黛さんの音楽に関する興味深い記事から、メモです。
(以下、引用させていただきます)
2006年1月15日(日)《天地創造 ~名画と名曲・40》
http://taroscafe.cocolog-nifty.com/taroscafe/2006/01/_40_1e21.html#comments
ヴァチカンのシスティナ礼拝堂の天井に描かれてるミケランジェロの壁画は、おそらく西洋絵画史上「モナリザ」の次ぐらいに、よく知られてる絵でしょう。映画「ベンハー」のタイトルバックに使われたり、スピルバーグの「ET」にインスピレーションを与えたりもしています。でも実は私は、このシスティナというのが好きではありません。障子と畳で育った私には、あんなふうに壁と天井をごちゃごちゃと絵画で埋め尽くす美意識というのは、どうしても理解できないのです。この創造主とアダムのシーンだけを、図版で切り出して見るとたしかに名作なんだろうなあとは思うんですが・・・
ミケランジェロがこの天地創造の天井画を描いたのは、1508年から12年まで。1475年生まれですから、30代の半ばから後半にかけてということになります。法王ユリウス二世の依頼によるものでした。キャロル・リード監督の映画「華麗なる激情」は、ミケランジェロをチャールトン・ヘストン、ユリウス二世をレックス・ハリソンが演じて、ここいら辺の二人のかけひきや、創作中のミケランジェロの苦悩を描いています。
さて、この「天地創造」にまつわる音楽といえば、黛敏郎の組曲があります。これは1966年のアメリカ映画「天地創造」のために黛が作曲した音楽を、演奏会用の管弦楽組曲の形に再構成したもの。この「天地創造」という映画は、旧約聖書の創世記の話を絵解きしたもので、天と地の創造から、エデンの園、ノアの箱舟や、ソドムとゴモラのエピソードを経て、アブラハムの挿話までが描かれています。
この作品は当初、イタリアの有名なプロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが、全体を3つにわけて3人の監督に担当させる予定で企画をたてました。音楽もそれぞれ3人の作曲家が予定されていたのです。しかし最終的に、ジョン・ヒューストンが一人で全部を監督することになり、音楽も一人の作曲家が担当することになりました。
ところがヒューストンは、予定された作曲家の曲をかなり気に入らず、特にバベルの塔のパートは、センチメンタルな音楽でヒューストンのイメージには全く合わなかったようです。そこで、このバベルの塔のパートだけ別の作曲家で作り直しをすることになったのですが、その時ラウレンティスがヒューストンに推薦したのが黛でした。彼は当時すでに、黛の音楽に注目していたようです。ラウレンティスは黛作品のレコード(LP)をヒューストンのもとに送り、監督もそれを気に入って、黛敏郎に「バベルの塔」の音楽をまかせたのですが--これが予想をはるかに上回る、優れた出来。ヒューストンは当初予定の作曲家の音楽を破棄、映画全体を黛にまかせることにしました。ここいらはちょっと「アラビアのロレンス」でのモーリス・ジャール抜擢のエピソードもほうふつとさせますね。
黛の音楽はエンド・タイトルに出てくる有名な音楽(メイン・タイトル)はもちろん名曲ですが、冒頭から終わりまで(メイン・タイトルの旋律は基本的にはエンドにしか出てこない)映画全体が効果的な音響で満たされています。
それで当初予定された作曲家って誰だったのか忘れてしまったので、ネットでいろいろ検索して調べてみました。そしたらわかりました。なんとペトラッシなんだそうです。ちょっと驚き。(こちらのサイトにお世話になりました。。。http://www.syuzo.com/zatu/memory02.html そのときに黛を起用することになったきっかけの話も忘れていたんですが、「涅槃交響曲」のレコードだったということを、同じサイトで教えていただきました。)
ペトラッシの曲ってジェルメッティが指揮した「管弦楽のための第8協奏曲」とか、あと他にも録音は持ってると思うんですが、どんな曲だったかすぐに思い出せない・・・。でも、そんな甘ったるい曲書く人でしたっけ?映画「家族日誌」もペトラッシが音楽担当ですが。ところが別のサイトで知ったのですが、モリコーネにもこの「天地創造」で使われなかった音楽というのがあるんだそうです。他の映画に転用したそうなんですが、そうなるともしかすると実はペトラッシじゃなくてモリコーネということもありうるのでしょうか?ペトラッシとモリコーネは師弟関係にあり大変親しい間柄らしいので、あるいはどこかで混乱が生じた可能性も(例えばペトラッシが依頼されたが、モリコーネを推薦して、彼に書かせたとか)。
