わずかなクッキーを隣家にプレゼントしても、「ありがとう」の一言がなかったらおもしろくない。「持ってゆかねばよかった」とさえ思えてくる。「あァ、この間のクッキー、不出来だったでしょう?」と、後日、みえみえの礼の催促をするありさまだ。 . . . 本文を読む
ところで、教育出版の『中学社会 公民 ともに生きる』第3章の「1 民主主義と日本の政治」のページでは直接民主制を褒めたたえ、スイスの写真が掲載されています。現在も人口の少ない一部の洲で行われている、市民が広場にあつまって挙手で決めていく直接民主制の写真です。これはどういう意味ですかね。
. . . 本文を読む
各人の生命保持のための自然権が、かえって各人の生命を脅かしてしまうという逆説に気づくこと、これが大事です。そしてそこに、自らの権利をすすんで捨てよう、という話が出てくるわけなのです。それでも、やはり相手を疑いだしたらきりがない、ということになる。そこでホッブズが持ち出すのが「共通の力」なるものです。 . . . 本文を読む
自分の命を守ろうと思ったら、ただの正当防衛なんかじゃダメです。殺られる前に殺れ! という怖ろしい状況です。あいつはちょっと目つきが悪い、たぶん俺の懐にあるこの食料を狙っているなと感じたら、予防線を張って相手を殺す。自分の生命を守るためにはそういうことをする自由もある、というのが、ここでホッブズの言う「自然権」なのです。 . . . 本文を読む
「自分で自分に公正な判断を下すモノサシ」になるものがある。それは中江藤樹という江戸時代の学者がいった。「人間の心の奥にある鏡」のことだ。藤樹は、「人間は、だれでも心の奥に鏡を持っている。これをいつも磨いておくことが必要だ」と告げる。つまり、「心の鏡を磨いて明るくしておけば、判断は決して誤ることがない」ということだ。 . . . 本文を読む
国民主権を声高にとなえて革命のイデオローグとなったのが、シェイエス(エマニュエル=ジョゼフ・シェイエス Emmanuel-Joseph Sieyes 1748~1836 聖職者。総裁政府の5人の総裁のひとり)でした。貴族と僧侶とは国民の資格を持たない。一番下の第三身分の平民こそが国民だ、と宣言して「国民主権」をとなえました。そして実際に、国民が「最高の力」をふるって、王様の首を切る。さらには、この「国民」の持つ「最高の力」は、フランス国内の国民たちにも襲いかかりました。 . . . 本文を読む
哲学者カントの言葉に「親切は、不平等を通じてのみ現われる」という言葉がある。カントは「親切は不完全義務であって、道徳的行為ではない」とも言う。カントは決して親切そのものが嫌いな冷たい人間ではなかった。しかし彼は親切それ自体の美しさよりも、「親切」という行為がもたらす人間の優越感・劣等感・軽蔑・卑屈、そういうものに執拗な関心と批判を注いだのだ。 . . . 本文を読む
13.12.31
誰もが山の頂上に暮らしたいと思う
だが幸福や成長はみな登る途中にあるのだ
( アンディ・ルーニー )
Everyone wants to live on top of the mountain,
but all the happiness and growth occurs while you're climbing it.
( Andy Rooney )
13.12 . . . 本文を読む