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電脳筆写『 心超臨界 』

強みは物理的な能力がもたらすものではない
それは不屈の信念がもたらすものである
( マハトマ・ガンディー )

論語 《 子曰く、人の己を知らざるを患えず 》

2024-02-29 | 03-自己・信念・努力
子曰く、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり。 . . . 本文を読む

論語 《 子貢曰く、貧にして諂うことなく 》

2024-02-28 | 03-自己・信念・努力
子貢曰く、貧にして諂(へつら)うことなく、富みて驕るなきは何如(いかん)。子曰く、可なり。未だ貧にして道を楽しみ、富みて礼を好む者に若かざるなり。子貢曰く、詩に云う、切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨するが如し、と。其れ斯れの謂いか。子曰く、賜(し)や、始めて与に詩を言うべきのみ。これに往くを告げて、来るを知る者なればなり。 . . . 本文を読む

論語 《 子曰く、君子は食に飽くを求むるなく、居に安きを求むるなし 》

2024-02-27 | 03-自己・信念・努力
子曰く、君子は食に飽くを求むるなく、居に安きを求むるなし。事に敏にして言に慎み、有道に就いて正す。学を好むと謂うべきのみ。 . . . 本文を読む

論語 《 有子曰く、信は義に近ければ、言うこと復すべきなり 》

2024-02-26 | 03-自己・信念・努力
有子曰く、信は義に近ければ、言うこと復すべきなり。恭は礼に近ければ、恥辱に遠ざかるなり、因にて其の親を失わざれば、亦た崇(たっと)ぶべきなり。 . . . 本文を読む

■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』

2024-02-26 | 05-真相・背景・経緯
〈西川京子議員による南京問題終結宣言〉 「1937年12月13日以降、1月、2月、日本軍が大虐殺30万人をしたよという、そういうあれの中で、じつは日本に一番厳しい目を向けていたロンドン・タイムズ、ニューヨーク・タイムズ、この期間のこの新聞社は何も1行もこの問題を報道してません」 「国際連盟の時に、中国の顧維鈞外相がその当時2万人という数を出してきましたが、2万人の南京市民と婦女子を虐殺、暴行した . . . 本文を読む

論語 《 有子曰く、礼をこれ用うるには、和を貴しと為す 》

2024-02-25 | 03-自己・信念・努力
有子(ゆうし)曰く、礼をこれ用うるには、和を貴しと為す。先王の道も斯(これ)を美と為せり。小大に之に由(よ)らば行われざる所あればなり。和を知りて和するも、礼を以て之を節せざれば、亦行うべからざるなり。 . . . 本文を読む

論語 《 子曰く、父在すときは其の志を観 》

2024-02-24 | 03-自己・信念・努力
子曰く、父在(いま)すときは其の志を観、父没すれば其の行を観る。三年父の道を改むることなし。孝と謂うべきなり。 . . . 本文を読む

論語 《 子禽、子貢に問うて曰く、夫子の是の邦に至るや、必ずその政を聞く 》

2024-02-23 | 03-自己・信念・努力
子禽(しきん)、子貢に問うて曰く、夫子(ふうし)の是の邦(くに)に至るや、必ずその政を聞く。之を求めたるか、抑(そもそ)も之を与えられしか。子貢曰く、夫子は温良恭倹譲にして以て之を得たり。夫子の之を求めしや、其れこれ、人の之を求むると異なるか。 . . . 本文を読む

論語 《 曾子曰く、終わりを慎み、遠きを追うとあり 》

2024-02-22 | 03-自己・信念・努力
曾子(そうし)曰く、終わりを慎み、遠きを追[えば、]うとあり、民の徳、厚きに帰[す。]せしかな。 . . . 本文を読む

論語 《 子曰く、君子重からざれば威あらず 》

2024-02-21 | 03-自己・信念・努力
子曰く、君子重からざれば威あらず。学べば固(こ)ならず。忠信を主とし、己(おのれ)に如かざる者を友とするなかれ。過ちては改むるに憚(はば)かること勿(なか)れ。 . . . 本文を読む

教えない歴史1 《 日本の人種平等案を否決したアメリカ――安達弘 》

2024-02-20 | 04-歴史・文化・社会
なぜ、ウィルソンは日本の提案を否決したのでしょうか。当時、アメリカはアジア人・黒人と白人の間の人種問題を国内に抱えていました。ウィルソンは日本の提案した「人種平等案」が国際連盟の規約の中にもりこまれてしまうと、その影響を受けてアメリカの人種問題がさらに大きく広がってしまうと考えたのです。 . . . 本文を読む

教えない歴史1 《 迫害された日本人の移民たち――藤岡信勝 》

2024-02-20 | 04-歴史・文化・社会
日本人の働き口は鉄道建設工事、農園、鉱山などでした。もちまえの勤勉さでよく働き、お金をため、小さな土地を手に入れる人もいました。日本人の得た土地はもっとも荒れたところでしたが、数年後にはそこからもっとも立派な農産物が収穫されました。なかには、商店を経営する人もあらわれました。ところが、こうした日本人の努力はアメリカ社会には歓迎されず、かえってにくしみを買いました。 . . . 本文を読む

教えない歴史1 《 日露戦争直後から日本との戦争計画――斎藤武夫 》

2024-02-20 | 04-歴史・文化・社会
日露戦争はヨーロッパの国々にも「大きなしげき」を与えました。アジア人なら好き勝手に支配してもいいのだという自分達の考え方が、これからは通用しないかもしれないという恐れでした。それをいちばん強く感じていた国が、皮肉なことに、日露戦争の講話で日本を助けてくれたアメリカでした。アメリカにとって日本が目の上のたんこぶになってきたのです。日露戦争後、すぐに「これから一番の敵になる国は日本だ」と考えるようになります。 . . . 本文を読む

教えない歴史1 《 満州の利権めぐり対立始まる 》

2024-02-20 | 04-歴史・文化・社会
ルーズベルトの仲立ちで、1905年8月29日に日露講和条約が結ばれました。これをある教科書は、次のように書いています。「条約によって、樺太の南半分を日本の領土にすること、ロシアが清国(しんこく)から借り受けていたリャントン半島と、南満州の鉄道の権利を日本にゆずること、などが決められた」。この時、来日中のアメリカの実業家ハリマンが政府に「資金を提供するので、南満州鉄道を日本と共同経営しよう」と提案しました。 . . . 本文を読む

教えない歴史1 《 ルーズベルトに救われた日本 》

2024-02-20 | 04-歴史・文化・社会
日本海海戦で勝利した時点で、軍事費は国家予算の8年分を使いきっていました。日本の国内には補充する兵隊がもう残っていませんでした。一方、満洲に新手(あらて)を加えて終結した70数万のロシア軍がいました。戦争が続くと、疲れて弾薬も乏しくなっている25万の日本軍に壊滅(かいめつ)的な打撃をあたえるでしょう。なんとかして講和に持ち込みたいと思った日本政府は、アメリカに派遣していた金子堅太郎を通して、アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトに、講話の仲立ちをしてくれるよう依頼しました。 . . . 本文を読む