ま、それはともかく黛敏郎の音楽はたいへん高く評価され、アカデミー賞にもノミネートされました。残念ながら受賞は逸しましたが。(黛は日本映画の世界では、1966年の段階でもすでに100本以上の作品の音楽を担当していたベテランでしたが、ハリウッドではもちろん無名。知名度があればあるいは受賞できたかもしれません。もっともこの年は、受賞した「野生のエルザ」のジョン・バリーを始め、ゴールドスミス、エルマー・バーンスタイン、アレックス・ノースと揃っていて、まれにみるハイレベルな争いの年だったので、知名度があってもやっぱり駄目だったかもしれませんが。)
黛はその後、この映画の音楽を、コンサート用の管弦楽曲として再構成し、自らの指揮で演奏したりしました。しかしこれは日本の批評家筋からは、あまりかんばしい評価は得られなかったように記憶しています。映画音楽の名作としての評価は定まっているものの、いわゆる現代音楽の新曲としては、「しょせん映画音楽」程度の批評だったように思います。少なくとも黛敏郎のシリアスな作品に対する評価とは比較にならなかったような。しかし、あるいは今ならちょっと変るかもしれません。60年代後半や70年代前半と言えば、作曲界は完全にアヴァンギャルド全盛期。メロディアスで、効果的な盛り上げをはかる「天地創造」が無視されるのは、当然過ぎるほど当然な時代でした。でもペンデレツキが交響曲第3番みたいな、すこぶる分かりやすい音楽を書く時代には、あるいは組曲「天地創造」のような曲も再評価される余地があるんじゃないかという気がします。
アマゾンで調べた限りでは、現在映画のサントラ盤CDと、オーケストラ曲としてのCDは、いずれも出ていないようです。「メイン・タイトル」と「ノアの箱舟」の音楽は、管楽器用に編曲された録音がCDで出ていました。これは岩城宏之さんが東京佼成ウィンドオーケストラを指揮して録音した「トーンプレロマス55」というCDの最後に収められているもの(編曲はケン・フォイットコム)。「メイン・タイトル」に関しては、やはりオーケストラじゃないとスケール感が出ないのと、演奏に際して旋律のタメがないので、あまり感動的に響かないのがどうかなという感じでしょうか。「ノアの箱舟」はウィンド・アンサンブルで聞いてもなかなか面白く、これは結構いいかも。
ちなみにハイドンの「天地創造」でこのミケランジェロを使ったCDジャケットというのは、あまり見かけないように思います。最近ではシュライヤー指揮のDVDぐらいでしょうか。マティス、プレガルディエン、パペと素晴らしい歌手陣で、お薦めです。(了)
(以下、引用させていただきます)
2006年1月15日(日)《天地創造 ~名画と名曲・40》
http://taroscafe.cocolog-nifty.com/taroscafe/2006/01/_40_1e21.html#comments
ヴァチカンのシスティナ礼拝堂の天井に描かれてるミケランジェロの壁画は、おそらく西洋絵画史上「モナリザ」の次ぐらいに、よく知られてる絵でしょう。映画「ベンハー」のタイトルバックに使われたり、スピルバーグの「ET」にインスピレーションを与えたりもしています。でも実は私は、このシスティナというのが好きではありません。障子と畳で育った私には、あんなふうに壁と天井をごちゃごちゃと絵画で埋め尽くす美意識というのは、どうしても理解できないのです。この創造主とアダムのシーンだけを、図版で切り出して見るとたしかに名作なんだろうなあとは思うんですが・・・
ミケランジェロがこの天地創造の天井画を描いたのは、1508年から12年まで。1475年生まれですから、30代の半ばから後半にかけてということになります。法王ユリウス二世の依頼によるものでした。キャロル・リード監督の映画「華麗なる激情」は、ミケランジェロをチャールトン・ヘストン、ユリウス二世をレックス・ハリソンが演じて、ここいら辺の二人のかけひきや、創作中のミケランジェロの苦悩を描いています。
さて、この「天地創造」にまつわる音楽といえば、黛敏郎の組曲があります。これは1966年のアメリカ映画「天地創造」のために黛が作曲した音楽を、演奏会用の管弦楽組曲の形に再構成したもの。この「天地創造」という映画は、旧約聖書の創世記の話を絵解きしたもので、天と地の創造から、エデンの園、ノアの箱舟や、ソドムとゴモラのエピソードを経て、アブラハムの挿話までが描かれています。
この作品は当初、イタリアの有名なプロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが、全体を3つにわけて3人の監督に担当させる予定で企画をたてました。音楽もそれぞれ3人の作曲家が予定されていたのです。しかし最終的に、ジョン・ヒューストンが一人で全部を監督することになり、音楽も一人の作曲家が担当することになりました。
