『ブルージャスミン』を吉祥寺バウスシアターで見ました(これで同館は見納めになるかもしれません)。
(1)およそ1年ぶりのウディ・アレン監督作品であり、主演のケイト・ブランシェットがアカデミー賞主演女優賞を受賞したということで映画館に行ってきました。
本作は、このところヨーロッパの著名都市を舞台にした映画を撮り続けていたウディ・アレン監督(注1)が、『人生万歳!』(2009年)以来久しぶりでアメリカを舞台にして制作した作品です。とはいえ、ホームグランドのニューヨークではなく、サンフランシスコが舞台となっています。
それまでニューヨークで大層リッチな生活を送ってきたジャスミン(ケイト・ブランシェット)が、夫・ハル(アレック・ボールドウィン)の事業の破綻によって無一文となり(注2)、サンフランシスコにやってきて、妹・ジンジャー(サリー・ホーキンス)の家に転がり込むところからこの映画は始まります。
厳しい状況にあるにもかかわらず、ジャスミンは元の豪華な生活が忘れられず(注3)、周囲の人達との間で様々な摩擦を引き起こし、自身もショックを受けます。
例えば、現実的になろうと、ジャスミンは歯科医院の受付係となりますが、所詮細々とした事務的なことには向いておらず、頭に来てそこを飛び出してしまいます(注4)。
そんななかでジャスミンは、あるパーティーでドワイト(ピーター・サースガード)という外交官の男と知り合いになります(注5)。
また、妹のジンジャーも、シングルマザーで二人の子供を育てていて、恋人もいますが、同じくパーティーで知り合った男と懇ろになってしまいます(注6)。
彼女たちは一体どうなることでしょうか、………?
ストーリーは、これまでのウディ・アレン監督作品らしく他愛ないものですが、なんといってもケイト・ブランシェットの演技が素晴らしく、実に鼻持ちならない女性であるジャスミンながら、おしまいころになると可愛く見えてきてしまうのですから不思議です(注7)。
(2)本作は、例によって監督自身が色々喋っていますから(注8)、この映画で気がつく教訓めいたことなどを申し上げても屋上屋を重ねるばかりとなるでしょう。
それよりも、一つ一つのシーンをあれこれと愉しんだりすればいいのではないかと思っています。
例えば、映画の冒頭では、ニューヨークからサンフランシスコに向かう飛行機の中で、隣の女性に対して、ジャスミンは、これまでの人生のことについて延々としゃべり続けています(注8)。その有り様は、サンフランシスコ空港に着いてから、隣の女性が、出迎えの夫に対して「一人でしゃべり通し。こちらが聞いてもいないのに」と呆れて言うほどです(注9)。
このシーンを見ると、最近の『ウォルト・ディズニーの約束』における最初の方の一場面を思い出してしまいます。
そこでは、ディズニーとの契約を検討するためにしぶしぶ搭乗したロス行きの飛行機の中で、主人公のトラヴァース(エマ・トンプソン)が、客室乗務員などに苛々と様々に文句をつけるのです(注10)。
ジャスミンにしてもトラヴァースにしても、それまでに様々の問題を抱え込んでいてそうした態度をとるわけですが、これらの映画を見る観客はそれらの問題の詳細は分からないにしても、二人が厳しい状況下にあるなということは、これらの場面からすぐに分かる感じがします。
また、ジャスミンは、元の名前はジャネットですが、それでは「平凡でつまらない」としてジャスミンに変えています。こんなところは、話は飛躍して恐縮ながら、現在放映中のNHK連続TV小説『花子とアン』に登場する主人公の安東はな(吉高由里子)が、通っていた小学校や修和女学校で自分のことを「花子と呼んでくれ」と言い続けているのを思い出してしまいました(注11)。
さらには、ジャスミンがシャネルジャケットを愛用していることから、『ココ・シャネル』を思い出してみるとか、………(注12)。
(3)渡まち子氏は、「悲惨さと滑稽さが同居する難役をケイト・ブランシェットがさすがの演技力で演じていて、オスカー受賞も納得の熱演。名曲「ブルー・ムーン」のメロディが忘れがたい余韻を残してくれる人間ドラマだ」として80点をつけています。
前田有一氏は、「こんなに強烈な才気が78歳のアレンに残されていたとは、うれしい驚きである。本作は、近年のウディ・アレンコメディに欲求不満だった人、そもそもアレン映画とはそういうものだと思いこんでいる人に是非見てほしい、切れ味鋭い人間ドラマの傑作である」として90点をつけています。
相木悟氏は、「喜劇なのか、悲劇なのか、苦笑をまじえつつ複雑な後味の残る匠の逸品であった」と述べています。
(注1)『ローマでアモーレ』ではローマ、『ミッドナイト・イン・パリ』ではパリ、『恋のロンドン狂騒曲』ではロンドン、『それでも恋するバルセロナ』ではバルセロナ。
(注2)ジャスミンは、「全財産を国税庁にとられた。その上裁判で弁護士にも」と言ったり、「ゼロどころか、莫大な借金も」と言ったりします。
(注3)何しろ、飛行機もファーストクラスに乗ってサンフランシスコにやってきたくらいですから!
