電脳筆写『 心超臨界 』

人の心はいかなる限界にも閉じ込められるものではない
( ゲーテ )

日本史 古代編 《 『伊勢物語』に見る、感情の洗練度——渡部昇一 》

2024-09-08 | 04-歴史・文化・社会
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男女のことほどありふれたものはなく、それが盛んなだけでは、お話にならない。しかし『伊勢物語』は、それが美しいものでありうる姿を示している。そして、この物語が日本の重要な古典であり、昔から教養書として読み継がれてきたのである。それは『ファニー・ヒル』の男性版ではないのだ。『感情教育』なのである。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p246 )
3章 平安朝――女性文化の確立
――日本における「成熟社会」の典型は、ここにある
(1) 和歌に見る文化的洗練の達成

◆『伊勢物語』に見る、感情の洗練度

この時代の代表的な人物として、在原業平(ありわらのなりひら)のことを考えてみよう。

彼が主人公になっている『伊勢物語』は、平安文化の基調ともいうべき「愛」とか「歌」を縦糸と横糸にして織りなしている物語である点、時代の特徴をよく示している。

業平が、幼いときの遊び友だちであった隣家の紀有常(きのありつね)の娘に「ちょっとお会いしない間に大きくなられましたね」というような歌を贈る。

すると、この娘は、

  くらべこし 振(ふり)わけ髪も 肩すぎぬ
     君ならずして 誰かあぐべき

と答える。初恋の男に対するものとして、これほど見事な答はないであろう。これだけひたすらな情感を、ゆがめることなく結晶させて歌い上げる、その洗練度に私などは舌を捲いてしまうのだ。

男女のことほどありふれたものはなく、それが盛んなだけでは、お話にならない。しかし『伊勢物語』は、それが美しいものでありうる姿を示している。そして、この物語が日本の重要な古典であり、昔から教養書として読み継がれてきたのである。それは『ファニー・ヒル』の男性版ではないのだ。『感情教育』なのである。

またこの物語には、今からでは理解に苦しむような話が出てくる。それは二条の后(きさき)を盗み出したような話である。つまり藤原長良(ながら)の娘に業平は通っていたらしいのだが、今度清和(せいわ)天皇の后として入内(じゅだい)するというので、盗み出して駆落(かけお)ちするのである。しかし間もなくつかまって取りもどされる。

未婚の娘時代に駆落ちした人が、のちに天皇の後宮に入るというのも、その相手の男が死刑にならないのも、後世から見ると、おかしなものである。もっとも、この二条の后は55歳のとき(当時としては老婆だ)、坊さんと密通して、彼は遠国に追放、后は位を失っている。后の位に就いた者は、さすがに多少締まらなければならなかったらしいが、すべては寛容である。
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