今日が生誕122年目に当たる作曲家フランシス・プーランクが、1932年から1959年にかけて作曲した『15の即興曲集』。そのなかの、第15番 <エディット・ピアフ賛> ハ短調 4分の3拍子=8分の9拍子。
https://youtu.be/g1rHMBrQW8E
随分前から、タイトルを『屋根裏のダダ』と決めている小説の構想がある。その冒頭はこんな感じかもしれない。
その夜、乾電池が飛んで来たのだった。
寮監の青海苔先生が寮玄関脇の寮監部屋で気分よく大きな鼾をかき出したのが聞こえて来て、僕は音楽室のベーゼンドルファーをこっそり弾こうと、シューマンの『謝肉祭』の楽譜を掴んで生徒寮の部屋をこっそり抜け出し、隣りにある校舎四階の音楽室に入った。それが先程のことだ。
僕は、僕の他には誰も居るわけがない、四階音楽室の、深い渋色をした、この学校のよかった時分を伝える唯一の遺品のベーゼンドルファーの椅子に腰を掛けて、傷だらけの鍵盤の蓋をまだ閉めたまま、ただ口を開こうとしていた。僕から見て左手の、真っ暗な校庭に面した窓に映った人影に向かって、二言か三言ぐらい、何かを言おうとしていた。だがしかし、それは、僕らが平生考える言葉ではなくて、極めて動物的な音声だったはずだ。僕の喉は悲鳴を上げたくてうずうずしていたのだから。
その人影は僕の強ばった顔を見ておそらく笑っていたようだ。僕はしっかりと見ていたわけではないから、確かではないけれども。そして、僕の目の前から消えた。その後、使用済み乾電池が不意に窓の向こう側からガラスを突き破って僕の開きかけてとまった口の中に飛び込んで来やがった。僕はそれをまんまと呑み込み、その翌朝下痢をしてパンツを汚してしまったのだった。
学校のグラウンドの隅には井戸があった。その口にはいつも苔むした重たい石蓋が被せられていて、傍らに謂れのわからない小さな古びた祠があった。なんでも昔、この井戸に墜ちた生徒がいたらしい。詳しくはわからないけれども、時々誰かがお供えした花が祠の前にあるのを見たことがあった。
夢を見ていた。そこは、徴兵制を猶予された年長者のための〈モラトリアムな学校〉で、今しも広いグラウンドでは元気旺盛な生徒たちによるサッカーと野球の球技大会が行われていた。私は校舎三階の教室窓際の席に腰を下ろし、グラウンドを見下ろしながら、学校出入りの〈不思議な弁当屋〉から買った焼きサバ弁当を食べていた。その夢のなかでずっと流れていたワルツ。