『メッセージ』(2016年)を渋谷Humaxシネマで見ました。
(1)アカデミー賞のいろいろな部門でノミネートされた作品(注1)なので、映画館に行ってきました。
本作(注2)の冒頭は、湖の畔に建てられている本作の主人公・ルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)の家の場面。居間の机の上にはワインのボトルやグラスが。でも誰もいない感じです。
そして、ルイーズの声が流れます。
「あなたの物語が、この日始まったんだと思ってた」(注3)、「記憶って不思議。いろいろな見え方をする」。
次いで、ルイーズの子供のハンナを巡る映像が幾つか。
まずは、赤ん坊のハンナ。ルイーズは、ハンナの手を握ったり、抱き上げたりします。
次いで、家の前に庭で遊んでいる幼いハンナ。ルイーズが「くすぐり銃だ、降参しろ」と言うと、ハンナは笑って逃げます。
さらには、少女のハンナ。ルイーズに、「大好きよ」と言ったかと思うと、「大嫌い」と言ったりもします。
最後に、ハンナが病院のベッドに横たわっています。坊主頭になっているのは抗がん剤の副作用でしょうか。ハンナは死んでいるのでしょう、ルイーズは「戻ってきて」と、ハンナの頭をなでながら泣きます。
その後、ルイーズは、病院の廊下を悲しみにくれて歩いています。
ルイーズの声。「でも、時の流れがなかったら?」、そして「見方が変わったのは、たぶん彼らが出現した日だ」。
次いで、大学の大教室の場面。
ルイーズは、教壇の椅子に座って教室を見回し、「お早う。ガラガラね。みんな何処へ行っちゃたの?」と呟きながら、「とにかく始めましょう。今日は、ポルトガル語についてです」と言います。
さらに、「ポルトガル語は、中世のガリシア王国の時にその基盤ができました。そこでは、言葉は芸術表現とみなされていました…」と話し始めたところ、教室のアチコチで携帯の音がします。学生が、「先生、TVのニュースを点けてもらえませんか?」と求めます。
仕方なくルイーズは、黒板の奥にある大きなディスプレイを取り出し、スイッチを入れます。
ディスプレイにはニュース番組の映像が映し出され、レポーターが「モンタナ警察も到着してブロックしています」「政府の機密実験の可能性も考えられます」「世界の各地の出現し、これは北海道の映像です」「衝撃が走っています」などと叫んでいます。
すると、大学にサイレンが鳴り響き、ルイーズも「今日の授業はおしまいね」と言い、キャンパスにいる学生たちは一斉に帰宅し始めます。空には、ジェット爆撃機が何機も飛んでいます
ルイーズは車で自宅に向かいますが、カーラジオでは「地球外から来た可能性もある」「なぜ1度に12隻も来たのか」などと言っています。
家に戻ったルイーズは、母親に電話し、「ニュースを見ただけ。そのチャンネルの情報は信用しないで」「私は元気。何も変わりはないので大丈夫」と話します。
こんなところが本作の始めの方ですが、さあこれからどんな物語が始まるのでしょうか、………?
本作は、突如、地球外の宇宙船が地球に12隻も出現したものの、その目的が皆目わからないために、女性の言語学者として著名な主人公が、その宇宙船に乗る地球外生命体との交渉に駆り出されて、云々というSF物語。地球外生命体の外形がどうなっているのか、彼らが使用する文字はどんなものなのか、結局彼らと人類との戦いになってしまうのか、などいろいろ興味を引く点が盛り込まれていますが、一番は、時間に関する考え方が彼らと人類とで異なっている点でしょう。勿論、従来のSF物と類似するところがいろいろあるとはいえ、最後までなかなか面白く見ることが出来ました。
(2)本作は、ごく大雑把にまとめれば、人類が、これまで接触したことのない地球外生命体とコンタクトをとって、その考えていることを理解しようとする物語、といえるでしょう。
ある意味で、その行為は、一昔前の文化人類学者が、アフリカなどに残っていた未開の地に住む土着の人々のグループの中に分け入って、その文化を解明しようとするのに似ている感じがします(注4)。その際に鍵となるのは、それらの人々が使っている言語を理解することでしょう(注5)。
本作でも、主人公のルイーズが大学で教鞭をとる言語学者とされていて、地球にやって来た地球外生命体の言語を理解する、というところに焦点が当てられています。
ただ、文化人類学者等が未接触の人々とコンタクトを取ってその使われている言語を理解しようとするのは、調査対象が自分たちと同じ姿・形をしていることから、ある意味で当然とも言えるでしょう。
でも、本作の場合、相手は、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』に登場するタコのような火星人と類似する異星人(ずっと巨大ながらも、頭部の下に7本の脚がついていて、それでヘプタポッドと呼ばれます)であり(注6)、そんな姿にもかかわらず彼らが言語を持っているに違いないと、関係する地球人はなぜ考えるのでしょうか?
