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あの日の声を探して

2015年05月26日 | 洋画(15年)
 『あの日の声を探して』を新宿武蔵野館で見ました。

(1)予告編を見て興味を惹かれ、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、1996年に第1次チェチェン紛争は終結したものの、1999年8月モスクワでテロ事件が起きたことをきっかけに第2次チェチェン紛争が勃発したと説明され、1999年10月16日と日付のついたビデオ映像が画面の中に映しだされます。
 「牛が死んでいる」「家が燃えている」「大したことは起きていない」「戦争のあとなんだから」など、撮影しているロシア兵の声が。
 次いで、「何かやっている」「見てみよう」との声が入り、「テロリストを捕まえたところ。敵の精鋭だ」と言う兵士に対し、捕まった男は「農民です」と答え、さらに兵士が「狙撃兵だろ?白状しな」と言と、男が祈る仕草をするものですから、兵士は「バカにしてんのか?祈っても、お前の神なんか関係ない」と怒り、その男を銃で撃ち殺してしまいます。すると、その男の妻が泣き叫んで死体に取りすがるものですから、兵士はその妻も撃ちます。
 そばにいた娘・ライッサが「ママ!」と泣き叫びます。
 ビデオ映像は、「作戦は大成功です」といった声で終了し、タイトルクレジット。

 画面は通常のものとなって、小さな家の窓から、赤ん坊を抱えながら幼いハジが外を見ています。まさに、ハジの父親と母親が撃ち殺されたところ。



 ハジは、家の中を捜索しに来た兵士を隠れてやり過ごした後、荷物をリュックに詰めて背負い家を出ます。
 さあ、赤ん坊を抱えたハジは、これからどうするのでしょうか、………?

 本作で描かれるのは、1999年の第2次チェチェン紛争。具体的には、両親を目の前でロシア兵に殺されたショックで声を失った少年ハジとその姉ライッサ、ハジを引き取って暮らそうとする欧州人権委員会(注2)の職員・キャロルベレニス・ベジョ)、さらにロシア軍に半ば強制的に入隊させられたコーリャが主な登場人物。一般人、特に年若い者や女子供の境遇を否応なく変えてしまう戦争の悲惨さ・理不尽さが克明に描かれていて、衝撃を受けます。

(2)本作を見ながら、しきりと『アメリカン・スナイパー』が思い出されました。
 まず、様々な前史があるとはいえ、当時のプーチン首相がチェチェンにロシア軍を派遣することとしたのは、本作の冒頭で言われるようにモスクワにおけるテロ事件が直接的な原因とされていて、これはある意味では、ブッシュ・元米国大統領が、『アメリカン・スナオパー』で描かれるイラク戦争に踏み切ったのが同時多発テロとされている事情に類似しているように思われます。

 また、『アメリカン・スナイパー』の主人公クリスは志願兵であるのに対し、本作のコーリャはやむなく軍隊に入ってしまったという違いこそあれ(注3)、二人は、非合理的な訓練を施された上で、前線に送られます(注4)。



 さらに、両人とも、自国内ではなく他国(注5)に派遣されて、そこの住民たちと戦争をすることになり、敵の狙撃兵による犠牲者が仲間内に何人も出るようになります。『アメリカン・スナイパー』の場合、クリスは、手強い敵の狙撃兵を射殺することに成功しますが、本作の場合は、避難せずに市内に残っている男は狙撃兵に違いないということで、捕らえた住民の男をちょっとしたことで殺してしまいます。

 とはいえ、『アメリカン・スナイパー』にあっては、全編、狙撃兵クリスの視点から映画が制作されているのに対して、本作でハジやライッサが登場する場面は、クリスの狙撃用ライフルの照準の向こうにいる少年の側から戦争を見ていることに相当するでしょう。
 それで、『アメリカン・スナイパー』は、同作についてのエントリでも申し上げましたが、「戦争アクション物、あるいは一種の西部劇」として楽しめるのに対し、本作からは、戦争の悲惨さ・理不尽さを痛いほど感じることになります(注6)。

 もう一つ本作を見て印象に残った点を挙げるとすれば、言葉の問題でしょう。
 ハジとその姉イリッサはチェチェン語、コーリャはロシア語、欧州人権委員会のキャロルはフランス語、赤十字のヘレンアネット・ベニング)は英語というように、映画の中では様々な言語が飛び交います。
 冒頭で、ロシア兵がハジの両親を撃ち殺してしまいますが、そうなったのも様々な要因があるにせよ、言葉がお互いにうまく通じなかったことも大きかったのではと思いました。

 ただ、よくわからなかったのは、チェチェンからの避難民たちに事情聴取をする場合、ヘレンもキャロルも通訳を介しているのに対して、チェチェン人であるハジやライッサに対し、彼女らは直接話を聞こうとしていることです。