ちなみに、その時の服装は、劇場用パンフレット掲載のスタイリスト・えなみ眞理子氏のエッセイ「もう一人の主役は、もしかしてシャネルジャケット?」では、「ジャケットもシングルブラウスもロングのペールネックレスも全てシャネル。………と、全身これでもかのハイブランド」と述べられています。
(注4)不向きだったことだけでなく、歯科医のフリッカー博士(マイケル・スタールバーグ)から言い寄られたこともありますが(「君の服の着方が色っぽくてセクシーでそそられる」)。
(注5)ドワイトは、最近妻(ファッション誌で働いていました)を亡くしたばかりの外交官(ウィーンニいます)で、ジャスミンに、「来月ウィーンにきてくれるかな、2、3年住んでワルツを覚えて。僕は、政界に出る準備をする」とまで言います。
(注6)ジャスミンは、ジンジャーの恋人チリ(ボビー・カナヴェイル)を、粗野な修理工であることで酷く嫌っていて、そのことがジンジャーに影響したのでしょう、彼女はパーティーで知り合った男・アル(ルイス・C・K)がサウンド・エンジニアー(「人に音楽を届ける仕事をしている」)と聞いて、心を動かしてしまいます恋人のチリがいるにもかかわらず、「私はフリーよ」と言ってしまいます)。
(注7)なお、最近では、ケイト・ブランシェットは『ロビン・フッド』、サリー・ホーキンスは『ジェーン・エア』、アレック・ボールドウィンは『ローマでアモーレ』で、それぞれ見ました。
(注8)例えば、劇場用パンフレットに掲載された「Production Notes」の中で、ウディ・アレンは、「観客がジャスミンのことを気に掛けるのは、この物語がただ単に経済的な喪失ではなく、彼女のキャラクターにある悲劇的な欠点が彼女自身の終焉を作り出しているからなんだ」、「見方を変えれば、人は過ちを犯すし、それは皆に共通している。人は皆、自分の子どもたちや夫、妻に対して、ささいなことで終始過ちを犯すんだよ」などと述べています。
ただ、その記事によれば、ウディ・アレンは、「ジャスミンは自分の快楽や収入。安全の源について深く知ろうとしないことを選択した」と述べています。
確かに、例えば、本作の最初の方の回想シーンで、ジャスミンは「金融はチンプンカンプンなの、夫を信じているの」と述べていますが、本作のラストの方を見れば、ジャスミンは、夫が何をしていたのかについて実は十分に把握していたものの、夫などに対しては無知を装っていたのだとわかります。ウディ・アレンは、もちろんそんなことをよく知っていながら、観客をけむにまいているだけなのでしょう。
(注8)ハルと結婚するために、ボストン大学(人類学を勉強)を中退した(一年残して)とか、サンフランシスコは初めてで、妹のところに行くのだとか、ただ妹と言っても実の妹ではなく、二人は同じ里親のもとで育った里子だったなどなど。
(注9)このシーンは、ラストのシーン(外のベンチに座って独りで「なにもかもがごちゃごちゃ」などとしゃべっているジャスミンを見て、おかしな人だと感じて女性が遠ざかります)と対応するようです。
(注10)トラヴァースは、大きな手荷物を別の場所で保管しようとする客室乗務員を遮って、席の上の荷物収納棚に無理やり入れようとしますし、隣の女性が赤ちゃんを抱いていると、「長いフライトなんだから、泣かさないようにして」と言って席を換えさせたりします。
(注11)このサイトの記事では、「安東はなが「花子」と呼ばれたい理由」がいくつか挙げられています。
(注12)ジャスミンは、自分のことをドワイトに対し、「住んでいるところはニューヨーク、仕事はインテリアデザイナー、夫は外科医だったが過労による心臓発作で死亡」とスラスラと言いますが、最近のパソコン遠隔操作事件における容疑者の発言を目にしたりすると、「ジャスミンはサイコパス?」と言いたくなってしまいます。でも、サイコパスに関するこうした記事を読むと、ジャスミンはせいぜい可愛らしいミニサイコパスくらいでしょうか?
