべき影をなげかけていると放言し、中国の力量ある人物を中心に擁して混乱分裂を収拾し、統一を図るしかないと主張した。( 張群 ) . . . 本文を読む
現代の日本の家系は、大名家であれ、名門の家であれ、皇室と一部の公家を除けば、そのほとんどが応仁の乱以降に始まる。それより前にはさかのぼれないのである。源氏とか平氏を名乗る大名は多いが、実は応仁の乱を境にほとんどの家系がそれ以前と切り離されてしまうので、勝手に「誰々の子孫」と称するようになっただけのことだ。 . . . 本文を読む
曹汝霖は、軍隊を強化して南方の反乱軍を平定するため日本から資金を借りるよう提案し、段祺瑞も同意した。曹汝霖には当てがあった。寺内首相の“懐刀”的存在だった民間人の西原亀三である。曹汝霖は段祺瑞が張勲を追い払った直後、西原と知り合っていた。 . . . 本文を読む
死の受け取りかた、死の迎え方はその当人の自由による、いい換えれば当人の心得、覚悟次第だといいうことです。そしてそれを作り与えるのは、それぞれの人が老いをいかに受け取り、過ごすかといいいうことでしょう。 . . . 本文を読む
袁世凱は困った。自らの野望達成への第一歩として国会で正式に総統に任命されることを期待していたのに、目論みが外れた。そこで袁世凱は共和派を潰しにかかる。買収可能な議員は買収し、買収に応じない相手は暗殺した。 . . . 本文を読む
孫文は鉄道大臣を罷免され、亡命騒ぎを起こしたあと、1916年5月に山東半島の一角で反乱を企てた。今回は他人の褌(ふんどし)で相撲を取ろうと、日本の軍人の助けを借りた。格好はつけていた。山東革命軍と称した部隊は、指令官が居正(きょせい)、参謀長が陳仲孚(ちんちゅうふ)、それぞれに佐官級の日本軍人が指導者として付き、済南駐在武官の貴志弥次郎大佐の指揮を受けていた。 . . . 本文を読む
円朝は明治以来の真打(しんうち)のナンバーワンといわれる。名人中の名人の高座に聴衆は魅了され、拍手喝采(かっさい)は鳴り止まない。得意絶頂の名人・円朝はある宴(うたげ)に招待された。それは剣聖といわれた山岡鉄舟(てっしゅう)の宴である。 . . . 本文を読む
袁世凱は〈孫文は理論政治家であって、実行政治家ではない。たとえば、彼は鉄道建設の必要を説く。そのとおりである。彼はさらに十万哩(マイル)論を述べる。中国は広いのでそれも結構だというので、自分は彼を全国鉄路督弁に任じたが、いまにいたっても何の計画もできない〉とこぼすようになった。 . . . 本文を読む
社会保障や福祉は大変聞こえがいい。この充実に異を唱えたり反対したりするのは難しい。どの党でも社会保障、福祉を政策の表看板に掲げるのはこのためである。表立って反対する者がなく、誰もが賛成しやすいのだから、票集めには絶対、というわけである。だから、社会保障や福祉で政策競うことは国にとって極めて危険であるので、私は選挙では社会保障や福祉はタブーにすべきだ、とさえ思っている。 . . . 本文を読む
袁世凱は、陸徴祥の奏請を受けるなりすぐ宮中に入り、載澧とライバル関係にあった隆裕
(りゅうゆう)皇太后と謁見し、宣統帝が引き続き紫禁城に住むことを認めるなどの優待条件を示して退位を薦めた。翌日、隆祐皇太后は、皇帝の退位と共和国樹立を宣言する詔勅を発表した。清朝が認めた「中華民国」は、袁世凱が臨時大総統を名乗った。 . . . 本文を読む