おそらくは、彼らが宇宙船(巨大な卵型をしていて、「the shell」と言われます)を使って出現したために、彼らは高度なテクノロジーを持った知性体ではないか、それに宇宙船が12隻同時に地球上に出現したからには彼ら同士でコミュニケーションをとっているのではないか、そうだとしたらコミュニケーション手段として何かしらの言語を持っているのではないか、と関係する地球人たちが感じたためではないかと思われます。
それでも、彼らが、話し言葉と書き言葉(文字)を持っていて、話し言葉の解明は絶望的にしても書き言葉の理解ならなんとかなるだろうというところまで辿り着くのは、容易なことではないのではないでしょうか?
というのも、ルイーズをヘプタポッドとの交渉チームに引き入れた現地の司令官のウェバー大佐(フォレスト・ウィテカー)は、彼らの音声らしきものを録音して、その解明をルイーズらに委ねるものの(注7)、ルイーズが実際に乗り出すまでは、彼らの「文字」の存在などわからなかったわけですから。
それに、ルイーズがボードに「Human」と書いて示した時に、ヘプタポッドが墨のようなもので形作った輪っかが「文字」(それも表音文字ではなく「表義文字」)だとどうして分かるのでしょう?
それは、紙などに書き留められることなく、しばらくすると形を崩して消滅してしまうようですし、それに、ヘプタポッド同士でそれを使ってコミュニケーションをとっているようにも思えません。
彼らにとって、“話し言葉”の他に、そのような“書き言葉”はどうして必要なのでしょう(注8)?
ですが、それはどうでもいいことかもしれません。
あるいは、ルイーズが言語学者であることから、あの輪っかのようなものは「文字」に違いないと閃いたのかもしれませんし。
それになによりも、ヘプタポッドの文字を理解できるようになって、本作で一番興味をひく点、すなわち、彼らと人類とでは時間に対する見方が異なっているという点を、ルイーズがわかってくるのですから(注9)。
この点については、劇場用パンフレットに掲載のReviewの「8 時間」において、映画評論家の小林真里氏が、「ルイーズは、地球上における過去から未来へ一方向で流れる時間軸(時間の矢)とは全く異なる「非直線的な」時間軸に生きるエイリアンから、彼らと同様に「未来がわかる」能力(武器)を授かる」と述べているところです。
それで、ルイーズは、ヘプタポッドの言語(文字)を習得する過程で、次第に未来のことがわかるようになって、自分に生まれる子供(ハンナ)の未来の姿などについても、頭に思い描くようになるわけです。
そうだとすると、本作の冒頭〔上記(1)をご覧ください〕で描かれるハンナの姿についての映像も、本作の物語を話しているルイーズの現在時点では、彼女の頭に思い浮かぶ未来の事柄ということに、あるいはなるのかもしれません(注10)。
ただ、そうだとすると、時間を取り扱うSF物に特有のよくわからない点が本作に出てきてしまうようにも思われます(注11)。特に、未来のことが先取り的に現時点でわかってしまう点について(注12)。
それでも、ヘプタポッド騒動が終わった後、ルイーズがイアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)に、「この先の人生が見えたら、選択を変える?」と尋ねると、イアンは「自分の気持ちをモット相手に伝えるかも」「ずっと宇宙に憧れてきたけど、一番の出会いは彼らとじゃない、君とだ」と答えて、2人は強く抱き合うのですが、これこそ、未来の脚本がすでに出来上がっている世界における恋愛なのかもしれないと、見る者に思わせる優れたシーンではないでしょうか(注13)?
それはともかくとして、本作は、地球外生命体とコンタクトをとることはどういうことなのか、時間が直線的に流れるという認識の仕方とは違った認識方法がありうるのではないか、など、様々な点について見る者を色々考えさせるという点で、なかなか興味深い作品ではないかと思ったところです。
なお、本作では、ルイーズを演じるエイミー・アダムスは、ほとんど出ずっぱりで、聡明で意志の強そうな言語学者の役柄を真摯に熱意を込めて演じていましたが、他方で、共演のジェレミー・レナーが扮するイアンが果たす役割がどうもはっきりしない感じでした(注14)。
(3)渡まち子氏は、「エイミー・アダムスをはじめ、実力派俳優たちの丁寧な演技が、深い人間ドラマを紡ぎ、生きることの意味を問う壮大な物語を作り上げた。またしても俊英ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の才能に驚かされた1本だった」として85点を付けています。
前田有一氏は、「(本作は、)未来に不安を持つ人すべてを励ます映画であるということだ。まさに、未来に希望などない時代ならでは。現代だからこそ登場した映画であるといえるだろう」として70点を付けています。
藤原帰一氏は、「この「メッセージ」における友好的な宇宙人は、難民と移民が反発と排除を引き起こす時代において、他者と共存し、他者から学ぶことを選ぶお話として解釈することができるだろうと思います」と述べています。
北小路隆志氏は、「優れたSF映画は僕らの日常を根底で支える「常識」に再考の機会を与える。世界が注目するカナダ人監督、ドゥニ・ヴィルヌーヴの手腕が、ジャンルの枠組みの有効活用の点でも遺憾なく発揮され、近年まれなメジャー系SF映画の傑作が誕生した」と述べています。
