英側は対応が遅れたにもかかわらず、性能でははるかにまさる火砲を持つ英国艦隊の反撃は効果的だった。この日のうちに薩摩側の全砲台がほぼ大破し、集成館と城下の一部は火の海に包まれた。とはいうものの薩摩側の戦死者5人、負傷十数人に対して英側は旗艦艦長・副長をはじめ死者13人、負傷者は50人にのぼった。 . . . 本文を読む
イギリスは薩摩との砲撃戦で、旗艦ユーリアラス艦長ジョスリング大佐、および副長が戦死。またパーシュース号は錨を切って逃げた(錨を敵側に取られるのは大変な恥とされている)。人員の損傷からみると薩摩藩は死者3名、負傷者5名。イギリス側は死者22名、負傷者45名である。 . . . 本文を読む
菅直人元首相は、「吉田所長の死を惜しむ」と題する10日付のブログで次のような自己弁護と他者攻撃を展開した。「当時安倍晋三氏(現首相)は『海水注入を止めたのは菅総理。即刻辞任しろ』とメルマガで私への辞任を迫った。東電本店のウソの情報を振りかざして、原発事故までも政争の具にしようとした」。 . . . 本文を読む
米内がソ連に対して、憧憬(しょうけい)といってもよいほどの親近感を抱いていたことも見逃せません。ソ連とは友好関係を保たなければならない。これが彼の一貫した姿勢でした。米内は親米だから三国同盟に反対したのではなく、親ソだから反対したのです。 . . . 本文を読む
日本は実際は勝利していたにもかかわらず、情報不足と国際情報認識のなさから日本が負けたと錯覚し、休戦に応じました。何よりも残念なのは、日本はノモンハンに負けたと錯覚して、ソ連に対して弱気になってしまった。その結果、日本陸軍伝統の北進論の矛先が鈍ってしまいました。 . . . 本文を読む
宗教に死ぬことは宗教を完全に生き切ることよりも容易い
( ホルヘ・ルイス・ボルヘス )
To die for a religion is easier than to live it absolutely.
( Jorge Luis Borges ) . . . 本文を読む
【荒川】 そう、忘れもしないね。昭和29年11月23日の、午後2時頃だ。当時24歳だった私は毎日オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の選手だったけれど、その頃のプロ野球には秋季練習なんてなかったから、暇を持て余して近所の隅田公園へ出掛けていった。そしたらそこに凄いピッチャーがいたんだ。 . . . 本文を読む
韓国は右から左に流れ作業で世界の言語に翻訳していますね。3百ページの本が2週間もあれば翻訳されてしまう機動力は日本も見習うべきでしょう。日本にはこれだけ英米人がいるのですから、高給を支払えばいくらでも訳してくれます。 . . . 本文を読む
ベトガー自身は生まれもって情熱的だったわけではなく、「青年時代の私は無愛想で、ひねくれた性格で、人づきあいは悪く、まことにもって可愛気のない若者だった」と著書に記しています。そんな彼に影響を与えたのはデール・カーネギーでした。 . . . 本文を読む