「凡を転じて」の「転」は転がすことですが、ここでは「変化させる」という意味です。凡は凡夫(ぼんぷ)・煩悩。聖は仏、悟り。「凡を転じて聖となす」とは、煩悩を悟りに変える、凡夫を仏に変えるという意味です。 . . . 本文を読む
ところで、なぜ日本では世界の潮流とは逆行するかたちで、移民受け入れの議論が浮上してきたのか。2014年3月、少子高齢化で減少する労働力人口の穴埋め策として、政府が移民の大量受け入れに関して本格的な検討に入ったと報じられた。その背景には、経済財政諮問会議の下に「選択する未来」委員会が設置され、人口減少などを議論する中で、一部の有識者から外国人労働力活用の拡大という選択肢が提起されたことがある。これが事の発端だ。 . . . 本文を読む
【 자금은 필요치 않다. 그래도 이익은 막대하다 】 クリスマス・セールでつかれきった店員のうちに、これをお見せしないものがございました節は、おそれいりますが、お客さまのぶんをお見せ願いたいと存じます。笑顔を使いきった人間ほど、笑顔を必要とするものはございません。 . . . 本文を読む
卓越した格闘性能、高速、そして長大な航続距離、零戦はこのすべてを兼ね備えた無敵の戦闘機でした。そして更に驚くことは、陸上機ではなく、狭い空母の甲板で発着できる艦上機ということです。当時、工業国としては欧米にはるかに劣ると言われていた日本が、いきなり世界最高水準の戦闘機を作り上げたのです。これは真に日本人が誇るべきものだと思います。 . . . 本文を読む
昨年7月12日付の本欄は中国国内の巨額負債問題を取り上げたが、今年1月、負債総額に関する驚くべき数字が中国の経済学者によって披露された。中国人民大学教授の向松祚氏は1月20日に上海で行った講演で、今、中国国内で各方面の抱える負債総額は「約600兆元(約9700兆円)に達していると語った。これは、日本の名目GDPの18倍に近い、天文学的な数字である。今の中国経済はまさに莫大(ばくだい)な負債の上に成り立つ「借金漬け経済」であるといえるが、実は近年、この国の20代の若者たちまでが「借金漬け経済」のとりことなっているのである。 . . . 本文を読む
1905年に日露戦争に勝った日本は、ポーツマス条約によって先に千島列島と交換した樺太の南半分を日本領として取り戻した。以後、敗戦まで樺太の南半分とカムチャッカ半島から北海道に至る一つながりの島々は、すべて日本領となっていたのである。この経緯で明らかな通り、くどいようだが北方四島が日本以外の領有だったことは歴史的にみて一度もない。 . . . 本文を読む
大江の講演でもうひとつ特徴的なことは、君主制あるいは国王というものに対しては、一切批判をしていないということである。現在でも、イギリスには王室があり、エリザベス女王が君臨している。オランダにも王室がある。世界中に国王や王室がある。
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第二次世界大戦においてアメリカとソ連は「正義の国」であり、日本は侵略を行った「悪い国」だとされてきた。だが、「ソ連、共産主義勢力の方が問題だったのではないか」という方向で近現代史見直しが進んでいるのだ。その背景には、2つの大きな要因がある。一つは、ソ連の解体と中・東欧諸国の「民主化」だ。もう一つの原因は、第二次世界大戦から50年を経た95年を契機として、欧米諸国が戦時中の、ソ連・国際共産主義の秘密工作に関する機密文書を公開したことだ。 . . . 本文を読む
米中貿易戦争の真っ只中にいるトランプ大統領は、何とかして中国企業の息の根を止めたくて仕方がありません。だから、中国に深入りし過ぎたソフトバンクに、もっともっと危ない商品を買わせたい。ソフトバンクにハイリスク商品を買わせることについて、ウォール街とトランプ政権の利害は、見事に一致するのです。 . . . 本文を読む
第一次世界大戦後のドイツはワイマール共和国の支配下に置かれていましたが、教科書的には「最も先進的な民主主義国」との触れ込みにもかかわらず、ワイマール共和国の実態はドイツ人口(6千万人)の1パーセントに過ぎないユダヤ人(60万人)が政府、経済界、メディア・娯楽産業、大学などの教育文化界の要職を占めていました。一言で言えば、ワイマール共和国とはユダヤ共和国であったのです。 . . . 本文を読む
私は加藤周一の学識をけっして舐めてはおりませんので、加藤周一はフィンランドの歴史のすべてを知っていたはずだと信じます。だからこそ、加藤周一を売国奴であると判定せざるをえません。加藤周一は日本国民に嘘をついて国民を瞞(だま)して賺(すか)して、わが国が一国も早くソ連の属国になるような事態にもってゆきたかったのです。その神聖な目的を果たすためになら、言論の上でいかなる詐欺行為も辞さないぞと、心の奥底できっぱりと決意を固めたのでしょう。 . . . 本文を読む
歴史は科学ではない。地球上のどこにでも普遍妥当する客観的な法則につらぬかれているわけではない。歴史は言葉の世界である。言葉によって支えられた不確かな人間の知恵の集積であり、未来への希望や不安や欲求と切り離せない人間的解釈の世界である。歴史はだから民族によってそれぞれ異なって当然である。国の数だけ歴史があっても不思議ではない。少なくとも文化圏ごとに、歴史意識そのものに著しい差異が認められる。 . . . 本文を読む
後深草上皇にとって、自分のことはともかく、本来なら正統を継ぐべき自分の皇子が皇位から遠ざけられ、本来ならば閏統(じゅんとう)(非正統)である弟が上皇となり院政を行ない、その子が後宇多(ごうだ)天皇として即位したのを見ることは耐えがたいことであった。 . . . 本文を読む
定家といえば、『小倉(おぐら)百人一首』を選んだのも彼と言われている。その後もこれの真似をしたいろいろの百人一首が出来、戦時中には『愛国百人一首』まで出来た。小倉以外の百人一首の内容も、小倉に一見劣ることはないように思われるが、小倉のみ行われるのは、なぜだろうか。いろいろの理由はあろうが、一つには、これが主として正月の遊びだったことに関係があるのだろう。 . . . 本文を読む
天下の争乱を鎮(しず)めたのは秀吉であり、家康が継承して平和の礎(いしずえ)を築いたが、それは三百諸侯が統治するそれぞれの藩を数珠玉(じゅずだま)のように連ねた連邦形態にすぎなかった。明治政府が直面したのは史上はじめて統一国家を形成するという至難の課題である。そのためには指導的な役割を果たす高級官僚が是非とも必要であった。 . . . 本文を読む