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ロスト・イン・パリ

2017年08月29日 | 洋画(17年)
 『ロスト・イン・パリ』を渋谷のユーロスペースで見ました。

(1)予告編で見て面白そうだなと思って映画館に行ってきました。

 本作(注1)の最初の方では、カナダの小さな村に雪が降っています。
 図書館司書のフィオナフィオナ・ゴードン)が机に向かってものを書いていると、突然ドアが開いて、吹雪とともに郵便配達が飛び込んできて、フィオナに手紙を手渡します(注2)。



 フィオナがハサミで開封した封筒の中には、「ゴミ箱でこの手紙を見つけました」という添え書きとともに、パリに住むマーサおばさん(エマニュエル・リヴァ)からの手紙が入っています。
 そこには、「48年住んでいるけど、今でもパリが好き」「でも、周りが老人ホームに入れという」「まだ88歳にすぎない」「フィオナ、助けてちょうだい」と書いてあります。
 それで、フィオナはパリに出発することになります。

 次の場面では、フィオナはパリの地下道(注3)を、カナダ国旗をつけたリュックを背負って歩いています。
 地下鉄に乗ろうとしますが、リュックが大きすぎてどうしても改札機を通ることが出来ません。
 通りかかった男の助けで、やっと通過することが出来ます。
 その男とエスカレーターで隣り合わせになったので、話をします。
 彼が「パリは初めて?」と尋ねると、フィオナは「フランス語は苦手」と答え、さらに男が「カナダから研修でこちらに来ている」と言うので、フィオナは親近感を覚え、彼の後をついていきます。
 でも、行き先を思い出し、慌てて元の場所に戻って、地下鉄のホームに出ます。
すると、反対側のホームにさっきの男が立っているので、フィオナは「ハーイ」と呼びかけます。

 目的の駅に着き、地上に出て、フィオナは歩いています。
 喉が渇いたのでしょう、通りにある小さな噴水の水を飲もうとしますが、なかなか口を近づけることが出来ません。

 フィオナは、やっとのことで、マーサおばさんの住むアパルトマンの前にたどり着きます。
 でも、入口のベルを押しても、何の反応もありません。
 携帯をかけてみますが、部屋でベルが鳴っているだけのようです。

 マーサおばさんを探そうとして、フィオナは橋(注4)の上に出ます。
 エッフェル塔の近くなので、それを背景にした写真を撮ってもらおうと、ジョギングをしている男に携帯を渡します。
 ですがフィオナは、男の言うままに後ずさりをして、橋の上から川に落ちてしまいます。

 川に落ちたフィオナは、水中を泳いで、やっとのことで遊覧船にすくい上げられます。
 他方、橋の上で携帯を手渡された男は、携帯をフィオナに返すべく、その遊覧船を追いかけます。

 こんなところが、本作の初めの方ですが、さあ、物語はどのように綴られていくのでしょうか、………?

 本作は、クマネズミは全く受け付けませんでした。ストーリーは、カナダの小さな村に住む女性の主人公が、パリで暮らすおばさんから助けを求める手紙を受け取ったので、彼女を探しにパリを訪れるというもの。主人公がパリに着くと、風変わりなホームレスの男に付きまとわれるのですが、主人公とこのホームレスに扮する俳優は、実生活でも夫婦で、なおかつ道化師でもあるとのこと(さらに、監督・脚本も担当)。道理で、本作でも、本業の道化師ばりの演技がアチコチで披露されます。おそらく、見る人が見れば楽しいドタバタコメディなのでしょう。ですが、その方面のセンスの持ち合わせのないクマネズミにとっては、全く面白みのない、退屈至極の映画となってしまいました。

(2)上記(1)に記したものからもある程度わかっていただけると思いますが、本作では最初の方から、実に様々な古典的なギャグが仕掛けられています。

 フィオナがパリに到着して以降も、例えば、ホームレスのドム(注5:ドミニク・アベル)がゴミ箱から拾った果物を焼いていると、思いがけずに飛んできた釣り糸の先端の釣り針にその果物が刺さって、持っていかれてしまう場面があります(注6)。

