だれも、二人の主人に仕えることはできない
( マタイの福音書 6:24 )
No man can serve two masters.
( Matthew 6:24 ) - The Holy Bible . . . 本文を読む
ソ連は、以前からも空軍力を誇示してきた。満州事変の前年の1930年8月には、「ソビエトの大地号」(ANT―4型爆撃機)をモスクワからニューヨークまで飛ばせた。それもヨーロッパではなく、シベリアを経由させた。途中、何箇所かで着陸しながらの飛行ではあったが、ソ連の航空技術の優秀さを世界に印象づけた。 . . . 本文を読む
1925年2月、日本公使館を出て天津に避難した溥儀は、蒋介石を恐れはじめ、皇帝への返り咲きを切望するようになっていた。そんな溥儀に、このうえない屈辱と恐怖を味わわせる事件が北伐完了の直後に発生した。北京の東方にある清朝帝室の陵墓が、1928年7月30日から11日にかけて、軍隊によって荒らされたのである。 . . . 本文を読む
「田中メモリアル」は冒頭に、《支那を征服しようと欲するならまず満洲と蒙古を征服しなければならない》として満洲事変を予言し、それは的中した。的中は当然だった。蒋介石自身が画策していたからだ。 . . . 本文を読む
繰り返し印刷され、広範囲にばらまかれた「メモリアル」について、日本の史家は事実の解明を怠ってきた。テキストが何種類あり、どれぐらいの部数がアメリカその他で出回ったのか、それによってアメリカの対日政策がどう歪んだか。これらの点を解明した学者はいるだろうか。 . . . 本文を読む
上海でチャイナ・プレス紙の記者をしていたエドナ・ブーカーによると、支那事変開始の翌年10月には、上海その他アジアに在住するアメリカ人が、支那支援のパンフレットを発行し配布するため、宣教師、実業人、ジャーナリストからなる秘密組織「アメリカ人情報委員会」を作った。 . . . 本文を読む
「メモリアル」が“予言した”満洲事変が起きたことで、アメリカ人はすっかり本物と信じ込み、極東におけるソ連の軍事力増強、日本が支那大陸で兵を動かさざるを得なかった事情などに目を塞(ふさ)がれたも同然となった。 . . . 本文を読む
王子のほうは朝鮮の民衆が捕まえたようなものだから、おそらく行長が行っても捕虜(ほりょ)にできただろう。逆に清正が平安道のほうを行けば、とっくに国王も捕まえて、朝鮮との戦いは終わっていた。本当に戦争は些細なことで決まることがある。指揮官を誰にするかで運命が変わるのである。 . . . 本文を読む
張群は次のようにいう。《国民革命軍の北上を前に日本は済南に出兵(第一次山東出兵)、われわれの北伐を妨害する意図を明らかにしていた。その動機は東北三省(満州)と本土とを切り離し、日本の満州における特殊権益を確保するという大陸政策の遂行にあった。(中略)すでに「田中上奏文」によって青写真が画かれ、田中義一が参謀次長時代から、逐次(ちくじ)実施に移されていた》 . . . 本文を読む
蒋介石軍は、済南に整然と進駐してきた。これを見て、日本軍は支那軍と相談のうえ、日本人街に通じる道路上のバリケードを撤去した。その途端、武装した支那兵が日本人街に通じる道路上のバリケードを撤去した。戦闘が発生し、支那兵による焼き払い、略奪が、夜遅くまで日本人居留地を荒れ狂った。 . . . 本文を読む