(注1)作品賞、監督賞、脚色賞、美術賞、撮影賞、編集賞、音響編集賞、録音賞の8部門でノミネートされ、結局、音響編集賞に選ばれました。
(注2)監督は、『複製された男』や『プリズナーズ』のドゥニ・ヴィルヌーヴ。
脚色は、エリック・ハイセラー。
原作は、テッド・チャンが書いた短編「あなたの人生の物語」〔短編集『あなたの人生の物語』(ハヤカワ文庫)に収録〕。
原題は「ARRIVAL」。
なお、本作の出演者の内、最近では、エイミー・アダムスは『ビッグ・アイズ』、ジェレミー・レナーは『エヴァの告白』、フォレスト・ウィテカーは『大統領の執事の涙』、捜査官役のマイケル・スタールバーグは『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』で、それぞれ見ました。
(注3)「I used to think this was the beginning of your story」。
この「your story」が、原作の短編小説のタイトル「Story of Your Life」につながっていくのでしょう。
(注4)啓蒙的な著書では、例えば、山口昌男著『アフリカの神話的世界』〔岩波新書:この拙エントリの(2)で触れたことがあります〕などでしょうか。
(注5)一昔前だったら、言語学者・金田一京助によるアイヌ語習得の話を持ち出せばよかったかもしれません。
この記事によれば、戦後すぐの国語の教科書には、金田一京助の「心の小径」というエッセイが掲載されていて、そこでは彼のアイヌ語習得の取っ掛かりとなった出来事(金田一が、ノートに乱雑な線を書いてアイヌ人に示したところ、「ヘマタ!」と言われたので、「ヘマタ?」が「何?」を表す言葉だとわかリ、それ以後アイヌ語の語彙が増えていった←ここには、その時ノートに書いた図が掲載されています)が綴られていたそうです(ただ、ここには、このエピソードの意味について疑問が投げかけられていますが)。
なお、金田一京助については、玉川上水緑道の拙宅の近くのところに「水難の碑」が設けられていて(この記事、及びこの拙エントリの「ト)」をご覧ください)、その碑には、彼の四女が玉川上水で溺死したことが記されていて、それで少し調べてみて興味を持ちました。
(注6)宇宙人の外形としては、本作のようなタコ型を含む動物型の他にも、人間型などがあるようです(この記事)。例えば、『PK ピーケイ』に登場する異星人は、地球人と全く変わらない姿・形をしていますし、『宇宙人ポール』に登場する異星人・ポールも人間型でしょう。
なお、本作に登場する異星人・ヘプタポッドは、墨で書いた文字のようなものを使いますが、外形ばかりではなく、そんなところからもタコ型と言えるでしょう〔ただ、タコ・イカは、本川達雄著『ウニはすごい、バッタもすごい』(中公新書)によれば、海中でこそ、その形態の特徴を活かせるようです。ヘプタポッドも、なにかしらの液体の中で生息しているのでしょうか?でも、そうだとしたら、人間を超える知性の進化は望めないようにも思われますが〕。
(注7)実際には、その録音にはノイズが多い上に、どのような状況下で録音されたのか等についての情報が不足しているために、ルイーズはその解明を放棄することになります。
(注8)例えば、あのような広大な帝国を築き上げたインカ帝国には、文字が存在しなかったとされています(この記事の「言語」の項)。
(注9)ラストの方で、ルイーズは、ヘプタポッドのコステロと話をします(もう一人のアボットの方は、地球人が持ち込んだ爆薬によって死んでしまいます)。
コステロは「ルイーズには武器がある」「武器を使え」と言い、それが何を意味するのかわからないルーズは(実は、ヘプタポッドの文字がルイーズに贈られた「武器」なのですが)、「あなた達の目的は?」と尋ねると、コステロは「今、人類を助けること」と答え、さらに「3000年後に人類の助けが要るのだ」と言います。それで、ルイーズは「未来がわかるの?」と驚きます。
ただし、ここらあたりの会話は、話し言葉ではなく、お互いの「文字」のやりとりによって行われます。
(注10)あるいは、ルイーズが話している時点は、本作で描かれるヘプタポッドとのコンタクウトがあった時点よりもずっと後のことで、映画の冒頭で描かれるハンナの姿は、ルイーズの過去の経験とも解釈できますが(ラストの方で、ルイーズは、「あなた(ハンナ)の物語は、彼らが消えた日に始まったの」とも言っていますし)。
それに、最初の方で「記憶」と言ってたりもしますし(「記憶」といえば過去のことについてでしょう。ただし、ヘプタポッドに認識には「過去」も「未来」もないことになっていますから、「記憶」自体があるのでしょうか)。
(注11)例えば、自由意思の問題はどうでしょう。
上記「注9」に記したように、ヘプタポッドは、「3000年後に人類の助けが要るのだ」とわかって、「今、人類を助ける」ために地球にやって来たと言いますが、3000年後に人類によって彼らが助かるのであれば、人類はその時まで存続していたことになるわけで、なにも「今、人類を助ける」必要もないのではないでしょうか?
ただ、今人類を助けること自体もペプタポッドは予めわかっているとしたら?その場合には、予め決められている脚本通りのことを、その出演者がこなしているだけのことになります。一体、それは何を意味するのでしょうか?
