私のブログで日本がアンケートで68位と下位だったことに触れ、「日本はすてきな国じゃないか」と意見を書いた。多くのメッセージが寄せられたが、「私は日本が好きではない」といった意見が相次いだのには驚いた。 . . . 本文を読む
直径10㌢強、厚さ1㌢強のボール紙の筒281本でできている。震災被害者や難民が非難する紙の家の設計で知られる坂氏は「紙は強く、長い間使える。われわれは紙に対する先入観を捨てるべきだ」と語った。 . . . 本文を読む
決議案は旧日本軍が「若い女性を『従軍慰安婦』として知られる性的奴隷」にしたと非難、日本政府に責任を認め、謝罪することを求めている。採択されれば、中国を中心とする、韓国をも含めた反日情報戦略が絶大な効果を発揮したことになる。 決して事実関係を争わず、ひたすら沈黙を守ってきた日本政府の態度が虚偽決議の採択を許したともいえる。 . . . 本文を読む
韓国政府が慰安婦の女性たちの「名誉」を尊重するために「強制」を認めてほしいと強く要請していたというのだ。また、日本政府には、ここで日本政府が“強制”を認めさえすれば、韓国側は慰安婦問題を未来永劫持ち出さない、経済的な賠償請求も起こさないという暗黙の了解があったと考えたという。 . . . 本文を読む
インターネット上の「経済圏」は、検索と選択が補完し合って完成する。 ネットを最高に使いこなすためには、運動選手のパフォーマンスのごとき柔軟で敏捷な神経を必要とする。一人ひとりが、自分なりの「ネット・アスリート」のかたちを目指すべき時代が来たのである。 . . . 本文を読む
アクリル板はレーザー光の当たったところが光る仕組み。アクリル板を高速に動かしながら巧みにレーザー光を当て画像を描く。超高速で一筆書きしていくのに似ており、残像効果で映像や文字が見える。 . . . 本文を読む
因幡(いなば)国若桜藩主池田冠山(いけだかんざん)の第十六女露姫(つゆひめ)は、わずか六歳にして疱瘡(ほうそう)の為世を早くしたにも拘わらず、その名は後々まで普(あまね)く伝えられるところとなった。聡明にして情深い人となりが尋常ではなかったからである。 . . . 本文を読む
マサチューセッツ工科大学のウィルソン博士はネズミを用いた研究から、覚醒(かくせい)時に体験した脳活動が、そのまま睡眠中に再生されることを見いだしている。その記憶再生現象が、いわゆるヒトの夢と同じものか否かは問うすべもない。しかし、その再生の仕方が面白いのだ。 . . . 本文を読む
紀州会の本場、尾鷲に森を見に行ってきた。 数百年にわたり植林と伐採を繰り返してきた本格的な桧の森である。桧の巨木の間を通して光が地表まで差し込み、地表にはびっしり草や地衣類が生え、灌木が枝を茂らせる。桧の大きいところは灌木も大きく、灌木は多く広葉樹だから、広葉樹の森の上に桧の森が重なって二層の森になっている。もちろん、虫も多いし鳥も飛んでいる。 . . . 本文を読む
「だいち」は2006年1月の打ち上げ直後から、フィリピン・レイテ島の地すべりやインドネシア・ジャワ島中部地震の被災地の様子などをとらえ、各国機関に提供してきた。今年4月の能登半島地震でも被災地の地盤隆起の様子を実に見事にとらえている。今、地球の陸域の詳細データを得る手段として、世界で最も活躍しているのが「だいち」であることは、日本人の誇りでもある。 . . . 本文を読む
6月14日付の米紙ワシントン・ポストに、「THE FACTS」(事実)と題した慰安婦問題に関する意見広告が掲載された。紙面1ページ分を使った大々的な広告だ。日本でも報じられたこの意見広告を私たちはなぜ出したのか。発起人の一人である私にはその理由を説明する責任がある。 . . . 本文を読む
大人になって北海道・深川市の電話局長をやっていたころ、山奥の朱鞠内(しゅまりない)という町の生徒十人ほどの小さな小学校に電話機を贈る機会があった。昼過ぎに電話機の設置が終わり帰ろうとすると女の先生が「両親は道外や他の町に出稼ぎに行っていて子供たちは若い男と遊ぶ機会がない。どうかしばらく遊んでやって」と懇願する。 . . . 本文を読む
地殻の99%は酸素やケイ素、アルミニウム、カルシウムなど8種類の元素で構成されています。ケイ素やアルミ、カルシウムなどの酸化物はガラスやセメント、陶磁器などの原料として広く使われてきました。ナノ構造に立ち返って材料を開発すれば、半導体や金属のように利用できる道筋がみえたので、ユビキタス元素戦略はこれから本格すると思います。 . . . 本文を読む
「窓際を枕に寝ていたので、空は蚊帳越しにも見えた。試しに赤い裾(すそ)から、頭だけ出して眺めると星がきらきらと光った。」 夏目漱石の『行人』の一節である。たまたま「赤い裾」についての解説が付いていたので、なるほど蚊帳の赤い縁と言ってもピンとこない読者、つまり蚊帳を知らない読者も多いのだ、ということに気づかされた。 . . . 本文を読む
1981年、TBSで3時間の美術番組「印象派・光と影の作家たち」を演出した。そのコメンテーターにふとジャンヌ・モローの名が浮かんだ。憧(あこがれ)のフランススターだった。思い切って直接手紙を書いた。彼女はホテルのバーに一人で現れ、席に着くと、「さあお話して」と顔を上げる。
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