宥和政策を支持する者はワニを肥らせて
最後にはそのワニに食われることを望む者である
(ウィンストン・チャーチル)
An appeaser is one who feeds a crocodile,
hoping it will eat him last.
( Winston Churchill, British politician, 1874-1965 )
. . . 本文を読む
NHKはどうも中国の国営中央テレビ(CCTV)とあまり変わらないではないかと感じていたら、実際にこの両者は異様なほど緊密な一体関係にあることを知った。「異様」というのは、NHKとCCTVが北京にホテルやマンションを経営する合弁企業をつくっているからである。
. . . 本文を読む
さて、私たちの身を潤してくれる徳について書いてきたが、もう一つ考えさせられる話を紹介しよう。前出の東井義雄校長は、熊本市に講演に行ったとき畏友の徳永康起(とくながこうき)さんに一度奥様の足の裏を揉(も)ませてもらったらいいとすすめられて、嫌がる奥様に頼み込んで、うつぶせになってもらった。
. . . 本文を読む
例えば果物(くだもの)にはリンゴとかミカン、バナナという名前がありますが、果物という名前のものがあるわけではないのです。それと同様のことが心にもいえるのです。心というものがあるわけではないのです。我々はその心に伝達された五つの感覚や感情、思考のはたらきを統合して認識し、「生きている」という実感を得ているのです。
. . . 本文を読む
戦後補償論が出てきた背景としては、国交回復当時の事情を知らぬ、戦後生まれの政治家と官僚が日本に増えてきたことが大きいであろう。彼らは自分が“無知”であることを知らないのである。それは“国賊的無知”と言ってよかろう。
. . . 本文を読む
ウィキリークスはスウェーデンでは新聞社、フランスでは財団法人、オーストラリアでは図書館として登録されている。各国の法制度を熟知した上で、自分たちの活動を進める上で最も適した形態を取っているのである。
. . . 本文を読む
明治政府になったら国民全部がひとつになって苦楽をともにしなければならない。そうでなければ外国との戦いには勝てない。つまり板垣が「四民平等」というとき、それは富や権利の平等だけではなく、兵士になって国のために戦い、そして死ぬことでも平等でなければならないといっているのです。
. . . 本文を読む
あるシンポジウムで防衛庁の情報部門の中枢にいる方――ご職名は何ていうのかな――のお話を聴きました。約2千人の日本の局員がロシアや中国や北朝鮮の電波を傍受する仕事に従事しているそうでありますが、そのトップにおられる方が定年退官されて話されたんです。
. . . 本文を読む
金丸信が社会党副委員長の田辺誠と組んだ訪朝団がありました。金日成から植民地支配の償いだけでなく戦後の償いまで求められ、唯々諾々(いいだくだく)と了承して帰国したあの訪朝団。戦後の償いとは、朝鮮戦争の賠償のことです。話を聞いてびっくりしたのは韓国とアメリカでした。
. . . 本文を読む
ナチスによるユダヤ人の迫害にユダヤ人自身の組織的協力があったことは戦後早くに世界に衝撃を与えました。同様に、占領政策には被占領国民の側の協力が必ずあります。それにハーバート・ノーマンのような外交官が嚙んでいるかもしれません。GHQの内部人事もからむでしょう。東京裁判や公職追放令で日本の戦争責任者が問われていた時代でした。
. . . 本文を読む
裏長屋の行き止まりの所に貧乏大工の呑んだくれがしけこんでいた。これは非常に腕がいいんだけれども、なにさま酒癖が悪い無精者で、朝から酒ばかり飲んで働かない。そのためにだんだん人に見放されて、情けない路地奥の九尺二間にくすぶっていた。
. . . 本文を読む
「子供がつくる“弁当の日”を実施します」。すべてはその日からはじまった。四国の小さな町に小学校で校長をしていた竹下和男は、PTA総会で、そう宣言した。2001年のことである。総会に出席していた母親たちからブーイングが起こった。
. . . 本文を読む
歴史は連続しているというのは当たり前のことですが、どこからどこまでという具合に短く区切って考えるものではありません。過去から有機的に繋がっているからこそ未来に繋がっていく。そうであるにもかかわらず、いまの日本では困ったことが起こっています。
. . . 本文を読む
これは多数講和(サンフランシスコ講和条約)なのだ。全面講和するためにはアメリカとソ連の話がつかなければならないが、その見込みはない。全面講和を待っていると、日本はずっと占領されたままになるが、それでもいいのか。(小泉信三)
. . . 本文を読む
横田めぐみさんの母親・早紀江さんは「うちでは何十年も朝日新聞だけをずっと取っていたが、めぐみの報道があってから産経を取りはじめた」と語っている。また父親の滋さんも99年8月31日付けの朝日新聞の社説にあった「日朝の国交正常化交渉には日本人拉致疑惑をはじめ障害がいくつもあった」との記述にいきどおり、朝日新聞の購読をやめたと振り返っている。
. . . 本文を読む