また、ルイーズは、この騒動の1年後に顔を合わせるシャン上将(ツイ・マー)から携帯電話の番号を聞き出すと、物語の現時点でその携帯電話を使って、シャン上将に核攻撃の開始を思いとどまらせるのです。でも、ルイーズは、シャン上将の妻の最後の言葉(物語の現時点では、シャン上将以外に誰も知り得ないはずの)をどうして知り得たのかという点はともかくも(携帯番号を聞いた際に、教えてもらったのでしょう)、このエピソード自体、予め書かれた脚本に従っているだけのことではないでしょうか?
(注12)ルイーズに未来のことがわかるという場合、無数に起こるはずの未来の出来事の内どれについてルイーズがわかるというのでしょう?あるいは、ルイーズに引き起こされることだけに限定されるのかもしれません。でも、ヘプタポッドは、少なくとも3000年後のことがわかるのです(あるいは、彼らの寿命は3000年を超えるのかもしれません。ただ、それにしては、人間の爆弾で簡単に死んでしまうのですが)。
ルイーズ自身に起こることだけに限定される場合にしても、自分の知りたい未来を、無数に漂う未来の出来事のうちからどうやって選択するのか、よくわからない感じです。
それと、未来に起こる「出来事」と言う場合の出来事とは一体どういうものなのでしょう?出来事とは、時間の継起によってつなぎ合わされた一連のものではないでしょうか?その時間がリニアに流れて初めて、一つの出来事としてまとまって認識できるようになるのではないでしょうか?そうならずに、すべての物事が同時に起こっているとしたら、無数の出来事が同時に併置されている感じとなり、とても認識できないのではないでしょうか?
ルイーズが、ヘプタポッドから贈られた彼らの言語を習得して、世界の認識の仕方が変わったとされていますが、そのルイーズが、ヘプタポッドが出現してから帰還するまでの出来事の経緯を語る場合には、従来のリニアに時間が流れる認識の仕方によっているのは、どうしてでしょう?
(注13)それでも、ある時、「未来に起こることを自分は知っている」とルイーズがイアンに言うと、イアンは酷く怒って、家を飛び出してしまうという未来を、予め結婚する時点でルイーズは知っているのですが。
(注14)例えば、原作では、ゲーリー・ドネリー(本作のイアン・ドネリーに相当します)の解説する「変分原理」にかなり重要な役割が与えられていますが〔ハヤカワ文庫版のP.224~P.226では、ゲーリーが図を用いてルイーズに説明しています〕、本作では同原理に関する事柄はカットされています。
★★★★☆☆
象のロケット:メッセージ(2016年製作)
(1)アカデミー賞のいろいろな部門でノミネートされた作品(注1)なので、映画館に行ってきました。
本作(注2)の冒頭は、湖の畔に建てられている本作の主人公・ルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)の家の場面。居間の机の上にはワインのボトルやグラスが。でも誰もいない感じです。
そして、ルイーズの声が流れます。
「あなたの物語が、この日始まったんだと思ってた」(注3)、「記憶って不思議。いろいろな見え方をする」。
次いで、ルイーズの子供のハンナを巡る映像が幾つか。
まずは、赤ん坊のハンナ。ルイーズは、ハンナの手を握ったり、抱き上げたりします。
次いで、家の前に庭で遊んでいる幼いハンナ。ルイーズが「くすぐり銃だ、降参しろ」と言うと、ハンナは笑って逃げます。
さらには、少女のハンナ。ルイーズに、「大好きよ」と言ったかと思うと、「大嫌い」と言ったりもします。
最後に、ハンナが病院のベッドに横たわっています。坊主頭になっているのは抗がん剤の副作用でしょうか。ハンナは死んでいるのでしょう、ルイーズは「戻ってきて」と、ハンナの頭をなでながら泣きます。
その後、ルイーズは、病院の廊下を悲しみにくれて歩いています。
ルイーズの声。「でも、時の流れがなかったら?」、そして「見方が変わったのは、たぶん彼らが出現した日だ」。
次いで、大学の大教室の場面。
ルイーズは、教壇の椅子に座って教室を見回し、「お早う。ガラガラね。みんな何処へ行っちゃたの?」と呟きながら、「とにかく始めましょう。今日は、ポルトガル語についてです」と言います。
さらに、「ポルトガル語は、中世のガリシア王国の時にその基盤ができました。そこでは、言葉は芸術表現とみなされていました…」と話し始めたところ、教室のアチコチで携帯の音がします。学生が、「先生、TVのニュースを点けてもらえませんか?」と求めます。
仕方なくルイーズは、黒板の奥にある大きなディスプレイを取り出し、スイッチを入れます。
ディスプレイにはニュース番組の映像が映し出され、レポーターが「モンタナ警察も到着してブロックしています」「政府の機密実験の可能性も考えられます」「世界の各地の出現し、これは北海道の映像です」「衝撃が走っています」などと叫んでいます。
すると、大学にサイレンが鳴り響き、ルイーズも「今日の授業はおしまいね」と言い、キャンパスにいる学生たちは一斉に帰宅し始めます。空には、ジェット爆撃機が何機も飛んでいます
ルイーズは車で自宅に向かいますが、カーラジオでは「地球外から来た可能性もある」「なぜ1度に12隻も来たのか」などと言っています。
家に戻ったルイーズは、母親に電話し、「ニュースを見ただけ。そのチャンネルの情報は信用しないで」「私は元気。何も変わりはないので大丈夫」と話します。
こんなところが本作の始めの方ですが、さあこれからどんな物語が始まるのでしょうか、………?
