文科省はなぜ自由社の175箇所の反論をただの1つも認めず、全てに「否」の判定をしたのか謎であったが、文科大臣の回答を見て謎が解けた。検定意見の誤りを1つでも認めたら「一発不合格」制度が論理的に崩壊するからである。教科書調査官「無謬(むびゅう)神話」こそがこの制度の唯一の根拠である。間違うかもしれない生身の人間が国家によって絶対的な権力を付与されて民間の業者を思いのままに切り捨てることができる制度は、独裁国でなければ正当化し得ない。 . . . 本文を読む
戦後の日本では、「日本軍の南部仏印進駐への対抗として、石油禁輸と資産凍結が発動された」と我々は教えられてきました。ところが、最近、明らかになったイギリスの暗号解読文書を読むと、すでに1941年の6月の時点で、米英は7月末に予定されていた日本による南部仏印進駐の動きをいち早くつかんでおり、これを口実として対日石油禁輸へ踏み込もうという動きが出てきます。 . . . 本文を読む
最近の米国で流行(はや)っている「新しい英語」がある。日本ではまだあまりなじみがないと思うが、「woke」「virtue signaling」という2つの「造語」だ。この単語を知ると、米国で左翼系の人々を中心に、なぜ「慰安婦問題」が誤って理解され関心が持たれるのか、問題点が分かるかもしれない。 . . . 本文を読む
安倍晋三首相が10日の衆院予算委員会で、教科書検定制度の見直しに言及した。「前回の(第1次)安倍内閣で教育基本法を改正し、教育の目標に伝統文化の尊重や愛国心や郷土愛も書いたが、検定基準では改正基本法の精神が生かされていない。検定官(教科書調査官)自体にその認識がない」と述べた。 . . . 本文を読む
アメリカはシナ大陸に利権を求めたいがために、日本をいじめすぎた。排日移民法を作り、のちには石油を止めることもやった。また真珠湾には大艦隊を集結させた。しかも、近代国家として日本が存在できないような経済封鎖を行った。 . . . 本文を読む
本人は精一杯のお世辞を言ったつもりであり、さらには気のきいた座興の言葉であると思って得意になっているのかもしれませんが、傍(はた)で聞いていても嫌な気がするし、まして相手側にしてみれば、すっかり興醒めするという類いの、愚かで卑屈な放言というものがあるものです。 . . . 本文を読む
関東軍において、石原将軍と並び称せられた板垣征四郎(いたがきせいしろう)将軍はA級戦犯として訴えられ、のちに死刑になっているのである。ところが、極東軍事法廷の検察団は、石原将軍を訴追するどころか、審問しようともしないのである。
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「政治はまず構想力であり、それがなければ目の前の問題に実務的に対処していくことを得意とする官僚体制への依存を断ち切ることはできない」。つまり「過去の延長で少しずつ改善してこと足れりとするのではなく、いったん未来に身を移して、そこから現在を捉え直すという考え方」が縷々述べられているのだが、これはまさに革新派あるいは昔からの改革主義者たちの常道的なものの考え方である。 . . . 本文を読む
南朝と北朝の皇室を仲なおりさせても、多年、南朝の支持をしてきた勢力を悦服(えっぷく)させる(よろこんで従わせる)という大仕事が残っているのである。そしてこの勢力は、武力で簡単に片付く性質のものではないことを義満は知っていた。 . . . 本文を読む
イギリスなどでも、貴族なんかは説教を聞いたり、『自助論(セルフ・ヘルプ)』(スマイルズ著)などの教訓書は読まない。実力でやっていかなければならない人たちが教訓を求めるのである。今の世の中でもハウ・ツウ物など読む人たちは意識が中産階級的で、実力がなくなると転落するおそれがある階級にいることを、心のすみにでも持っている人である。
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11カ国の公使館員を中心につくられた義勇軍の中で、日本人義勇兵は柴五郎(しばごろう)中佐指揮の下、最も勇敢にして見事な戦いぶりをみせた。事件を取材して『北京籠城』を書いたピーター・フレミングは、「柴中佐は、籠城中のどの士官よりも有能で経験も豊かであったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。日本人の勇気、信頼性、そして明朗さは、籠城者一同の賞賛の的になった」と書いている。 . . . 本文を読む
1896年に発足したノーベル賞の第一回医学賞を受賞したのはドイツのベーリングであった。ベーリングと北里とは、同じコッホ博士の研究室の同僚であり、ベーリングの受賞理由となったジフテリア菌の血清療法の研究は、彼が北里と破傷風菌の共同研究を行い、北里が血清療法を創案したことが原点になっているのだから、“本家”の北里にノーベル賞が与えられていても不思議ではなかった。 . . . 本文を読む
清国は、日本との条約を無効にするためなら、ヨーロッパの国にはいかなる報酬を与えてもよいと言い出した。そこで、帝国主義に固まっていたドイツとフランスが「東洋平和」を名目に、ロシアと呼応して遼東半島を清国に返還せよと要求した。日清講和条約の正式調印から1週間もたっていなかった。これがいわゆる三国干渉である。 . . . 本文を読む








