その頃、石州浜田の祖母の家は、町の測候所の丘の中腹の、麓から測候所まで続く狭い石段脇にあった。この家は、もともとは和船の櫓(ろ)を作る名人として名前を知られていた祖母の父親が住んでいた家だったという。祖母の父親は、測候所の丘の麓にあった河村の本家の長男だったが、黒松の庄屋の梅木屋の娘と結婚する際に〈苗字を変えない婿養子のような形で〉別家を立てたようだ。本家の家宗はもともと日蓮宗だったのを梅木屋に合わせて浄土真宗に改めたらしい。そして、本家は祖母の父親の弟が継いだ。本家はもともと浜田藩士で槍術師範の家だったらしい。その先祖を遡れば、下府の浜田藩士河野家の三男が分家独立して河村の本家を立てたという話がある。そして、河野の先祖は薩摩から来たという伝聞もあるようだ。『荒地の恋』の詩人北村太郎氏の年譜によれば、〈詩人の父・徹は横浜・吉田町で、石州浜田藩の元武士・河村信吾の二男として生まれた。のちに松村家に夫婦養子として入籍。〉とあるから、詩人の家と本家とはどこかで分かれたらしい。詳しくはわからないけれども。本家は駐車場になり、祖母の家もいまはない。
今朝の短歌メモから。
絡繰(からくり)時計の下なるホール扉(と)は開かれた 水溜りはしんと星々見上げて
舌の痺るるほどの熱さよ ダージリン紅茶(ティー)抱へてサルトル『嘔吐』を開く

シューベルトの未完成シンフォニーの第1楽章のテンポは〈アレグロ・モデラート〉(適度に速く)。小学生のとき、レコード解説を読んでそれを知った私は、自分の譜面のテンポに度々〈アレグロ・モデラート〉を書き込むようになった。そんなひとつ、あの頃自己流で書いていた交響曲第47番の第1楽章を、今日はどういうわけか唐突に思い出したので、懐かしくなってメモした。曲想はいかにも小学生じみたもの。
今朝見た夢。それはどこかの学校(大学?)。私は初老のお客さんを案内して〈本館〉へ向かおうとしている。校門から敷地に入ると、門のすぐ脇に古い庚申塚があり、その庚申塚裏から塀沿いにずっと緑の木立の小高い土手があって、土手へ上がる階段がついている。私はお客さんを〈本館はこちらのほうです。〉と土手の上へと案内し、歩いていくと、やがて、土手の脇に広大な見事な遺跡発掘現場が見えた。お客さんから〈あれは何をされているのですか?〉と聞かれたので、にこやかに〈あれは「書院」の発掘現場です。本館はこの先です。〉と答えた。しかし、私は、実はその〈書院〉の何たるかをよく知らないままなので、〈書院〉て何なのだろう、と思いつつ。。。そこで目が覚めた。
角宮先生の歌集『ある緩徐調』より。
火の匂ひ身より鋭くたつまでに憎む一人を未だ放さず 角宮悦子
〈憎しみ〉の匂いは〈火の匂ひ〉であったか、、と教えられた一首。
火の匂ひ身より鋭くたつまでに憎む一人を未だ放さず 角宮悦子
〈憎しみ〉の匂いは〈火の匂ひ〉であったか、、と教えられた一首。
真中さんに教えて頂いた、高野さんの〈異星〉の歌。
異星より来たれるひそけさをもちてわが部屋に棲む緑のパキラ/高野公彦(歌集『流木』所収)
異星より来たれるひそけさをもちてわが部屋に棲む緑のパキラ/高野公彦(歌集『流木』所収)
今朝。寝床で目覚めてラジオを点けると、偶々、大好きなブラームスの『ドイツ・レクイエム』第六曲をやっていた。しばらくその素晴らしい演奏に聴き浸ってから、しごとに出掛ける準備開始。今日はだいぶ冷え込むようで、しっかり防寒対策。昨日までの実家滞在中には残念ながら短歌ができなかったので、これからの数日で頑張らねば。今朝は登場人物の名前として〈樋上大作〉が浮かんだ。
今晩の片山先生のラジオの〈黛敏郎ソングブック〉が非常にたのしみ。
今晩の片山先生のラジオの〈黛敏郎ソングブック〉が非常にたのしみ。
以前から、バッハ一族や服部一族のケースを見て、素晴らしい音楽の才能は遺伝するものらしいと思っていました。だから、菅野よう子さんが宮城県出身となにかで知ったとき、もう亡くなってしまったけれども菅野光亮さんが同じ宮城県出身だったことを思い出して、よう子さんはてっきりそのお嬢さんかご親戚かなと思っていたのです。結局その真相はよくわからないままともかく。今回菅野よう子さんの担当された大河ドラマ『おんな城主 直虎』テーマ曲、出だしのファンファーレがじつに印象的。そのあとの、ピアノを絡めた弦楽による疾走感充分なモチーフも面白いです。すごく好きな音楽です。