本書の目的は「愚かな決断、判断の誤りは気の迷いから生じ、気の迷いは経済的な困窮に誘発される」という壮大な仮説を検証することです。その検証に最も有効なツールが、「ジオ・エコノミクス(地政経済学)」です。ジオ・エコノミクスとは、経済をひとつの手段として相手国をコントロールする戦略を研究する学問です。その観点から見ると、当時多くの国が自国の利益だと信じて突き進んだ道(金本位制)は、相手をコントロールするどころか自分を縛る最悪の選択であり、戦争への道だったのです。 . . . 本文を読む
結局日本はヨーロッパでもなければ、中国でもない、そのどちらもが所属しているユーラシア大陸文明そのものから独立した、別体系の一固有文明なのではないでしょうか。ただその点での自覚を十分に持たないできた。だから地上の他の地域と比較して自己測定せざるを得なくなると、昔は大陸の支那文明だけをモデルにして自己を測定し、明治以後は西欧文明を尺度にして、近代的進歩の速度を測ってみるなどしてみました。
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これは、たとえばA暴力団とB暴力団が喧嘩して、A暴力団が勝った時、A暴力団の組長の命令で、その配下の11の組から出てきた組長が、B暴力団の幹部を裁く、という構図と本質的に変りはない。裁判官は中立国からのみ出るか、あるいは、中立国と敗戦国からも代表を入れなければ、公平な国際裁判にならない。判事の出身国を見ただけでも、裁判の名に値しないことは、誰にも明瞭であろう。それは紛うことなく勝者が敗者に復讐する形なのである。 . . . 本文を読む
H28.04.30
真実はすべてひとたび発見されれば理解しやすいものである
要は発見することである
( ガリレオ・ガリレイ )
All truths are easy to understand once they are discovered;
the point is to discover them.
( Galileo Galilei )
H28.04.29
貧困は暴力の最悪の形で . . . 本文を読む
アジア・太平洋地域の植民地には、もともと経済的支配からの政治的独立と自由への渇望がくすぶっていた。日本のプロパガンダと指導は、それに火を点けたにすぎない。初めのころ、若干の例外はあったが(フィリピンはその一つ)、アジアと英仏蘭領植民地で日本が勝てたのは、現地協力者の活動があったからだ。開戦当初の日本は、ほとんど銃火を交えないで戦果を収めている。 . . . 本文を読む
70冊以上の“角栄本”を読み進むうちに私はあることに気づき、そして、それは一つの確信へと変化した。それは、対中国政策の根本には大きな闇が存在し、その闇に接近したり、足を踏み入れたりしないように、厚い壁が存在しているということであった。この厚い壁は、間違いなく田中角栄の訪中後に築かれていったものだと私は考えるようになった。 . . . 本文を読む
例えばね、田中首相が訪中しましたね。マスコミは田中首相が日中友好を開いた、とそう報道しておりますね。あんなものは嘘ですよ。僕は中共の秘密派遣員(譚覚真(ひょうかくしん))を知っているから、「聞きたいことがあるから新橋へ来てくれないか」と言うて、新橋でコーヒーを飲んだ。「こんだ、あのう田中が……」と聞こうと思ったからね、彼の方からね、「田中がこんだ北京へ行ったら、周恩来にやっつけられますよ。佐藤さん、よく見てなさい」と、こう言われた。 . . . 本文を読む
貧乏の例は際限なくある。むしろ人によると、人間は偉くなるためには貧乏でなければならぬとまで言います。過言ではありません。貧苦艱難(かんなん)、あるいは貧弱・多病、そのなかにいて偉くなったというのではなく、そのなかに居ったればこそ偉くなった、と言い得る人がどれほどあるか分からない。 . . . 本文を読む
経済というのはある意味その国の「肉体」みたいなもので、政治はどちらかというと「衣服」です。肉体が成長すると、古い服を脱ぎ捨てて新しい服に着替えるように、経済が発展してくると政治システムは変容することを迫られます。本書のテーマである「明治維新」とは、まさにこの“着替え”であると考えてください。 . . . 本文を読む
モンゴルの支配はユーラシア大陸東方の広大な地域における人間の暮らしや文化のあり方を根本的に変えた。明朝は漢民族の王国といわれるが、唐や宋の時代の中国ではもはやなく、すでにモンゴル化した中国であった。明の制度はすべてモンゴル式であった。全国の人口は世襲の職業軍人を出す家族である「軍戸」と、一般人の家庭である「民戸」とに分類された。これは、モンゴルにおける遊牧民と定住民の二重組織そのままであった。草原の遊牧民が軍事力として帝国の覇権を握っていた名残である。 . . . 本文を読む
撤回理由書がウェブ上で公開となった日、いつものように検証実験のために待機していると、「巧妙に書き換えられている」と、最終的にネイチャーから発表された撤回理由書を丹羽先生が持ってきた。憤りを隠しきれない様子の丹羽先生から手渡された、プリントアウトされた撤回理由書を読み、その内容に目を疑った。 . . . 本文を読む
漕艇(ローイング)にはときおり、定義しがたい何かが起きる。多くの漕手は、たとえ勝利をおさめたクルーでも、その正体を知ることはない。たとえ正体がわかったとしても、それを再現できるかどうかはまた別の話だ。それは〈スウィング〉と呼ばれる現象だ。8人の漕手がすみずみまで完璧に他の漕手と動きをあわせ、完全な一体となってオールを漕ぐときだけに起きる、類まれな出来事だ。 . . . 本文を読む
首相の吉田茂は、サンフランシスコ講和条約から帰国直後の51年10月に靖国神社を首相として戦後初めて参拝した。その後の歴代首相も参拝を続けた。首相の靖国参拝について、中国政府が批判を始めたのは、85年8月15日の中曽根康弘の公式参拝からだ。A級戦犯の合祀が原因だと思われているが、実は違う。 . . . 本文を読む
日本軍の本当の敵はアメリカだけであった。イギリスも、オーストラリアも、オランダも、問題にならなかった。日本の機動部隊のインド洋作戦は、イギリスの巡洋艦2隻、航空母艦1隻を沈めて短期間に終結した。この時の日本海軍の強さについては、チャーチルも、その大戦回顧録の中で驚嘆している。チャーチルは戦士であり、戦士的気質があったから、日本の強さが、あらゆる予想を超えたものであることを率直に認めているのである。 . . . 本文を読む