 それでもライッサは、映画の中で、米国に行きたかったから英語を勉強したと言っているので、ヘレンと意思疎通ができてもおかしくないとはいえ(注7)、ハジに対してキャロルはいきなりフランス語で様々な質問を浴びせかけるのです。
 本作でハジは、両親の射殺というこの上ない悲惨な目に遭って声を失ったとされていますから、どんな言葉で対応しようと事態に変化はないかもしれません。ですが、お互いの意思疎通の困難さを、言葉の違いが一層助長しているのでは、と思えてしまいます。

(3)渡まち子氏は、「チェチェンを舞台に声を失くした少年とEU職員との交流を描くヒューマンドラマ「あの日の声を探して」。手持ちカメラの粗い映像が殺伐とした戦争のリアルな狂気を体感させる」として65点をつけています。
 佐藤忠男氏は、「主役の少年を演じるアブドゥル・カリム・ママツイエフが実にうまい。ちょっとした表情一つにも、彼の切ない心の内を想像して見ていて涙ぐんでしまう。この子を助けるフランス人のEU職員キャロルを演じるベレニス・ベジョも好演だが、いちばん印象に残るのは難民の群れの集団演技だ」と述べています。
 谷岡雅樹氏は、「本作は、戦争を止めさせろという主張の最も効果的な二一世紀の金字塔映画だ」と述べています。
 読売新聞の大木隆士氏は、「ハジ役のママツイエフは、演技経験のない本当のチェチェンの少年だ。横を通り過ぎる戦車の圧迫感に怯え、 一人残された心細さに震える姿は演技とは思えない。それがキャロルと出会い、きつく結んでいた口元を徐々に緩める。一方、コーリャは人間性を失っていく。そぎ落とされ、鋭くなるほおが象徴的だ。対立関係にある2人に、戦争の異なる悲劇を体現させたアザナビシウス監督の手腕が見事で、心を揺さぶられた」と述べています。



(注1)監督は、『アーティスト』のミシェル・アザナヴィシウス
 原題は「The Search」。

(注2)本作の公式サイトの「INTRO&STORY」では、「フランスから調査に来たEU職員のキャロル」とされていますが、EUに加盟していないロシア(その中のチェチェン)になぜ「EU職員」が調査に訪れるのかよくわかりません。
 推測ですが、キャロルは、ロシアも加盟している「欧州評議会」の下部組織の「人権委員会」に所属する職員なのではないでしょうか?

(注3)コーリャは、たばこを吸っているところを警官に見つかり、署に連行され、年齢を尋ねられ「19」と答えると、「若いな、善処してやる」と言われ、とどのつまりは軍隊に入ることになってしまいます。

(注4)実のところは、クリス・カイルが受けたものは、特殊部隊SEALに入るための過酷な訓練であって、彼はそれを前向きに捉えて克服するのですが、他方、本作のコーリャの受けた訓練は、旧日本軍において新兵に対して古参兵が行っていた陰湿な苛めを彷彿とさせるものです。

(注5)チェチェン共和国はロシア連邦の一員ですが。

(注6)本作のミシェル・アザナヴィシウス監督は、このインタビュー記事の中で、「戦争というものが起こった時には、誰が戦争によって得をしたか、勝利したか、そういったものはなく、全ての人間が被害者だと思っています。そして、そのような危機的状況の中では、人間の本性である良い面も悪い面も浮き彫りにされていく状況だと思います」云々と述べています。

(注7)住んでいたチェチェンの寒村でライッサが英語を簡単に学習できたのか疑問に思えるのですが、それはまあどうでもいいことでしょう。



★★★☆☆☆



象のロケット:あの日の声を探して


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2 コメント

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Unknown (atts1964)
2017-02-13 10:28:54
この作品は、チェチェン戦争を、二つの視線で描いていましたね。
いやいや戦う兵士と、親を殺された少年・ハジとキャロルの出会い。
このコントラストが独特で、戦争のリアルさを表現していました。
恥だけの物語だとしたら、感動秘話なんですが、コーリャのシーンが生々しいんですよね。
単なる感動作品にしなかったところが、監督の妙なのかもしれませんね。
こちらからもTBお願いします。
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Unknown (クマネズミ)
2017-02-13 18:47:10
「atts1964」さん、TB&コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、「親を殺されたハジだけの物語だとしたら、感動秘話」になるところ、「いやいや戦うコーリャのシーンが生々し」く、その結果、本作は「チェチェン戦争」を随分とリアルに捉えていると思いました。物事を様々なアングルから捉える必要性を感じたところです。
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