上原らの陸軍軍人たちも、朝鮮半島の状況とロシア軍の強化を誠実に心配していた。居ても立ってもおれぬほど憂慮していた。海軍も、ドレッドノート革命後のすさまじいアメリカ海軍の増強を誠実に心配していた。これに対応するために新鋭戦艦は起工されたものの、相次ぐ政変のために中途半端のままに、造船所にあった。こんな状況を放っておくわけにはいかない、と考えるのも無理はない。建造継続の約束をしてくれるのでなければ、海軍大臣は引き受けない、というのも愛国の情であった。 . . . 本文を読む
元老会議は井上馨が病気のため、山縣有朋、松方正義、大山巌の3名によって開かれ、貴族院議長であった徳川家達(いえさと)が推薦されたが辞退し、枢密顧問官で同院副議長であった清浦圭吾(きようらけいご)に大命が降下した。清浦は軍人であったこともなく、公卿(くぎょう)でもなく、元勲でもない。明治初年、埼玉県の小学校長を経て県庁に入り、山縣有朋の信任を得て、その系統の代表的な官僚となった人である。 . . . 本文を読む
上原陸相事件は明治憲法の欠陥を、はしなくも暴露した事件であり、それが修復されたのは、議員たちの護憲運動と、山本権兵衛首相の英断と、原敬らの説得力と、木越安綱の滅私奉公の精神によるものであった。そして、この山本内閣の決断が、大正デモクラシーという、戦前の短い民主主義的政党政治の時代の幕を切って落とすことになった。昭和5年(1930)、統帥権干犯問題が起こるまで、日本の政治家たちは、まがりなりにも軍部の暴走を抑えることができていたのである。 . . . 本文を読む
木越に辛かったのは陸軍だけでない。後世のひとがまず参考にする人名事典や百科事典の扱いも、彼が山本内閣の憲政の確立のために尽した功績に言及しているものは、あまり見当らないのである。戦前の代表的百科事典(平凡社『大百科事典』昭和7年)には「……山本内閣に留任したが、単独辞職し、また大将にならずに陸軍を去った」とあり、何だか勝手に大臣を辞めただけの男みたいであって、その理由は、この記述からではまったくわからない。 . . . 本文を読む
このようなものが陸軍の総意であったから、陸軍大臣がそれに同調すれば、山本内閣が西園寺内閣と同じ型の瓦解を繰り返すことは、火を睹(み)るよりも明らかであった。この時に一身の栄達を犠牲にして、憲政の運用を可能にしたのは陸軍大臣木越安綱(きごしやすつな)中将である。 . . . 本文を読む
山本首相が言うことを聞かないと見るや、長谷川大将は直接に葉山御用邸にご滞在の大正天皇のもとに出かけて行って、政府案をご裁可なさらぬよう上奏すること二度に及んだ。参謀総長が直接に皇帝に言上する権利を帷幄上奏(イメディアート・フォアトラーク)というが、これは元来、こんな場合に使うはずのものではなかった。軍事国家のお手本であるプロシア(ドイツ)においても、この権利はなかなか認められなかった。軍人が直接に皇帝に言上できるのは戦闘の時だけである。 . . . 本文を読む
山本権兵衛の答えは「陸海軍大臣を現役の大将と中将に限るという制度は、憲政の運用に支障があるから、政府としては改正の意図がある」という趣旨のものであった。そして、同年6月13日の勅令で陸・海軍省官制の改正を公布し、大臣・次官の任命資格から「現役」という制限を取り除いたのである。 . . . 本文を読む
明治憲法を作った伊藤博文は、天皇の権威が小さくなることを心配して、強い首相や強い内閣ができない憲法を作ったのであった。そして、その「弱さ」は伊藤が暗殺されて4年、古風な言い方をすれば、彼の墳墓(ふんぼ)の土もろくに乾かない大正初年に、ドラマチックな形で現われたのである。 . . . 本文を読む
明治45年(1912)7月30日、明治天皇が崩御されると、皇太子嘉仁(よしひと)親王が践祚(せんそ)(皇位継承)され、大正と改元になった。そして、その年の暮には、陸軍大臣の単独辞職で、明治憲法の条文の論理的帰結により、内閣が総辞職するという事態が、さっそく起こったのである。 . . . 本文を読む
明治18年(1885)12月22日に内閣制度が発足した時、陸軍省と海軍省の官制の中には、「陸軍大臣は将官を以(もっ)て補す」となっており、その定員表にも、大臣と次官は将官であることが明記してあった。この規定が作られた時は、特に重い意味があったとは考えられない。 . . . 本文を読む
伊藤博文の明察をもってしても、この明治憲法の条項が、昭和になってからの軍部の横暴を招くもとになるとは予測できなかった。だが実際、明治憲法下の内閣は、陸軍大臣一人ごねても内閣が潰れるような弱い制度だったのであり、このような制度では、憲政は護れなかったのである。しかし、当時の伊藤博文の目から見て、軍の若い将校が内閣を潰せるなどということを考えることはできなかった。何しろ彼には、山縣有朋さえ一目置いていたのだから。 . . . 本文を読む