★★★★☆☆
象のロケット:ブルージャスミン
(1)およそ1年ぶりのウディ・アレン監督作品であり、主演のケイト・ブランシェットがアカデミー賞主演女優賞を受賞したということで映画館に行ってきました。
本作は、このところヨーロッパの著名都市を舞台にした映画を撮り続けていたウディ・アレン監督(注1)が、『人生万歳!』(2009年)以来久しぶりでアメリカを舞台にして制作した作品です。とはいえ、ホームグランドのニューヨークではなく、サンフランシスコが舞台となっています。
それまでニューヨークで大層リッチな生活を送ってきたジャスミン(ケイト・ブランシェット)が、夫・ハル(アレック・ボールドウィン)の事業の破綻によって無一文となり(注2)、サンフランシスコにやってきて、妹・ジンジャー(サリー・ホーキンス)の家に転がり込むところからこの映画は始まります。
厳しい状況にあるにもかかわらず、ジャスミンは元の豪華な生活が忘れられず(注3)、周囲の人達との間で様々な摩擦を引き起こし、自身もショックを受けます。
例えば、現実的になろうと、ジャスミンは歯科医院の受付係となりますが、所詮細々とした事務的なことには向いておらず、頭に来てそこを飛び出してしまいます(注4)。
そんななかでジャスミンは、あるパーティーでドワイト(ピーター・サースガード)という外交官の男と知り合いになります(注5)。
また、妹のジンジャーも、シングルマザーで二人の子供を育てていて、恋人もいますが、同じくパーティーで知り合った男と懇ろになってしまいます(注6)。
彼女たちは一体どうなることでしょうか、………?
ストーリーは、これまでのウディ・アレン監督作品らしく他愛ないものですが、なんといってもケイト・ブランシェットの演技が素晴らしく、実に鼻持ちならない女性であるジャスミンながら、おしまいころになると可愛く見えてきてしまうのですから不思議です(注7)。
(2)本作は、例によって監督自身が色々喋っていますから(注8)、この映画で気がつく教訓めいたことなどを申し上げても屋上屋を重ねるばかりとなるでしょう。
それよりも、一つ一つのシーンをあれこれと愉しんだりすればいいのではないかと思っています。
例えば、映画の冒頭では、ニューヨークからサンフランシスコに向かう飛行機の中で、隣の女性に対して、ジャスミンは、これまでの人生のことについて延々としゃべり続けています(注8)。その有り様は、サンフランシスコ空港に着いてから、隣の女性が、出迎えの夫に対して「一人でしゃべり通し。こちらが聞いてもいないのに」と呆れて言うほどです(注9)。
このシーンを見ると、最近の『ウォルト・ディズニーの約束』における最初の方の一場面を思い出してしまいます。
そこでは、ディズニーとの契約を検討するためにしぶしぶ搭乗したロス行きの飛行機の中で、主人公のトラヴァース(エマ・トンプソン)が、客室乗務員などに苛々と様々に文句をつけるのです(注10)。
ジャスミンにしてもトラヴァースにしても、それまでに様々の問題を抱え込んでいてそうした態度をとるわけですが、これらの映画を見る観客はそれらの問題の詳細は分からないにしても、二人が厳しい状況下にあるなということは、これらの場面からすぐに分かる感じがします。
また、ジャスミンは、元の名前はジャネットですが、それでは「平凡でつまらない」としてジャスミンに変えています。こんなところは、話は飛躍して恐縮ながら、現在放映中のNHK連続TV小説『花子とアン』に登場する主人公の安東はな(吉高由里子)が、通っていた小学校や修和女学校で自分のことを「花子と呼んでくれ」と言い続けているのを思い出してしまいました(注11)。