本作は、突如、地球外の宇宙船が地球に12隻も出現したものの、その目的が皆目わからないために、女性の言語学者として著名な主人公が、その宇宙船に乗る地球外生命体との交渉に駆り出されて、云々というSF物語。地球外生命体の外形がどうなっているのか、彼らが使用する文字はどんなものなのか、結局彼らと人類との戦いになってしまうのか、などいろいろ興味を引く点が盛り込まれていますが、一番は、時間に関する考え方が彼らと人類とで異なっている点でしょう。勿論、従来のSF物と類似するところがいろいろあるとはいえ、最後までなかなか面白く見ることが出来ました。
(2)本作は、ごく大雑把にまとめれば、人類が、これまで接触したことのない地球外生命体とコンタクトをとって、その考えていることを理解しようとする物語、といえるでしょう。
ある意味で、その行為は、一昔前の文化人類学者が、アフリカなどに残っていた未開の地に住む土着の人々のグループの中に分け入って、その文化を解明しようとするのに似ている感じがします(注4)。その際に鍵となるのは、それらの人々が使っている言語を理解することでしょう(注5)。
本作でも、主人公のルイーズが大学で教鞭をとる言語学者とされていて、地球にやって来た地球外生命体の言語を理解する、というところに焦点が当てられています。
ただ、文化人類学者等が未接触の人々とコンタクトを取ってその使われている言語を理解しようとするのは、調査対象が自分たちと同じ姿・形をしていることから、ある意味で当然とも言えるでしょう。
でも、本作の場合、相手は、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』に登場するタコのような火星人と類似する異星人(ずっと巨大ながらも、頭部の下に7本の脚がついていて、それでヘプタポッドと呼ばれます)であり(注6)、そんな姿にもかかわらず彼らが言語を持っているに違いないと、関係する地球人はなぜ考えるのでしょうか?
おそらくは、彼らが宇宙船(巨大な卵型をしていて、「the shell」と言われます)を使って出現したために、彼らは高度なテクノロジーを持った知性体ではないか、それに宇宙船が12隻同時に地球上に出現したからには彼ら同士でコミュニケーションをとっているのではないか、そうだとしたらコミュニケーション手段として何かしらの言語を持っているのではないか、と関係する地球人たちが感じたためではないかと思われます。
それでも、彼らが、話し言葉と書き言葉(文字)を持っていて、話し言葉の解明は絶望的にしても書き言葉の理解ならなんとかなるだろうというところまで辿り着くのは、容易なことではないのではないでしょうか?
というのも、ルイーズをヘプタポッドとの交渉チームに引き入れた現地の司令官のウェバー大佐(フォレスト・ウィテカー)は、彼らの音声らしきものを録音して、その解明をルイーズらに委ねるものの(注7)、ルイーズが実際に乗り出すまでは、彼らの「文字」の存在などわからなかったわけですから。
それに、ルイーズがボードに「Human」と書いて示した時に、ヘプタポッドが墨のようなもので形作った輪っかが「文字」(それも表音文字ではなく「表義文字」)だとどうして分かるのでしょう?
それは、紙などに書き留められることなく、しばらくすると形を崩して消滅してしまうようですし、それに、ヘプタポッド同士でそれを使ってコミュニケーションをとっているようにも思えません。
彼らにとって、“話し言葉”の他に、そのような“書き言葉”はどうして必要なのでしょう(注8)?
ですが、それはどうでもいいことかもしれません。
あるいは、ルイーズが言語学者であることから、あの輪っかのようなものは「文字」に違いないと閃いたのかもしれませんし。
それになによりも、ヘプタポッドの文字を理解できるようになって、本作で一番興味をひく点、すなわち、彼らと人類とでは時間に対する見方が異なっているという点を、ルイーズがわかってくるのですから(注9)。
この点については、劇場用パンフレットに掲載のReviewの「8 時間」において、映画評論家の小林真里氏が、「ルイーズは、地球上における過去から未来へ一方向で流れる時間軸(時間の矢)とは全く異なる「非直線的な」時間軸に生きるエイリアンから、彼らと同様に「未来がわかる」能力(武器)を授かる」と述べているところです。
それで、ルイーズは、ヘプタポッドの言語(文字)を習得する過程で、次第に未来のことがわかるようになって、自分に生まれる子供(ハンナ)の未来の姿などについても、頭に思い描くようになるわけです。
そうだとすると、本作の冒頭〔上記(1)をご覧ください〕で描かれるハンナの姿についての映像も、本作の物語を話しているルイーズの現在時点では、彼女の頭に思い浮かぶ未来の事柄ということに、あるいはなるのかもしれません(注10)。
ただ、そうだとすると、時間を取り扱うSF物に特有のよくわからない点が本作に出てきてしまうようにも思われます(注11)。特に、未来のことが先取り的に現時点でわかってしまう点について(注12)。
それでも、ヘプタポッド騒動が終わった後、ルイーズがイアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)に、「この先の人生が見えたら、選択を変える?」と尋ねると、イアンは「自分の気持ちをモット相手に伝えるかも」「ずっと宇宙に憧れてきたけど、一番の出会いは彼らとじゃない、君とだ」と答えて、2人は強く抱き合うのですが、これこそ、未来の脚本がすでに出来上がっている世界における恋愛なのかもしれないと、見る者に思わせる優れたシーンではないでしょうか(注13)?
