我々はみな等しい才能を持っているわけではない
しかし才能を高めるには我々みな等しい機会を持つべきである
( J・F・ケネディ )
All of us do not have equal talents, but all of us
should have an equal opportunity to develop our talents.
( John F. Kennedy ) . . . 本文を読む
新聞は、連合国最高司令官という外国権力の代表者の完全な管理下に置かれ、その「政策ないしは意見」、要するに彼の代表する価値の代弁者に変質させられた。検閲が、新聞以下の言論機関を対象とする忠誠審査のシステムであることはいうまでもない。かくのごときものが、あたえられたという「言論の自由」なるものの実体であった。 . . . 本文を読む
いずれにせよ言語による表現や説明ではなしに、生に近く直截に視覚に訴えての現実を把握すれば、最早憤慨とか慨嘆とかいったことではすまずに、彼等の価値の質感をそこまで変質せしめたものをどう修正し、価値を「真の価値」として取り戻すかを本気で考えざるをえません。 . . . 本文を読む
こうした実態を眺めながら私が思い出すのは、前述のレイモン・アロンが、時あたかも先進社会において学園紛争が熱病のようにといおうか、むしろ若い世代における徒(いたずら)なファッショのように蔓延していた頃でしたが、話題がそれに及んだ時肩をすくめながらシニックにいった言葉です。 . . . 本文を読む
日本は外国の侵略をほとんど受けたことがない世界でも珍しい国である。自力で外国の圧力をはねのけえたことは、日露戦争をのぞいては一度もない。そのロシアにしろ実は内部がくさっていた。したがって日本人の防衛論は激するか臆(おく)するかの感情の極端に分かれるだけだった。現在は敗戦でその臆した側面が極端に強くなって出ているのである。 . . . 本文を読む
怒りが爆発しそうになったら、自分の願いを思い出しなさい。自分の目指すゴールをはっきり頭の中に描き、口に出してみなさい。給料が上がるのが望みなら、穏やかに振る舞い、口論などふっかけるべきではない。『あの上司に、どんなに自分がけちな人間なのかわからせてやらなきゃ』などといわないこと。『わたしの昇給に、OKを出してもらうわ』といいなさい。 . . . 本文を読む
日本人は、今次大戦のこの上もないほどの完敗によって亡国の民となった。名目上の独立は与えられものの、実体は新しい形のアメリカの属国でしかない。ために私たちは、国民としても、個人としても、独立国民としての気概、独立自尊の心を失い、責任感というものを亡失した人間となった――現在もなったままである――。 . . . 本文を読む
ある日、招かざる客、無慈悲な強い風が、しあわせに暮していた「種(たね)」の一家を襲い、罪のない子供の「種」をさらっていった。やがて、襲撃の遊びに飽きた風は、か弱い「種」を見知らぬ岸辺に放り出して去っていった。 . . . 本文を読む
あなたがゴールを設定し、決断をくだし、書類に判を押した時点で、すでにトラブルの芽は生まれていると言えないだろうか。ここで、積極思考人間は、自分でまいた種を自分で刈り取るのは当然だと前向きに考えるが、不可能論者は、自分の不遇を他人のせいにする傾向がある。自分を犠牲者だと考えるのだ。 . . . 本文を読む
さて、尖閣諸島の安保による防衛に関してのモンデールの発言ですが、実はこの発言には、というよりも安保条約そのものにはある大切な伏線があるのです。はたして彼がそれを熟知して発言したのかどうかはわからないが。 . . . 本文を読む
国民の生命と安全を守ることは、国の最重要な責務。国=政府は、自衛隊や警察を持つ権利や徴税権を与えられているのだから、邦人保護を放棄したら、国は存在価値がなくなるのだ。宗教団体は「信じる者しか救わない」でいいけれど、政府は政策を支持する者もしない者も救う義務がある。 . . . 本文を読む
自分も物を書くようになってからは、どんな真面目な主張や悲しい物語、悲憤慷慨(こうがい)型の時評を書く場合にも、常に「笑える」部分を挿入するよう努めてきたし、必ず笑わせることができる技術についても、無関心ではいられなかった。 . . . 本文を読む
優秀で思いやりのある師を探すのに、どんな邪魔も許してはいけない。師と仰ぐ人をもつと、いらない過ちをいくつも避けられ、長期にわたってその見返りを収穫できる。そして、師に対する最善の恩返しは、自分がその立場に立ったら、同じように喜んでだれかの師になると約束することである。 . . . 本文を読む
戦後から今日までつづいた平和の中で顕在したものや、江藤淳の指摘したアメリカの手によって『閉ざされた言語空間』のように隠匿されたものを含めて、今日まで毎年つづいてアメリカからつきつけられている「年次改革要望書」なるものの実態を見れば、この国がアメリカに隷属しつづけてきた、つまりアメリカの「妾」にも似た存在だったことは疑いありません。 . . . 本文を読む