さらには、ジャスミンがシャネルジャケットを愛用していることから、『ココ・シャネル』を思い出してみるとか、………(注12)。
(3)渡まち子氏は、「悲惨さと滑稽さが同居する難役をケイト・ブランシェットがさすがの演技力で演じていて、オスカー受賞も納得の熱演。名曲「ブルー・ムーン」のメロディが忘れがたい余韻を残してくれる人間ドラマだ」として80点をつけています。
前田有一氏は、「こんなに強烈な才気が78歳のアレンに残されていたとは、うれしい驚きである。本作は、近年のウディ・アレンコメディに欲求不満だった人、そもそもアレン映画とはそういうものだと思いこんでいる人に是非見てほしい、切れ味鋭い人間ドラマの傑作である」として90点をつけています。
相木悟氏は、「喜劇なのか、悲劇なのか、苦笑をまじえつつ複雑な後味の残る匠の逸品であった」と述べています。
(注1)『ローマでアモーレ』ではローマ、『ミッドナイト・イン・パリ』ではパリ、『恋のロンドン狂騒曲』ではロンドン、『それでも恋するバルセロナ』ではバルセロナ。
(注2)ジャスミンは、「全財産を国税庁にとられた。その上裁判で弁護士にも」と言ったり、「ゼロどころか、莫大な借金も」と言ったりします。
(注3)何しろ、飛行機もファーストクラスに乗ってサンフランシスコにやってきたくらいですから!
ちなみに、その時の服装は、劇場用パンフレット掲載のスタイリスト・えなみ眞理子氏のエッセイ「もう一人の主役は、もしかしてシャネルジャケット?」では、「ジャケットもシングルブラウスもロングのペールネックレスも全てシャネル。………と、全身これでもかのハイブランド」と述べられています。
(注4)不向きだったことだけでなく、歯科医のフリッカー博士(マイケル・スタールバーグ)から言い寄られたこともありますが(「君の服の着方が色っぽくてセクシーでそそられる」)。
(注5)ドワイトは、最近妻(ファッション誌で働いていました)を亡くしたばかりの外交官(ウィーンニいます)で、ジャスミンに、「来月ウィーンにきてくれるかな、2、3年住んでワルツを覚えて。僕は、政界に出る準備をする」とまで言います。
(注6)ジャスミンは、ジンジャーの恋人チリ(ボビー・カナヴェイル)を、粗野な修理工であることで酷く嫌っていて、そのことがジンジャーに影響したのでしょう、彼女はパーティーで知り合った男・アル(ルイス・C・K)がサウンド・エンジニアー(「人に音楽を届ける仕事をしている」)と聞いて、心を動かしてしまいます恋人のチリがいるにもかかわらず、「私はフリーよ」と言ってしまいます)。
(注7)なお、最近では、ケイト・ブランシェットは『ロビン・フッド』、サリー・ホーキンスは『ジェーン・エア』、アレック・ボールドウィンは『ローマでアモーレ』で、それぞれ見ました。
(注8)例えば、劇場用パンフレットに掲載された「Production Notes」の中で、ウディ・アレンは、「観客がジャスミンのことを気に掛けるのは、この物語がただ単に経済的な喪失ではなく、彼女のキャラクターにある悲劇的な欠点が彼女自身の終焉を作り出しているからなんだ」、「見方を変えれば、人は過ちを犯すし、それは皆に共通している。人は皆、自分の子どもたちや夫、妻に対して、ささいなことで終始過ちを犯すんだよ」などと述べています。
ただ、その記事によれば、ウディ・アレンは、「ジャスミンは自分の快楽や収入。安全の源について深く知ろうとしないことを選択した」と述べています。
確かに、例えば、本作の最初の方の回想シーンで、ジャスミンは「金融はチンプンカンプンなの、夫を信じているの」と述べていますが、本作のラストの方を見れば、ジャスミンは、夫が何をしていたのかについて実は十分に把握していたものの、夫などに対しては無知を装っていたのだとわかります。ウディ・アレンは、もちろんそんなことをよく知っていながら、観客をけむにまいているだけなのでしょう。