それはともかくとして、本作は、地球外生命体とコンタクトをとることはどういうことなのか、時間が直線的に流れるという認識の仕方とは違った認識方法がありうるのではないか、など、様々な点について見る者を色々考えさせるという点で、なかなか興味深い作品ではないかと思ったところです。
なお、本作では、ルイーズを演じるエイミー・アダムスは、ほとんど出ずっぱりで、聡明で意志の強そうな言語学者の役柄を真摯に熱意を込めて演じていましたが、他方で、共演のジェレミー・レナーが扮するイアンが果たす役割がどうもはっきりしない感じでした(注14)。
(3)渡まち子氏は、「エイミー・アダムスをはじめ、実力派俳優たちの丁寧な演技が、深い人間ドラマを紡ぎ、生きることの意味を問う壮大な物語を作り上げた。またしても俊英ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の才能に驚かされた1本だった」として85点を付けています。
前田有一氏は、「(本作は、)未来に不安を持つ人すべてを励ます映画であるということだ。まさに、未来に希望などない時代ならでは。現代だからこそ登場した映画であるといえるだろう」として70点を付けています。
藤原帰一氏は、「この「メッセージ」における友好的な宇宙人は、難民と移民が反発と排除を引き起こす時代において、他者と共存し、他者から学ぶことを選ぶお話として解釈することができるだろうと思います」と述べています。
北小路隆志氏は、「優れたSF映画は僕らの日常を根底で支える「常識」に再考の機会を与える。世界が注目するカナダ人監督、ドゥニ・ヴィルヌーヴの手腕が、ジャンルの枠組みの有効活用の点でも遺憾なく発揮され、近年まれなメジャー系SF映画の傑作が誕生した」と述べています。
(注1)作品賞、監督賞、脚色賞、美術賞、撮影賞、編集賞、音響編集賞、録音賞の8部門でノミネートされ、結局、音響編集賞に選ばれました。
(注2)監督は、『複製された男』や『プリズナーズ』のドゥニ・ヴィルヌーヴ。
脚色は、エリック・ハイセラー。
原作は、テッド・チャンが書いた短編「あなたの人生の物語」〔短編集『あなたの人生の物語』(ハヤカワ文庫)に収録〕。
原題は「ARRIVAL」。
なお、本作の出演者の内、最近では、エイミー・アダムスは『ビッグ・アイズ』、ジェレミー・レナーは『エヴァの告白』、フォレスト・ウィテカーは『大統領の執事の涙』、捜査官役のマイケル・スタールバーグは『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』で、それぞれ見ました。
(注3)「I used to think this was the beginning of your story」。
この「your story」が、原作の短編小説のタイトル「Story of Your Life」につながっていくのでしょう。
(注4)啓蒙的な著書では、例えば、山口昌男著『アフリカの神話的世界』〔岩波新書:この拙エントリの(2)で触れたことがあります〕などでしょうか。
(注5)一昔前だったら、言語学者・金田一京助によるアイヌ語習得の話を持ち出せばよかったかもしれません。
この記事によれば、戦後すぐの国語の教科書には、金田一京助の「心の小径」というエッセイが掲載されていて、そこでは彼のアイヌ語習得の取っ掛かりとなった出来事(金田一が、ノートに乱雑な線を書いてアイヌ人に示したところ、「ヘマタ!」と言われたので、「ヘマタ?」が「何?」を表す言葉だとわかリ、それ以後アイヌ語の語彙が増えていった←ここには、その時ノートに書いた図が掲載されています)が綴られていたそうです(ただ、ここには、このエピソードの意味について疑問が投げかけられていますが)。
なお、金田一京助については、玉川上水緑道の拙宅の近くのところに「水難の碑」が設けられていて(この記事、及びこの拙エントリの「ト)」をご覧ください)、その碑には、彼の四女が玉川上水で溺死したことが記されていて、それで少し調べてみて興味を持ちました。
(注6)宇宙人の外形としては、本作のようなタコ型を含む動物型の他にも、人間型などがあるようです(この記事)。例えば、『PK ピーケイ』に登場する異星人は、地球人と全く変わらない姿・形をしていますし、『宇宙人ポール』に登場する異星人・ポールも人間型でしょう。