ところがヒューストンは、予定された作曲家の曲をかなり気に入らず、特にバベルの塔のパートは、センチメンタルな音楽でヒューストンのイメージには全く合わなかったようです。そこで、このバベルの塔のパートだけ別の作曲家で作り直しをすることになったのですが、その時ラウレンティスがヒューストンに推薦したのが黛でした。彼は当時すでに、黛の音楽に注目していたようです。ラウレンティスは黛作品のレコード(LP)をヒューストンのもとに送り、監督もそれを気に入って、黛敏郎に「バベルの塔」の音楽をまかせたのですが--これが予想をはるかに上回る、優れた出来。ヒューストンは当初予定の作曲家の音楽を破棄、映画全体を黛にまかせることにしました。ここいらはちょっと「アラビアのロレンス」でのモーリス・ジャール抜擢のエピソードもほうふつとさせますね。
黛の音楽はエンド・タイトルに出てくる有名な音楽(メイン・タイトル)はもちろん名曲ですが、冒頭から終わりまで(メイン・タイトルの旋律は基本的にはエンドにしか出てこない)映画全体が効果的な音響で満たされています。
それで当初予定された作曲家って誰だったのか忘れてしまったので、ネットでいろいろ検索して調べてみました。そしたらわかりました。なんとペトラッシなんだそうです。ちょっと驚き。(こちらのサイトにお世話になりました。。。http://www.syuzo.com/zatu/memory02.html そのときに黛を起用することになったきっかけの話も忘れていたんですが、「涅槃交響曲」のレコードだったということを、同じサイトで教えていただきました。)
ペトラッシの曲ってジェルメッティが指揮した「管弦楽のための第8協奏曲」とか、あと他にも録音は持ってると思うんですが、どんな曲だったかすぐに思い出せない・・・。でも、そんな甘ったるい曲書く人でしたっけ?映画「家族日誌」もペトラッシが音楽担当ですが。ところが別のサイトで知ったのですが、モリコーネにもこの「天地創造」で使われなかった音楽というのがあるんだそうです。他の映画に転用したそうなんですが、そうなるともしかすると実はペトラッシじゃなくてモリコーネということもありうるのでしょうか?ペトラッシとモリコーネは師弟関係にあり大変親しい間柄らしいので、あるいはどこかで混乱が生じた可能性も(例えばペトラッシが依頼されたが、モリコーネを推薦して、彼に書かせたとか)。
ま、それはともかく黛敏郎の音楽はたいへん高く評価され、アカデミー賞にもノミネートされました。残念ながら受賞は逸しましたが。(黛は日本映画の世界では、1966年の段階でもすでに100本以上の作品の音楽を担当していたベテランでしたが、ハリウッドではもちろん無名。知名度があればあるいは受賞できたかもしれません。もっともこの年は、受賞した「野生のエルザ」のジョン・バリーを始め、ゴールドスミス、エルマー・バーンスタイン、アレックス・ノースと揃っていて、まれにみるハイレベルな争いの年だったので、知名度があってもやっぱり駄目だったかもしれませんが。)
黛はその後、この映画の音楽を、コンサート用の管弦楽曲として再構成し、自らの指揮で演奏したりしました。しかしこれは日本の批評家筋からは、あまりかんばしい評価は得られなかったように記憶しています。映画音楽の名作としての評価は定まっているものの、いわゆる現代音楽の新曲としては、「しょせん映画音楽」程度の批評だったように思います。少なくとも黛敏郎のシリアスな作品に対する評価とは比較にならなかったような。しかし、あるいは今ならちょっと変るかもしれません。60年代後半や70年代前半と言えば、作曲界は完全にアヴァンギャルド全盛期。メロディアスで、効果的な盛り上げをはかる「天地創造」が無視されるのは、当然過ぎるほど当然な時代でした。でもペンデレツキが交響曲第3番みたいな、すこぶる分かりやすい音楽を書く時代には、あるいは組曲「天地創造」のような曲も再評価される余地があるんじゃないかという気がします。
アマゾンで調べた限りでは、現在映画のサントラ盤CDと、オーケストラ曲としてのCDは、いずれも出ていないようです。「メイン・タイトル」と「ノアの箱舟」の音楽は、管楽器用に編曲された録音がCDで出ていました。これは岩城宏之さんが東京佼成ウィンドオーケストラを指揮して録音した「トーンプレロマス55」というCDの最後に収められているもの(編曲はケン・フォイットコム)。「メイン・タイトル」に関しては、やはりオーケストラじゃないとスケール感が出ないのと、演奏に際して旋律のタメがないので、あまり感動的に響かないのがどうかなという感じでしょうか。「ノアの箱舟」はウィンド・アンサンブルで聞いてもなかなか面白く、これは結構いいかも。
ちなみにハイドンの「天地創造」でこのミケランジェロを使ったCDジャケットというのは、あまり見かけないように思います。最近ではシュライヤー指揮のDVDぐらいでしょうか。マティス、プレガルディエン、パペと素晴らしい歌手陣で、お薦めです。(了)