日露間の最大の係争事項である北方領土問題に関する米国の公式立場は、1955年頃以来一貫しており、日本側の四島返還の主張を支持している。しかし、歴史的に振り返ってみると、米国政府は時として領土問題ゆえに日ソ両国関係がぎくしゃくするのを内心望んでいたのではないか。そればかりではない。米国は日ソ関係の阻害要因を作り出すことに一役を買いさえしている。そのような疑念さえ完全には払拭(ふっしょく)しきれないのである。 . . . 本文を読む
幕末の大老・井伊直弼は、いわゆる桜田門外の変で悲惨な死を遂げた政治家ですが、石州流の茶の奥義をきわめた大名茶人としても著名で、宗観という号があります。「一期一会」は、その直弼の著書『茶湯一会集』に見えます。「そもそも茶の交会(こうえ)は、一期一会といいて、たとえば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会に再びかえらざることを思えば、実(げ)にわれ一世一度の会(え)なり」 . . . 本文を読む
中国の唐時代の瑞巌師彦(ずいがんしげん)和尚は、大変風変わりな禅僧でした。普通、坐禅といえば静かな所で黙々として坐るのが常識ですが、この和尚は室内ではなくて、外に出て、しかも石の上で坐禅をした。ちょうど日本の栂尾(とがのお)の明恵上人(みょうえしょうにん)が、木の上で坐禅をしたように。 . . . 本文を読む
この「喫茶去」は、昔から「趙州(じょうしゅう)喫茶去」の公案として名高いものです。趙州というのは、中国唐代の禅僧です。喫茶はお茶を飲むこと。去は助字といって、特に意味はありません。したがって「喫茶去」とは、さあお茶を飲もう、という意味です。これと似た言葉に「且坐喫茶(しゃざきっさ)」があります。且坐喫茶は、まあしばらく座って、お茶でも飲みなさいという意味です。 . . . 本文を読む
ある僧が雲門禅師に尋ねました。「父母は殺せば仏前に懺悔(ざんげ)する。仏祖を殺せば、いずれのところにか懺悔せん」。親を殺してしまったら、その罪を仏に懺悔しますが、その仏を殺してしまったら、誰に懺悔すればいいのですか、という意地の悪い質問です。その問いに対して、雲門禅師は、ただひと言「露(ろ)」と答えたのです。 . . . 本文を読む
民進党やマスコミは、昭恵という「家族」への「人民裁判」に続き、この段階で「忖度」という「内心の自由」を問うに至った。この事の危険性を、政府与党や日本社会が強く指弾しなかったために、この後、加計問題でも、「友人関係による忖度の有無」で3ヵ月、安倍を攻撃し続けるロジックを、彼らに許してしまうことになる。虚報と忖度に基づいた、物証なき責任追及――こんな暗黒社会の原理を、我々は2度までも許容したことになるのである。 . . . 本文を読む
ポルトガル商人によってもたらされた銃はたちまちに日本に広まった。そして日本は東アジアで唯一、すぐさま銃の国産化に成功した。このことは日本が西洋の植民地となることなく、唯一生き残っていく要因になった。南米を支配したスペインやポルトガルを中心に、コロンブスのアメリカ発見などを機に、アジアは西洋勢力の次なる搾取の対象となった。「黄金の国・日本」というイメージや、中国に豊かな遺産があるという伝説が、そのままアジアの植民地化という野望に変わっていくのである。 . . . 本文を読む
このユダヤ教という一神教が成立した過程には、ユダヤ人たちの民族としての苦難の歴史があります。ユダヤ人には民族のアイデンティティーそのものである宗教ですが、これが普遍的な宗教として他の民族にも受け入れられるものとなるには、民族の共同宗教という枠を超えて、個人の救済という個人宗教的要素がなければなりません。その民族の枠を超えて、その宗教を信じることができるという要素を付加することになったのが、新約聖書なのです。 . . . 本文を読む