電脳筆写『 心超臨界 』

今日のあなたはあなたの思いが導いたもの
明日のあなたはあなたの思いが導くもの
( ジェームズ・アレン )

英国の自転車が二台無駄になった――阿川弘之さん

2014-04-24 | 04-歴史・文化・社会
チャーチルの出身校ハロー・スクールの博物学教師でピーター・ブレナンという人がいました。1914年の夏休み、某伯爵の一人息子16歳と一緒に自転車旅行に出かけ、サイクリングの途中、欧州大戦(第一次大戦)が始まったこと、英国がドイツに宣戦布告したことを知ります。 . . . 本文を読む

イギリスで最も大切なものはユーモアだ――阿川弘之さん

2014-04-23 | 04-歴史・文化・社会
藤原正彦さんが16年前に新潮社から出した『遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』(現・新潮文庫)は僕の愛読書で、何遍も読み返してますが、それはこのケンブリッジ滞在記が、英国人のセンス・オブ・ヒューモアという意外にむつかしい問題を考えるのに、大変参考になるからです。 . . . 本文を読む

カッサンドラになる覚悟――塩野七生さん

2014-04-18 | 04-歴史・文化・社会
古代のギリシア民族が神話・叙事詩・悲劇・喜劇を通して創造した人間の種々の相は、2千5百年が過ぎた現代でもその適確さをまったく失っていないが、その一人にトロイの王女カッサンドラがいる。この王女に恋した男神アポロンは、将来を予見する能力を贈物にすることで彼女に迫った。目的はもちろん、ベッドを共にすること。多神教の世界であった古代では、神々といえども人間的なのである。 . . . 本文を読む

よろしく公論を百年の後に俟(ま)って玉砕せんのみ――河井継之助

2014-04-13 | 05-真相・背景・経緯
いずれが正しいか、その論議がおちつくのは百年のちでなければならない。歴史は百年たてば鎮(しず)まるであろう。その百年の後世に正邪の判断をまかせるべきである、というのが、東洋の価値観であった。その百年のちの理解をまって、いまはただ玉砕せんのみ、というのである。全藩戦死することによってその正義がどこにあるかを後世にしらしめたいという。 . . . 本文を読む

金銀ふたつながらの本位――司馬遼太郎

2014-04-13 | 04-歴史・文化・社会
「だいじょうぶか」と、藩主の牧野忠恭(ただゆき)がきいた。「だいじょうぶでございます」。継之助にいわせると、すでに改革はうごきだしている。建築でいえば、縄張(なわば)りをし、図面をひき、基礎をつくり、棟あげまでおわった段階である。あとは屋根をふいたり壁をぬったりするだけのことだから、藩の秀才たちにまかせればいいであろう。 . . . 本文を読む

「バターン死の行進」の真実――渡部昇一教授

2014-04-12 | 04-歴史・文化・社会
日本軍がようやくバターンに進み、コレヒドールを陥(お)としてみると、驚くべき数の兵隊が降参してきた。日本は4万ぐらいだろうと踏んでいたら7万5000の投降兵があったと言います。倍近い数です。4ヵ月の間にマラリアにやられたりして、すでに戦える状態ではなかった兵隊も多かったわけです。 . . . 本文を読む

「世界制覇の共同謀議」という荒唐無稽――渡部昇一教授

2014-04-08 | 04-歴史・文化・社会
私が予(あらかじ)め侵略思想または侵略計画を抱持して居ったというが如きは全く無稽(むけい)の言であります。又私の知る限り閣僚中斯(かか)る念慮を有(も)って居った者は一人もありませんでした。 . . . 本文を読む

平成26年 4月 名言との出会い

2014-04-07 | 10-名言との出会い
H26.04.30 すべての行為は思いがもたらすもの だから問題は何を思うかである ( サティヤ・サイ・ババ ) All action results from thought, so it is thoughts that matter. ( Sai Baba ) H26.04.29 よい手本はよい教えよりはるかに良い ( ドワイト・L・ムーディー ) A good example is f . . . 本文を読む

もっとも、理論歴史学としては、このエピソードは重視できない――堺屋太一さん

2014-04-04 | 04-歴史・文化・社会
世界的金融業者のロスチャイルドは、伝書鳩でワーテルローの戦い(1815年)の結果をロンドンに報(しら)せて大儲けをした、という伝説がある。ナポレオンの敗北を早く知って、フランス国債を売りイギリス国債を買った、というのである。 . . . 本文を読む

AとBの間のCを見出す「理論歴史学」――堺屋太一さん

2014-04-04 | 04-歴史・文化・社会
物証歴史学に対して、理論歴史学(推定史論)というのもがある。それはあたかも実験物理学に対して理論物理学があるのと同じようなものだ。(中略)現在、物証や文献史料で分かっている事象はAとBである。そんなことが生じたのを合理的に説明するとすれば、AとBの間にCという事件があったに違いない、といった具合に仮説を立てるのである。 . . . 本文を読む