日本人をシナ人のように虐殺すれば、日本政府から強い抗議がきて、国際問題に発展するのは明らかであった。したがって、彼らは法律を変えることで日本人に対抗しようとした。つまり、州ごとに次から次へと排日移民法を成立させて、日本人移民を締め出すという手段を採ったのである。 . . . 本文を読む
19世紀後半になっても、ヨーロッパ大陸からアメリカに大量の白人が渡って来ていた。ところが、西海岸の近くへ行ってみると、すでにシナ人たちが相当の生活を営んでいた。その時の貧乏な白人たちの失望、落胆、怒りは、いかばかりであったか。今の言葉で言えば、フラストレーションである。 . . . 本文を読む
その時、旧ソ間には中立条約が結ばれていた。日本がポツダム宣言を受諾して戦争終結状態に入る間近の8月8日、ソ連軍は日本に宣戦布告して満州(中国東北部)、北朝鮮、樺太(からふと)に侵入し、約60万人をソ連に連れ去り、強制労働をさせ、約6万人を餓死、凍死させた。北方四島もその時不法占拠されたのである。 . . . 本文を読む
第一次世界大戦が日米を含む連合軍側の勝利に終わった翌年の1919年(大正8)、国際連盟の結成が決まったのだが、その規約作成の場で日本の牧野伸顕(のぶあき)全権代表が画期的な提案を行った。「連盟に参加している国家は、人間の皮膚の色によって差別を行わない」という内容の条文を規約に盛り込もうというものであった。 . . . 本文を読む
日露戦争に勝利を収めた日本は、朝鮮半島に触手(しょくしゅ)を伸ばすロシアの意図を挫(くじ)くことができた。明治38年(1905)9月5日、ポーツマス条約が調印され、ロシアは韓国や南満州から手を引くことになった。日本がロシアに勝ったのを見たアメリカが考えたのは、「これはシナ大陸にアメリカの利権を得るチャンスだ」ということであった。 . . . 本文を読む
外交の常識で考えれば、伊藤忠商事という一企業の相談役であるというだけではなく、「北京市市長国際企業家顧問会議顧問」を務める人物を中国大使とするなど、あってはならない人事だ。たとえ丹羽宇一郎氏本人が大変な人格者であったとしても、このような企業の重役が任地国の公職に就いていることを知りつつ、日本大使にすれば、背景を疑われことになる。 . . . 本文を読む
やる気がなくても、とりあえず掃除機を出せば掃除を始める。気が向かなくてもパソコンの前に座ってスイッチをいれたら、原稿を書き出す。キッチンに立てば、野菜を切り出す。切り始めたらナベを火にかけたり、ごはんを炊いたり。最初はなかったやる気。でも、いつのまにか作業をすることに夢中になっています。 . . . 本文を読む
ソフトバンクのTVコマーシャルの出来は大変面白い……と、ほとんどの日本人視聴者は考えており、事実、私もそう思っていた。しかし、南北朝鮮人にとって、犬が演じる「日本のお父さん」は、「犬野郎」という侮蔑を意味しており、「犬の子」(ケッセキ)という言葉は、最大の侮蔑を表現する朝鮮語なのである。 . . . 本文を読む
「その卒業アルバムは盗んだわけじゃないよ。もとから無料だったんだよ。在庫が多すぎたから、余ったのをテーブルの上に置いて、『卒業アルバムの欲しい方は書店から敬意を込めて差し上げます』という貼り紙をしておいたんだ。君はその貼り紙を見なかっただけだよ」 . . . 本文を読む
目の前にいろいろな出来事が起きてきて、それが過去のどの記憶によるものか自分では分からないけれども、問題の責任は自分にあるという原点に戻って「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」といい続けていれば、記憶は消されていく。 . . . 本文を読む
仕事でも生活でもいろいろな問題にぶつかりますね。でも、その問題というのは外にあるのではなく、すべてあなたの記憶の中にある。手放さなくてはいけないのは、その記憶なんです。問題解決の具体的な方法をお話しする前に、まずはそのことをきちんと押さえていただかなくてはいけません。 . . . 本文を読む