ファラデーはもともと製本屋の小僧だったので、正規の教育を受けた経験がなかった。それが物理学の道に進むことになったのは、十代の終わりころ大科学者のハンフリー・デービーの、イギリス王立協会での講演を聞いたことがきっかけだった。この講演にひじょうに感銘を受けたファラデーは、その話をノートにして自分で製本し、デービーにプレゼントした。
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「主役には、演技はダイコンでも、牛肉のように存在感のある役者。脇を固めるのは、しっかりした演技のできる器用な味付け役者。そこにくさい演技のニンニク役者を利かせて、無味無臭の自然なミネラルウォーターのような役者で煮込むんだ」 . . . 本文を読む
「多くの人々の才腕は最後には欠点になってしまう。その欠点は老いるにつれて、ますます明らかになる」とサント・ブープ(フランスの文芸批評家)も指摘しているように、知恵だけで生きてゆくと、人間は「驕慢」になる。その「驕慢」を是正するのは自分自身の「心の約束」つまり「戒律」をもつことだ。その意味でローマの賢帝、マルクス・アウレリウスの『自省録』はいまだに読みつがれている名著だが、その中の「自戒」は特に参考となる。 . . . 本文を読む
アーネスト・セリアーニから始まったユージン・スミスをめぐる知の旅は、『ユージン・スミス 楽園へのあゆみ』に解説を書いた長倉洋海さんで終わる。夢から多くのことを学ぶ伝統をもつクレナック族を始めとしたアマゾンの先住民を取材した写真集『人間が好き―アマゾン先住民からの伝言』を出したフォト・ジャーナリストだ。ユージンは、取材対象となった人と長い時間をかけて生活を共にするなかで写真を残してきた。長倉さんも世界の紛争地を取材する13年間の体験を通じて、取材に時間をかけるスタイルになっていく。時間をかけることによって初めて見えてくるものがあるのだ。 . . . 本文を読む
1972年1月7日、水俣病の患者さんたちは千葉県市原市五井にあるチッソ五井工場の従業員と話し合いをすることになっていた。ところが話し合うはずの従業員はいつまでも出てこない。出てくるまで待たせてもらうために、患者さんと、同行した新聞社の人たち約20人が守衛室に入る。ユージンとアイリーンも一緒だった。午後になって間もなくのこと、守衛室で待つ人たちに、およそ200人のチッソの従業員が襲いかかった。この暴行事件によってユージンは、水俣病の取材をつづける決意をますます強く固めることになる。 . . . 本文を読む
『生きかた上手』で知られる日野原重明先生が「健康と医療フォーラム」で基調講演を行なった。長寿日本といいながら、日本は子供を産まなくなったから平均寿命が延びただけだという。しかも、日本人の百歳以上は寝たきりが3分の2。米国人では圧倒的に自立している人が多いといった違いもある。常識のウソがポロリと露呈した。 . . . 本文を読む
多くの偉人は、母の影響を強く受けて育つ。ユージン・スミスは、「カントリー・ドクター」や、「慈悲のひと シュバイツァー」、「水俣」を撮ったフォトジャーナリストとして広く知られている。そのユージンに写真の道をひらいたのは、アメリカ・インディアン、ポタワトミ族の血を引く母のネティだった。 . . . 本文を読む
東北大学は、中国共産党人民解放軍の極超音速ミサイルの技術開発には間接的に協力する一方、自衛隊の防衛技術への協力は拒否していることになります。監督官庁である文部科学省は、国立大学法人が国家安全保障に反する行為を行うことを黙認してきました。このことは非難されて当然です。極超音速ミサイルは現在の技術では迎撃不可能なもの。わが国由来の技術が中国の留学生により持ち出され、軍事転用されて日本の安全保障を脅かした責任は重いのです。 . . . 本文を読む
同博士は14日付のサンデー・タイムズ紙で「アフリカの将来を悲観している」とし、「社会政策はすべて、彼ら(=黒人)の知性が我々の知性と同じだという前提を基本にしているが、すべての研究でそうなっているわけではない」と語った。さらに「黒人労働者と交渉しなければならない雇用主なら、そうでないことを分かっている」と続けた。 . . . 本文を読む
44年8月から45年3月の間、小笠原諸島の父島の陸海軍部隊が「戦意高揚」と称して米軍捕虜数人を軍刀の試し切りなどで殺害し、遺体の一部を食べた事件だ。この裁判では14人が起訴され、首謀者として陸軍の師団長だった立花芳夫中将、的場末男少佐ら5人が絞首刑となった。 . . . 本文を読む
わが国は共産主義ソ連の従属国になるべきだ、という聞く耳を疑わざるをえないほどの破天荒な提唱を、真正面から堂々と新聞紙上に公表した人物がいます。私の知るかぎり日本史上にもひじょうに珍しい、極点に卑屈な、売国奴の根性を丸出しにした発言でした。ソ連従属論から14年経った時点で、すなわち、神聖な共産主義ソ連が崩壊するに及んでは、今度は従属の相手を別に求めなければなりません。従属どころか、いっそ併合してもらったらいいというのですから、話は究極まで突っ走ります。 . . . 本文を読む
古代には古代人に特有の観念があり、価値観があった。それを今から簡単にどうこう言うべきではないという慎重さと、見えない遠い世界への“畏れ”の意識があったなら、それだけでも、あんな薄っぺらなばかばかしい記述は、恥しくて書けないであろう。日本の教科書でおかしいのはなにも近現代史に限っていない。すでに古代史からして滅茶苦茶である。 . . . 本文を読む
日本で南北朝が合一した1392年に、朝鮮では高麗が亡んで李氏の朝鮮が興った。この朝鮮の歴史的転換の大きな原因となったのは、日本の海賊、つまり倭寇である。日本国内では鎌倉末期から南北朝にかけての政変があったころ、それとはおかまいなしに、西日本の沿岸地帯の豪族は、私貿易と掠奪を兼ね合わせたような活躍をやっていた。しかも、それは隣国の王朝を引っくり返すほどの力になっていたのである。 . . . 本文を読む
唐の均田法の主旨は生産能率の向上であり、労働力に応じて土地を配分するという近代的な発想にもとづくものであった。これに対するわが国の班田法は、豪族の土地私有を抑えて、公民の生活を安定しようというものである。したがって唐制において土地を持つことのできる者は、18歳以上の男子のみであるのに対し、日本においては6歳以上の者は男女子(だんじょし)ともに土地をもらった。 . . . 本文を読む
物価が下落傾向にあると需要が減退する。人が物を買わなくなるのである。安価(やす)くなったから飛びついて買うという単細胞など賢明な我が国びとのなかにはいない。来月になったらもっと下がっているだろうからそれまで待とうと買い控える。潮が引くように店頭から客が去る。そして郵便貯金を積み重ねる。市場から通貨を引きあげて箪笥(たんす)預金するに等しい。 . . . 本文を読む