なお、本作に登場する異星人・ヘプタポッドは、墨で書いた文字のようなものを使いますが、外形ばかりではなく、そんなところからもタコ型と言えるでしょう〔ただ、タコ・イカは、本川達雄著『ウニはすごい、バッタもすごい』(中公新書)によれば、海中でこそ、その形態の特徴を活かせるようです。ヘプタポッドも、なにかしらの液体の中で生息しているのでしょうか?でも、そうだとしたら、人間を超える知性の進化は望めないようにも思われますが〕。
(注7)実際には、その録音にはノイズが多い上に、どのような状況下で録音されたのか等についての情報が不足しているために、ルイーズはその解明を放棄することになります。
(注8)例えば、あのような広大な帝国を築き上げたインカ帝国には、文字が存在しなかったとされています(この記事の「言語」の項)。
(注9)ラストの方で、ルイーズは、ヘプタポッドのコステロと話をします(もう一人のアボットの方は、地球人が持ち込んだ爆薬によって死んでしまいます)。
コステロは「ルイーズには武器がある」「武器を使え」と言い、それが何を意味するのかわからないルーズは(実は、ヘプタポッドの文字がルイーズに贈られた「武器」なのですが)、「あなた達の目的は?」と尋ねると、コステロは「今、人類を助けること」と答え、さらに「3000年後に人類の助けが要るのだ」と言います。それで、ルイーズは「未来がわかるの?」と驚きます。
ただし、ここらあたりの会話は、話し言葉ではなく、お互いの「文字」のやりとりによって行われます。
(注10)あるいは、ルイーズが話している時点は、本作で描かれるヘプタポッドとのコンタクウトがあった時点よりもずっと後のことで、映画の冒頭で描かれるハンナの姿は、ルイーズの過去の経験とも解釈できますが(ラストの方で、ルイーズは、「あなた(ハンナ)の物語は、彼らが消えた日に始まったの」とも言っていますし)。
それに、最初の方で「記憶」と言ってたりもしますし(「記憶」といえば過去のことについてでしょう。ただし、ヘプタポッドに認識には「過去」も「未来」もないことになっていますから、「記憶」自体があるのでしょうか)。
(注11)例えば、自由意思の問題はどうでしょう。
上記「注9」に記したように、ヘプタポッドは、「3000年後に人類の助けが要るのだ」とわかって、「今、人類を助ける」ために地球にやって来たと言いますが、3000年後に人類によって彼らが助かるのであれば、人類はその時まで存続していたことになるわけで、なにも「今、人類を助ける」必要もないのではないでしょうか?
ただ、今人類を助けること自体もペプタポッドは予めわかっているとしたら?その場合には、予め決められている脚本通りのことを、その出演者がこなしているだけのことになります。一体、それは何を意味するのでしょうか?
また、ルイーズは、この騒動の1年後に顔を合わせるシャン上将(ツイ・マー)から携帯電話の番号を聞き出すと、物語の現時点でその携帯電話を使って、シャン上将に核攻撃の開始を思いとどまらせるのです。でも、ルイーズは、シャン上将の妻の最後の言葉(物語の現時点では、シャン上将以外に誰も知り得ないはずの)をどうして知り得たのかという点はともかくも(携帯番号を聞いた際に、教えてもらったのでしょう)、このエピソード自体、予め書かれた脚本に従っているだけのことではないでしょうか?
(注12)ルイーズに未来のことがわかるという場合、無数に起こるはずの未来の出来事の内どれについてルイーズがわかるというのでしょう?あるいは、ルイーズに引き起こされることだけに限定されるのかもしれません。でも、ヘプタポッドは、少なくとも3000年後のことがわかるのです(あるいは、彼らの寿命は3000年を超えるのかもしれません。ただ、それにしては、人間の爆弾で簡単に死んでしまうのですが)。
ルイーズ自身に起こることだけに限定される場合にしても、自分の知りたい未来を、無数に漂う未来の出来事のうちからどうやって選択するのか、よくわからない感じです。
それと、未来に起こる「出来事」と言う場合の出来事とは一体どういうものなのでしょう?出来事とは、時間の継起によってつなぎ合わされた一連のものではないでしょうか?その時間がリニアに流れて初めて、一つの出来事としてまとまって認識できるようになるのではないでしょうか?そうならずに、すべての物事が同時に起こっているとしたら、無数の出来事が同時に併置されている感じとなり、とても認識できないのではないでしょうか?
ルイーズが、ヘプタポッドから贈られた彼らの言語を習得して、世界の認識の仕方が変わったとされていますが、そのルイーズが、ヘプタポッドが出現してから帰還するまでの出来事の経緯を語る場合には、従来のリニアに時間が流れる認識の仕方によっているのは、どうしてでしょう?
