意識的な方向付け(制度をつくること)をうるさく言う人―すなわち、立案なしに生成したもの(そしてそのメカニズムさえ理解できないもの)が、私たちが意識的に解決できない問題を解決できるなんて信じられないという人―は、次のことを考えるべきだ。重要な問題はごく少数の人の意識のコントロールの範囲を超えて資源を利用するということなのだ。 . . . 本文を読む
社是の「先義後利」は中国の儒学の祖の一人、荀子の「義を先にし利を後にする者は栄える」に由来しています。でも利益を出し、会社を存続させなければ経営責任は果たせない。やはり経営は結果責任です。 . . . 本文を読む
孔子の弟子の子貢(しこう)が楚の国に旅したとき、一人の老人が大きな瓶(かめ)を抱えて井戸の水をくみ出しては、せっせと田に水を注ぎかけていた。骨の折れる作業のわりには、さして仕事がはかどらない。見かねた子貢が老人に声をかけた。「少ない労力で抜群の効果を上げるはねつるべという機械がありますが、それをお使いになってはいかがですか」
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物価が下落傾向にあると需要が減退する。人が物を買わなくなるのである。安価(やす)くなったから飛びついて買うという単細胞など賢明な我が国びとのなかにはいない。来月になったらもっと下がっているだろうからそれまで待とうと買い控える。潮が引くように店頭から客が去る。そして郵便貯金を積み重ねる。市場から通貨を引きあげて箪笥(たんす)預金するに等しい。 . . . 本文を読む
真藤恒さんが播磨造船所に勤めているうち、同造船所が石川島重工業と合併して石川島播磨になり、真藤さんはその常務取締役に就任した。1962(昭和37)年、海運王オナシス(故人。ケネディ未亡人ジャクリーンと結婚したことで知られる)からなんとかタンカーの注文を取りたくて、アテネへ乗り込んだことがある。 . . . 本文を読む
小林という企業家はシャマン(霊との交渉者)的な予知能力、予知したものをビジネスとして具体的にカタチにする能力をもった経営者だった。そして、そのベースになったのは、生来の文学青年的な想像力と、就職して銀行でうだつの上がらない「ペケ社員」として過ごした十数年間に蓄えた遊びの経験だ。仕事より遊びに熱中した時代、小林は自らの想像力にバネを仕掛けていたのである。 . . . 本文を読む
今年97歳になる経済学者ガルブレイスはそれを経済学の「悪意なき欺瞞(ぎまん)」だと告白している。現実の人間がもつ多様性をモデルに組み込んでいないので、一面的で表層的な人間理解のまま経済現象を説明しようとする。その結果、学者の予測が「当たらない」、政策提言が「ステレオタイプで効果がない」などと問題にされるが、それは当然のことである。 . . . 本文を読む
製作に巨費を投じ、興行収入だけでなく関連商品の売り上げも含めて回収しようとする動きはその後一般化する。資金を自前で調達して製作し、メジャーには配給だけを委託するスタイルも急増、映画ビジネスは80年代以降急速に多様化していった。 . . . 本文を読む
同様のゲーム理論で終身雇用の利点を説くのが経済学者の荒井一博一橋大教授。長期的関係を前提とする終身雇用制では「塹壕戦」と同様にノウハウや知識の共有といった協調関係が築きやすくなるというわけだ。逆に成果主義的な要素が強く、人員の流動性が高い組織では社員は自分の利益をより重視し協調は成立しにくくなる。ただ、終身雇用制にも落とし穴はある。特定の人間同士が結託して不公平を生んだり、「不祥事などの温床にもなりやすい」(荒井教授)。 . . . 本文を読む
藤島さんの特技は、いちど会った客の顔と名前は忘れないことだ。ざっと千7百人いるメンバー(会員)はむろん、メンバーの同伴あるいは紹介で来たことがあるビジターのほとんどを覚えている。合わせてその数一万に近いだろう。 . . . 本文を読む
日本経済は個別企業や労働者の集まりであり、企業や労働者はなんらかの産業に属している。産業は経済全体(マクロ)と個別の経済主体(ミクロ)をつなぐもので、「セミマクロ」と呼ばれることもある。今回から日本経済を産業の視点からみていく。産業のウエートは経済成長とともに、第一次産業(農林水産業)から製造業など第二次産業へ、さらにはサービス業など第三次産業へ移行するとした法則(ぺティ・クラークの法則)がある。これは日本にもおおむね当てはまるが、わが国の場合、製造業の強さが特徴的である。 . . . 本文を読む
100年前には先進国においてさえ、圧倒的に多くの人たちが、農場で、ご主人の邸宅で、仕事場で、工場で、身体を使って働いていた。ところが50年前には、アメリカではこの種の肉体労働者の人口が労働人口の半分にまで減っていた。そのころ、肉体労働者のなかでも工場労働者が、労働力人口の35%という単独では最大の階層となった。そして、そのまた50年後の今日、工場労働者を含む肉体労働者全体が全労働人口に占める割合は、四分の一にまで減った。 . . . 本文を読む
日本が白熱電球の国産化に成功したのは、いまから遡ること115年、1890年の話になります。竹のフィラメントで始まった電球が、一世紀を越える歳月を経て進化をとげた照明の姿がLEDです。当面のあいだLEDが究極の電球となることは間違いないでしょう。自ら確かめることはできないけれど、更に一世紀後の照明の姿はいったいどうなっているのでしょうか。ふと、未来の技術革新のゆくえを見てみたい気持ちが起こりました。 . . . 本文を読む