『虎の尾を踏む男達』(昭和20年)のときは、アメリカ軍が日本に進駐して、軍国主義退治の一環として、司法警察や検閲官を馘首し始めた頃と重なっていた。ところが、検閲官に呼び出され、「日本の古典芸能である歌舞伎の『勧進帳』の改悪だ。エノケン(喜劇俳優、榎本健一)を出すこと自体、歌舞伎を愚弄している」とか「こんなつまらんものを作って、どうする気だ」とまくし立てられた。 . . . 本文を読む
「禅は人々の脚跟下(きゃっこんか)にあり」といいます。遠いところではなく、自分の足元、いまここに禅はあるのです。禅といえば何か特別なものと考えてしまいがちですが、そうではありません。いま、この場で、何をすべきかを問うものです。 . . . 本文を読む
グルジエフによれば、意識を発達させようとする試みは、自分自身の中に、自己を正直かつ客観的に観察するために新しい“中枢”を創設することにほかならない。そして、自分の中につくった意識の“止まり木”から自己をたえず観察することによって、自分の“システム”がどのように作動しているかを知ることができる。
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わが国の戦史で、もっとも決定的なたたかいのひとつであった須磨の激戦(1184年)のさなか、彼[熊谷次郎直実]は一人の敵に追いつき、一騎打ちを挑み、相手をそのたくましい腕でしっかりと捕えた。さてこのような場合、たたかいの儀礼として、弱い側が強い側と同じ位をもっているか、あるいは同等な能力をもっているかでなければ、一滴の血を流すことも許されない。 . . . 本文を読む
『中庸』という古典に、「誠は天の道なり。之を誠にするは人道なり」という言葉があります。誠とは自分にとっても他人にとっても嘘偽(うそいつわ)りのない心、いわば真心のことです。天には道=ルールがありますが、誠こそが天の道であり、天の道を素直に受けて誠にしていくのが人の道である、と説かれています。 . . . 本文を読む
北畑次官は、プラザ合意後に円高が進んだ1986年、日本人が退職後に物価の安いスペインなどで優雅な老後を過ごすよう勧めた「シルバーコロンビア計画」を発案した張本人だ。97年スペイン。コーヒー1杯が百ペセタ、当時の為替相場で約80円。昼の定食も5百ペセタ(約4百円)で生活は楽だった。ところが2002年にユーロ流通が始まり一変した。 . . . 本文を読む
過去に為した日本人の行為のために、反日意識を持つと考える日本人が多い。しかし韓国人の心情はそうではなくて、絶対的に優越する韓国人が、絶対的に劣位の日本人に支配されたという儒教朱子学上あってはならない現実が起きてしまい、自らを許し難いと慙愧(ざんき)反省しつつ日本人はもっと許し難いというジレンマが反日となって噴出するのである。 . . . 本文を読む
中国が最近、インドネシアに対し南シナ海南端の海域での石油・天然ガスの掘削中止を要求する書簡を送っていたことが分かった。掘削場所はインドネシアの排他的経済水域(EEZ)内にあるが、中国は南シナ海のほぼ全域の領有権を主張する独自の境界線「九段線」を根拠に自国の領海だと訴えたのだ。インドネシアにとり中国は最大の貿易相手国だ。中国はこの立場を利用してインドネシアを影響下に置く代わりに、国際法上無効とされた九段線を根拠に経済的価値の低い海域で紛争を起こし、インドネシアを離反させている。 . . . 本文を読む
ペリーを動かした人物の一人が、オーガスト・ベルモントというロスチャイルド財閥の米国における代理人です。このベルモントの義理の父親がペリーなのです(ペリーの娘キャロラインと結婚)。そうしますと、ペリー来航は「日本市場を開放させよう」という国際金融資本家たちの意図にもとづいたものであることが窺(うかが)えます。 . . . 本文を読む
そのためには、フィンランドがソ連から完全に独立しているという嘘を強調しなければなりません。そのうえで、日本もフィンランドの真似をしたらよいのだというお勧めが生まれます。この「<フィンランド化>再考」(『朝日新聞』昭和56年8月4日夕刊)が新聞に掲げられたときの見出しは、加藤周一が記したのか朝日の編集部が考えたのかわかりませんが、まことによく出来ていて、本文の要旨を的確に要約しています。 . . . 本文を読む
このところどういうわけか、日本人は日清・日露の戦いまでは、困難な国際情勢のなかを立派によく生き抜き、その愛国心は健全であったが、それ以後、同じ日本人とは思えないほど人間がだめになり、傲慢になり、道を誤った、というような前提で自国の歴史をとらえている論調に出会うことが多くなった、という気がしている。 . . . 本文を読む
元寇の後始末をつけようと苦労したのは貞時(さだとき)であり、彼については、前節でやや詳しく述べた。正義感が強く、実行力もあり、執権としては立派な人物と言わなければならない。その彼にしても、天下が治まらなくなったということの中に、現代史的な意味を認めざるをえない。それは大戦後の人間の心理である。 . . . 本文を読む
男女のことほどありふれたものはなく、それが盛んなだけでは、お話にならない。しかし『伊勢物語』は、それが美しいものでありうる姿を示している。そして、この物語が日本の重要な古典であり、昔から教養書として読み継がれてきたのである。それは『ファニー・ヒル』の男性版ではないのだ。『感情教育』なのである。 . . . 本文を読む
一般の社会組織に属する限り出身校の如何(いかん)は生涯を通じて受ける評価を不動にする。初対面の二人が真先に知りたいのは相手の出身校であって、その認識に到達するまでは応待の具合を調節できない。だから顔を合わせてから十分以内にまず若い方が心すべきは、自分の出身校をそれとなく告げる心遣いである。この気働きのない鈍感は必ず先輩に嫌われる。 . . . 本文を読む