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イン・ザ・ヒーロー

2014年09月17日 | 邦画(14年)
 『イン・ザ・ヒーロー』を渋谷TOEIで見てきました。

(1)日曜日朝のトーク番組「ボクらの時代」に主演の唐沢寿明が出演していたこともあって(注2)、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の主役は、ヒーローのスーツを着たり怪獣の着ぐるみを着たりして演じるスーツアクターとして25年活躍している本城唐沢寿明)。
 仕事に夢中の彼は、妻・凛子和久井映見)と娘・杉咲花)と3年前に別れて一人暮らし。
 その部屋の壁には、本城が憧れるブルース・リーの大きな写真が貼ってあったり、「我、ことにおいて後悔せず」と書かれた紙が貼ってあったりします(注3)。

 さて、彼が代表に就いている「下落合ヒーローアクションクラブ」に、日本で撮影が行われているハリウッド映画『ラストブレイド』のオーディションにぜひ受かりたいという一ノ瀬福士蒼汰)が入ってきます。



 さらに、そのハリウッド映画から本城に出演依頼が飛び込んできます。ですが、それは非常に危険なアクションのスタントなのです。
 さあ、一体どうなることでしょう、………?

 これまで映画では取り上げられたことがなかったスーツアクターを主役にし、それも過去にその経験があるという唐沢寿明をもってくるというのですから面白くない訳はないはずながら、やはり邦画特有の人情話が絡んだりして(注4)、せっかくの題材が十分に生かされなかったように感じました(注5)。

(2)本作のクライマックス・シーンを見ると、みなさんが指摘されているとはいえ、やっぱり『蒲田行進曲』(1982年)を思い起こさずにはおれません。
 なにしろ同作では、主役の銀四郎風間杜夫)を憧れる大部屋俳優のヤス平田満)が、結婚相手の女優・小夏松坂慶子)のお産の費用を捻出するために、死の危険が伴う「階段落ち」(高さ数十メートルの階段を落下)に挑むというのですから(注6)。
 本作でも、白忍者の本城が、本能寺2階から「ワイヤーなしCGなし」で8.5m下の地上に落下するシーン(注7)が設けられています。

 本城の白忍者が100人の黒忍者と対決する15分ものアクション場面は、クライマックス・シーンだけあってなかなか見事な出来栄えだと言えるでしょう。
 とはいえ、本城はハリウッド映画に出演できると大喜びながら(注8)、白忍者の装束では顔が白覆面で覆われてしまい、それではこれまでのスーツアクターの仕事と何ら変わりがないのではと思われ、そんなに大喜びする理由が不可解です(注9)。
 それに、このシーンの撮影のために本城は当分ベッドに寝たきりになってしまいましたから、以降の撮影は不可能のはずです。
 本城の出番がこのシーンだけであればそれで構わないものの、でも、劇場用パンフレットに掲載されている「What is Last Blade ?(ラストブレイド設定)」によれば、本作においてスタンリー・チャン監督が制作している映画『ラストブレイド』に登場する「白忍者」は「主人公(マット)の相棒」とされていますから、ワンシーンだけの登場ということはありえないのではないでしょうか?
 あるいは、そうしたシーンはすでに撮影済みかもしれないとはいえ(注10)、本作の中では何も説明されておりません。

(3)また、劇場用パンフレットには、本作の脚本を担当した水野敬也氏による別冊「「武士道」のすすめ」が付けられています。
 その最初のページに、主役の本城について、「殺陣の名手でもある彼は武士の生きざまと自分とを重ねており、『武士道』『葉隠』『五輪書』は全文を暗唱できるほど読み込んでいる」とあり、「はじめに」のところでも、「彼の根底に流れる「武士道」を理解することは、「イン・ザ・ヒーロー」を違った角度からも楽しませてくれると思います」として、「武士道とはなにか?」という問に迫っていき」ます。
 特に、その第1章は「「切腹」とは何か?」とのタイトルの下、『葉隠』の有名な「武士道とは、死ぬことと見つけたり」の箇所について説明し、「生か、死か、その二択を問われたとき迷わず死を選ぶこと。これが武士の美学でありました」が、「武士道は、決して命を軽視しているわけではありません。武士道が重視しているのは、他者のために自分の命を捨てられる「勇気」なのです」と述べています。
 その上で、「本城渉は『イン・ザ・ヒーロー』のラストシーンの大立ち回りに向かうとき、鏡の前で自らの身なりを丁寧に整えます。それは単に、映像のためのメイクではなく、死を覚悟し、死した後にも美しさを保とうとする武士の姿勢そのものだったのです」と解説しています。

 こうした「死の美学」的な解釈に対して、経済評論家でブロガーの池田信夫氏は、このサイトの記事で、「(『葉隠』を著した)山本常朝は「私も生きるほうが好きだ」といっている。不本意な生き方をするのは腰抜けだが、不本意に死ぬのは「犬死」だ。生への未練を捨てて死ぬ気になれば仕事も自由にできる、という実務的な心得を説いているのだ」と述べています。