 さらに、ドムは、セーヌ川に浮かぶ船上レストランのマキシムに入りますが(注7)、彼の座った席はトイレのすぐ近く。ドアが開閉されるたびに、ドムにぶつかることになります。
 おまけに、レストランのスタッフが、スピーカーのコードを彼のテーブルの背後に通そうとして、彼に絡まってしまいます。
 そればかりか、スタッフが音楽をかけると、スピーカーの前の客が、低音がドンと鳴るたびに、椅子に座ったまま一斉に上下します。
 最後に、ドムは、このレストランにやって来たフィオナ(注8)と、レストランの端から端まで使ってタンゴを踊るのです。



 本作は、こうしたスラップスティックなギャグが、実のところ満載なのです(注9)。
 というか、本作においてストーリーは二の次であって、むしろ、そうしたギャグで出来上がっている作品と言った方が良いのかもしれません。
 ただ、こうしたギャグは、無声映画など古典的な映画の中で演じられる場合にはトテモ面白いと思うものの、本作のような現代物の映画の中でまともに演られると、酷くアナクロ的な感じがしてしまい、クマネズミは完全に引いてしまいます。

 それに、マーサとその友人のノーマン(注10:ピエール・リシャール)とが、墓地(注11)で、ベンチに座りながら足を使ってダンスを踊るシーンがあり、素敵だなと思うものの(注12)、どこかで見たことがあるかもしれないな、と思ったりしました。



 まあ、こうした作品は、つまらないことをぐたぐた言わずに、綺麗なパリの風景なども含めてサラッと見れば良いのでしょうが、最初のギャグの方で躓いてしまうと、あとの方はどうでも良くなっても仕舞います。

(3)中条省平氏は、「予期せぬ傑作、愛すべき映画である。ドタバタ喜劇の手法で大いに笑わせてくれるかと思えば、ほろ苦いユーモアで人生のままならぬ哀感を描き、しかし、生きる歓びをそっと謳いあげる。今夏、見逃せぬ一本だ」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
 伊藤恵里奈氏は、「「よく練られた深いユーモアの中にこそ、人生の真実が描ける」と語る2人。失業者や高齢者の自立の問題に触れながら、映像はカラフルで語り口は軽快だ」と述べています。



(注1)監督・脚本は、ドミニク・アベルとフィオナ・ゴードン
 原題は「Paris Piedes Nus」(パリを裸足で)。英題が 「Lost in Paris」(パリで迷子に)。

 なお、出演者の内、エマニュエル・リヴァは『愛、アムール』で見ました。

(注2)これと同じような場面は最後の方でもう一度繰り返されますが、その時は手紙ではなく、パリにいるフィオナからの電話です。

(注3)「シテ駅」に通じる地下道。

(注4)セーヌ川にかかるドゥビリ橋

(注5)ドムは、セーヌ川中洲のシーニュ島(例えばこの記事)の空地で、小さなテントを張って暮らすホームレスです。
 なお、上記の「注3」~この注、及び下記の「注11」は、公式サイト掲載の「STORY」によります。

(注6)ドムが、どんどん釣り糸を手繰っていくと、その先に、川の中に落ちた時に体から離れてしまったフィオナのリュックを見つけることになります。

(注7)上記「注6」で触れたリュックの中に入っていたバッグを開けると、中にはフィオナのお金が入っていました。ドムは、リュックの中に入っていたフィオナのセーターを着て、さらにフィオナのバッグを肩にかけ、そしてフィオナのお金を使ってレストラン・マキシムに入ります。

(注8)フィオナは、セーヌ川に落ちて持ち物をすべて失ってしまったために、在仏のカナダ大使館に行って事情を説明します。涙を流すフィオナに同情した大使館員は、彼女に食事券をわたします。フィオナはそれを使ってマキシムに入ることになります。

(注9)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事の中で、ドミニク・アベル監督は、「シンプルなアイデアを身体的な演技で埋めていくわけです。身体を通じて物語を見出していくのです。ですから私たちは、身体というのは頭よりも賢い場合がある、とよく言っているんです」と述べています。

(注10)どうやら老人ホームから彷徨いでてきた感じで、職員がノーマンを探しています。
なお、同じ老人ホームの介護士の女性が、マーサおばさんを探してもいます。

(注11)ペール・ラシューズ墓地

(注12)何しろ、本年1月に亡くなってしまうエマニュエル・リヴァが、画面では元気にマーサおばさんを演じてダンスを披露しているのですから。



★★☆☆☆☆



象のロケット:ロスト・イン・パリ



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