【 그가 땅에 묻혔을때 그의 몸은 흙으로 돌아갔을 뿐이다 】 やがて彼は死に、埋葬されたが、それは土くれが土に戻っただけのことだ。これだけの決意ができる人間なのだから、もっと高邁な精神さえあれば、自分のためだけでなく、人のためにもつくせたにちがいない。 . . . 本文を読む
川島先生は当時、元気はつらつの91歳。元気の秘密は青野菜をどっさり食べることだという。青野菜は血色素を作るのに欠かせないので、毎日たくさんの青野菜を食べている。赤血球が多く、血液もサラサラしてきれいなので、心臓に負担をかけずに血液が体の隅々にまで流れる。血圧が正常、心臓も楽で、顔のつやがいいのは、青野菜のおかげだという。 . . . 本文を読む
そのような中で、「経済の掟」である「モノとお金のバランス」をある程度理解していた人は、「元禄高度成長」の立役者で勘定奉行だった荻原重秀(おぎわらしげひで)、徳川吉宗を改心させ京保の改革を成功させた「大岡越前」こと大岡忠助(おおおかただすけ)、今は相当名誉回復された将軍の御用人の田沼意次(たぬまおきつぐ)、化政文化の原動力となった経済成長を成し遂げた老中・水野忠成(みずのただあきら)などごく限られた幕臣たちでした。 . . . 本文を読む
今から20年ほど前、遺伝子の世界にはまだ地図も図鑑もなかった。その頃ちょうど、分子生物学のテクノロジーが勃興(ぼっこう)し、ひとつひとつの遺伝子を捕らえ、その暗号を解読することができるようになった。私たちはミクロの虫取り網を手にして、今まで誰も手が出せなかったミクロな島の密林へ乗り込んで新種の蝶(ちょう)を探しはじめた。それはほんとうに心躍る日々だった。 . . . 本文を読む
北京市政府は先月26日、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、日本や韓国などを念頭に、「疾病状況が深刻な地域」からの訪問者を14日間自宅隔離する措置を取ると発表した。中国こそが新型ウイルスの発生源であり、日本への「輸出国」なのに、北京が日本からの訪問者を隔離するのは、いかにも本末転倒である。 . . . 本文を読む
ときには宮城まり子さんに頼まれたリサイタルの構成をやり、ラジオの脚本を書く。手塚治虫さんの長編アニメ「千夜一夜物語」の美術監督をしたり、永六輔さんの依頼でミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の舞台装置を手掛けたり。漫画家としてあまり知られていないのにNHKのテレビ番組「まんが学校」の先生役を3年間務めたりもしました。 . . . 本文を読む
我々の食べ物は、空気中の二酸化炭素を植物が取り入れてくれることでできています。おいしいお米の原料は空気中のCO2です。現在の、空気中の二酸化炭素濃度はおよそ400ppmですが、かつて180ppmまで落ちたことがあります。これが150ppmになると、食物は餓死しだします。そう考えた時、二酸化炭素削減論者は「どれだけ削減するか」まで考えなければなりません。「二酸化炭素がなくなれば、我々の食料はどうなるのか」という問題をセットで考える必要があります。 . . . 本文を読む
医師の数を増やすと、医師の過重労働は減りますが、医療機関の経営者はがんばらなければなりません。医療機関の経営者は、サービスをPRしたりサービスの質を高める方策を打ち出すなど、患者に選んでもらうための創意工夫や営業努力が必要になります。医師の数を増やさなければ、そのようにがんばらなくても患者は来てくれます。病院などの経営は成り立ちます。医療機関の経営者はがんばる必要がありません。 . . . 本文を読む
朝鮮戦争の真実を、今はもう誰も語りません。ところが、今の朝鮮半島情勢をもたらした元凶は「朝鮮戦争」(1950~1953年)です。朝鮮戦争はなぜ起こったかということを、まずもう一度考えてみる必要があります。朝鮮戦争は米ソの「ヤラセ」です。それは当時のアメリカおよびソ連の要人の発言や行動を見れば明確にわかります。 . . . 本文を読む
久野収だってそんなことありっこないと知ったうえで、ここは一番、国民を瞞しておくべきだという固い信念に基づいて、見えすいた嘘をならべているのでしょう。史上、いまだかつて共産主義国が「人民の自由と平等の擁護」に努めたことがあるでしょうか。これは言いたい放題の出鱈目であり、誤魔化しであり、虚偽(はったり)であり、欺瞞です。進歩的文化人たる者の一大特色は、自分が信じてもいない嘘八百をならべて平気な鉄面皮なのでしょうね。 . . . 本文を読む
ヨーロッパではそれほどに日本について、アジアについて正確に知ろうとする意識がない。彼らがこのようなヨーロッパ人の目でヨーロッパ中心史観に心を占領されているのはやむを得ないし、彼らの勝手といっていい。問題は日本の歴史教科書執筆者の、日本を見る目が彼らに合わせ、ほぼこれと大差ないことである。 . . . 本文を読む
義満のやったことで奇妙なことはそのほかにもいろいろあるが、一つは出家であり、もう一つは自分の妻を国母にしたことである。彼は応永(おうえい)元年(1394)に急に将軍を辞めて、将軍職を当時9歳の義持に譲ったのである。そのとき、義満は37歳で、すぐに頭を剃って出家するつもりだった。しかし後小松天皇がしきりに止めたので、実際に頭を剃ったのは翌年であった。
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話をもう一度雅楽にもどして、それがいかに古式をとどめているかの逸話を一つ紹介しておこう。戦前のことであるが、当時のシナ政府、つまり中華民国からの外交官(この人は学者)が、次のように語ったと竹越三叉翁(たけごしさんさおう)(1865-1950年。政治家・歴史家。本名与三郎(よさぶろう))は伝えている。 . . . 本文を読む
国家に忠誠を誓うにしても、姿かたちの目に見えない大きい広がりは心を向ける目標とならない。人間がしかと見届け得る対象は結局のところ人間の群れである。国家という映像の焦点(ピント)を絞ってゆけば、国家を具体的に運営している者たちの行動となる。すなわち権力の担当者である。ゆえに国家への忠誠は権力者への奉仕となって収斂(しゅうれん)する。 . . . 本文を読む
たとえば、仕事で何かミスをした時、二度と同じ失敗をくりかえさないようにと勇敢に立ち向かえる人は、おそらくその失敗に感謝する日が必ず来る。一方、まるで人生の終わりのような顔でその失敗を受け止める人は、目の前の被害にばかり気をとられ、そこから何の教訓も得ることはないだろう。 . . . 本文を読む