(注13)それでも、ある時、「未来に起こることを自分は知っている」とルイーズがイアンに言うと、イアンは酷く怒って、家を飛び出してしまうという未来を、予め結婚する時点でルイーズは知っているのですが。
(注14)例えば、原作では、ゲーリー・ドネリー(本作のイアン・ドネリーに相当します)の解説する「変分原理」にかなり重要な役割が与えられていますが〔ハヤカワ文庫版のP.224~P.226では、ゲーリーが図を用いてルイーズに説明しています〕、本作では同原理に関する事柄はカットされています。
★★★★☆☆
象のロケット:メッセージ(2016年製作)
7本「脚」について、原作の記述のご指摘は説得力がありますが、お教えいただいたリンクのギリシャ語云々は「脚」であるにはやや弱い気がしました。
今のところ、あの、指バーンのインパクトが強かったので7本指としておきます。
ただ、「指バーン」と「ヘプタボッドと名付けた」のシーケンスがどうだったかはっきりしないので、そこまで強くは言えませんが。
リンク先の記事(「映画『メッセージ』の「ヘプタポッド」はギリシャ語で「7本脚」」)では「「ポッド」は、「脚」という意味の「プース」(πούς)に由来」と述べられているだけで、おっしゃるように、はっきりしない感じが残ります。
ただ、下記の記事に従ってもう少し詳しく申し上げれば、「πούς」をラテン語表示すると「pous」であり、これは他の言葉と結びつくと「pod」と変形され、本作の場合、「7」を表す「ヘプタ」(hepta)と結びついて、「ヘプタポッド」(heptapod)となるようです(他にも、「8」を表す「octo」と結びつく場合は、変形されずに「octopous」→「octopus」→タコ)。
http://wedder.net/kotoba/foot.html
語源は「足」なのに、用法では三脚など「脚」にも使われるのは面白いと思いました。
脚と足は所詮1対1なのでどちらでもいいのかもしれません。
日本語でも足と脚は明確に区別せず、「4本足」「8本足」などといますしね。
今作では何本あるかはっきりしない段階で何で7本脚と名付けたのか不思議だと思いました。
おっしゃるように、「今作では何本あるかはっきりしない段階で何で7本脚と名付けたのか不思議」な感じが、クマネズミもします。単なる想像に過ぎませんが、あるいは、原作に「七本脚(ヘプタポッド)」とある一方で、できるだけその全体像を曖昧にしておきたいとする制作側の要請もあって、靄の中に隠れてヘプタポッドの全身がはっきりしないままに、名付けてしまったのかもしれません。
また母親からの電話も、傷心の彼女を気遣っているようにしか。
でもこれが大きな謎かけになっていてラストに繋がってくるところが、一番難解で、時間の流れは一定としか理解できない私に混乱を与えてくれました。
エイリアンとのやり取りのテキストのような感じでした。深くて結構勉強させていただいた力作だったと思います。
おっしゃるように、冒頭のシーンとラストにシーンとの繋がりは、色々考えるとわけがわからなくなってきます。これも、ひとえに「時間の流れは一定としか理解できない」我々が、未来も現在も過去も同時に存在するというヘプタポッドの世界認識を自分のものとしていないことから来るのでしょう(本作を制作した監督等は、一体どのような立場にいるのでしょう?)!
死ぬ事は分かっていても、回避する必要はないという死生観を持っているのではないでしょうか? 千手先を読む将棋のようでありながら、n手頃にはこういうイベントがあるという流れが見えており、部族として一番いい流れを選択する、そういう感じじゃないか、と。
確かに、ヘプタポッドには「n手頃にはこういうイベントがあるという流れが見えて」いるはずです。でも、「注11」に書きましたように、彼らにとって、それを「回避」したり、あるいは「部族として一番いい流れを選択する」といった“自由意思”の介在する余地はないように思われます。
というのも、“自由意思”によって未来が変更できるのであれば、「n手頃にはこういうイベントがあるという流れ」自体が変わってしまうことになり、“未来が見える”というヘプタポッドの世界認識が成立しなくなってしまいますから。
ヘプタポッドのアボットは、“死んでいながらも生きている”というよくわからないオカシナ感じの状態にあるのではないかと思われます(尤も、コステロにしてもいつかは死ぬのでしょうから、似たり寄ったりかもしれませんが!)。
私、別の方のブログの感想にも書かせていただいたのですが、このヘブタポッドのコミュニケーションの手段は、文字や言語ではなくて、時を自在に行き来することで伝える(「ナニで?」と言われるといささか説明不足になるのですが、文字でも言語でも接触行為でもないいわば感情・感覚のようなものの共有)ことではないのかな?という気がしたのです。あの墨文字は地球人に合わせた創作物に過ぎない、と。ルイーズは言語学者だから、その彼らの言語の本質を理解して(墨文字の解析だけではなくてね)、あのような異体験を理解することが可能になり…と思ったりしたのですよ。
「ヘブタポッドのコミュニケーションの手段は、文字や言語ではなくて、時を自在に行き来することで伝える」ものであり、「あの墨文字は地球人に合わせた創作物に過ぎない」とのご見解。クマネズミは、言語学者が主人公であることにとらわれてしまい、そこまで気が付きませんでした。確かに、ヘブタポッドの方も、わざわざ地球にやって来たのですから、地球人のコミュニケーションの方法を研究したはずであり、地球人にわかるやり方を案出したとも考えられます。
ただ、「文字でも言語でも接触行為でもないいわば感情・感覚のようなものの共有」でコミュニケーションが可能となるのであれば、わざわざ「墨文字」を創作するまでもないのでは、とも思えるのですが。
そして、本作においては、この「墨文字」が重要な働きをしているように思われます。というのも、映画の中では、「サピア=ウォーフ仮説」なるものが強調されていて、これは“言語”に関する仮説だと考えられるからですが(ルイーズが「墨文字」を習得することによって、ヘプタポッドの世界観を自分のものにしたように描かれているように思われます)。