(注8)ハルと結婚するために、ボストン大学(人類学を勉強)を中退した(一年残して)とか、サンフランシスコは初めてで、妹のところに行くのだとか、ただ妹と言っても実の妹ではなく、二人は同じ里親のもとで育った里子だったなどなど。
(注9)このシーンは、ラストのシーン(外のベンチに座って独りで「なにもかもがごちゃごちゃ」などとしゃべっているジャスミンを見て、おかしな人だと感じて女性が遠ざかります)と対応するようです。
(注10)トラヴァースは、大きな手荷物を別の場所で保管しようとする客室乗務員を遮って、席の上の荷物収納棚に無理やり入れようとしますし、隣の女性が赤ちゃんを抱いていると、「長いフライトなんだから、泣かさないようにして」と言って席を換えさせたりします。
(注11)このサイトの記事では、「安東はなが「花子」と呼ばれたい理由」がいくつか挙げられています。
(注12)ジャスミンは、自分のことをドワイトに対し、「住んでいるところはニューヨーク、仕事はインテリアデザイナー、夫は外科医だったが過労による心臓発作で死亡」とスラスラと言いますが、最近のパソコン遠隔操作事件における容疑者の発言を目にしたりすると、「ジャスミンはサイコパス?」と言いたくなってしまいます。でも、サイコパスに関するこうした記事を読むと、ジャスミンはせいぜい可愛らしいミニサイコパスくらいでしょうか?
★★★★☆☆
象のロケット:ブルージャスミン
映画を見ているときに『こわれゆく女』は連想したが上の2本は特に意識しなかった。
しかし、『欲望という名の電車』は昔原作戯曲と対比し詳細に分析したことがあるが確かに人物設定や構成などに共通する部分は非常に多い。アレン自身の発言などは知らないが、そうえば彼自身が『スリーパー』でBlanche を演じて(?)いるほどなので意識したことは間違いないだろう。
ちなみにジャネットの夫はHal Francis なのに彼女はJasmin French と姓も変えて名乗る
(当然僕は乗ったことはないが)客席から見てどうみてもエコノミーで彼女特有の虚言でしょうね。タクシーのチップを払うとき一瞬ためらって、かなりはずんだようだが“使い古し”のブランド物はともかく大金はおろか恐らくクレジットカードも持っていないだろうからファーストクラスなんてとうてい無理のはず。
・(3)で触れた相木悟氏など、『欲望という名の電車』(それも、映画でBlancheを演じたヴィヴィアン・リー)に触れる人が多いので、拙エントリではあえて取り上げませんでした。
・それにしても「milou」さんはよくご存知ですね!
ダイアン・キートンとウディ・アレンとがマーロン・ブランドとヴィヴィアン・リーとを真似ているシーンのある映画があるなんて、ネットで調べるまでは全然知りませんでした。
・クレジットカードの件はおっしゃるとおりではないかと思います。ジャスミンは、いったいどうやって沢山の買い物をしたのでしょう?
「おらのことをジャスミンと読んでけろ」と言ってくれたら、もうちょっと好きになれたと思うんですよ。
「妹と買い物するシーンは破産前しかなかった」とおっしゃるのは、あるいはそうかもしれません。DVDで確認してみたいと思います。
なお、「おらのことをジャスミンと読んでけろ」とジャスミンが言ったらということですが、『クィーン・オブ・ベルサイユ』の主人公ジャッキーの言動を見ると、ひとたび大金持ちになれば意識がスッカリ変わってしまっていて、いくら没落しても元に戻れない感じです。