 むろん、古典の解釈は様々なものがあり、どれが正解かという判断は難しいものの、『葉隠』の該当箇所の最後の「一生落度なく、家職を仕果すべきなり」という文章を見ると(注11)、水野氏の解釈が一般的だとはいえ、池田氏の解釈もありえないものではないとも思えます。
 そして、本城は、殺陣をやるときなどに侍の格好はするとはいえ、もとより武士ではありませんから、水野氏のような思い入れはなんだか場違いのようにも感じます。
 それに、本城が香港の俳優に代わってやることになる「8.5mの落下」は、いってみれば『ラストブレイド』を製作するチャン監督の単なる我儘によるものであり(注12)、スタッフがいうように「ワイヤーあり、CGあり」で十分なのではないでしょうか。そんなものになり手がいないからといって本城が引き受けるのは、義侠心の取り違えであり、もしもそれで死んだりしたらそれこそ「犬死」ではないかと思えてしまいます。
 確かに、山本常朝に言わせれば、そんな理屈は「上方風」であり、例え死んでも「気違い」というだけで「恥」ではないのかもしれませんが、実際にそんなことをしたら「一生落度なく家職を仕課(しおお)す」ことができなくなってしまいます(注13)。

(4)渡まち子氏は、「ヒーロー映画の裏方、スーツアクターの生き様を描くヒューマン・アクション「イン・ザ・ヒーロー」。スーツアクター出身の唐沢寿明の気合いがみなぎっている」、「本作は、スクリーンに映らないすべての“映画屋たち”のための応援歌なのだ」として70点をつけています。
 相木悟氏は、「ストーリーを聞いただけで胸が熱くなるも、色々とひっかかり、終始ノレず。実に惜しい一作であった」と述べています。



(注1)監督は武正晴。脚本には、エグゼクティブ・プロデューサーの李鳳宇が加わっています。

(注2)本作で本城の元妻・凛子のお見合い相手の西尾に扮する及川光博も、同じ番組に出演していました。

(注3)劇場用パンフレットに挟み込まれている別冊「「武士道」のすすめ」の「第四章 宮本武蔵の『独行道』と『五輪書』」によれば、『独行道』からの引用。

(注4)本作では、母親が3年前にアメリカに逃げ出してしまったために、一ノ瀬は幼い弟と妹の面倒を見ているという設定になっています。
 そして、彼がハリウッド映画に出演したいというのも、アカデミー賞の授賞式で、アメリカのどこかにいる母親に向かって「あんたのこと恨んでいない」というスピーチをしたいからだと本城に打ち明けます。
 でも、こんな取って付けたような人情話を本作にわざわざ持ってくる必要がどこにあるのでしょうか(そもそも、一の瀬が映画の撮影などで忙しい時に、幼い弟と妹は家でどうしているのでしょう)?

(注5)最近では、唐沢寿明はTVドラマ『ルーズベルト・ゲーム』、和久井映見は『ロボジー』、杉咲花はTVドラマ『MOZU』、寺島進は『清須会議』で、それぞれ見ています。

(注6)『蒲田行進曲』のあらすじは、例えばこちらで。

(注7)本作の劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」より。

(注8)本城は、喜び勇んで元妻・凛子に「スタンリー・チャンの映画に出るんだ」と報告しに行きます(尤も、本城が「ワイヤーなしCGなし」と言うと、凛子に「馬鹿じゃないの、いつまで戦国時代を生きているの」と言われてしまいますが)。



(注9)本城がハリウッド映画に出演するという話を聞いた同僚の海野寺島進)は、「俺達は、自分の顔を大スクリーンに映してみたいと思って、この仕事を始めたんだ。いつか夢は叶うとして惚れたんだ」と言って本城の気持ちを理解します。



 また本城自身も一の瀬に「俺も誰かのヒーローになりたい。俺がやらなきゃ、アクションに夢があることを誰も信じなくなる」などと言ったりします。こういうところからすれば、本城も周りの人々も、顔出しがあるものと思っているのではないでしょうか?
 尤も、この場面の最後では付けていた白覆面が半ば脱げてしまい、本城の顔が映し出されますから、それで望みは達せられたのかもしれませんが。



(注10)おそらく、白忍者が登場する他のシーンは、降板した「香港在住の著名なアクション俳優フェン・ロン」を使って既に撮影済みであり、最後の本能寺のシーンだけ本城に代役を努めさせたのではないかと思われます。ただ、そうだとすると、クライマックス・シーンでの本城の顔出し(前記注9)はどういうことになるのでしょうか(著名なアクション俳優が他のシーンでも白覆面のママとは考えられませんから、いったいどのようにつなげるつもりなのでしょうか)?

(注11)『葉隠』の該当箇所の原文はこちら

(注12)チャン監督は、本作の最後にも映像が流れるように、「映画はあくまでも監督のものである」という信念の持ち主で、香港のアクションスターが降板しようと、スタッフがいくら説得しようと、「ワイヤーなし、CGなし」にこだわり続けます。

(注13)あるいは、本城は、「最終章」で水野氏が「武士道とは何か?」という問に対する「一つの明確な解答」だとする「義を見てせざるは勇なきなり」に従って、白忍者の代役を引き受けたのかもしれません。
 でも、『ラストブレイド』で「ワイヤーなし、CGなし」のアクションをすることが、本文でも申し上げましたように、とても「義」とは思えないのですが?



★★★☆☆☆



象のロケット:イン・ザ・ヒーロー


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4 コメント

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顔出し (Kei)
2014-09-18 00:38:29
TBありがとうございました。
私も拙ブログに書きましたが、脚本の練りが足らないように思います。
「顔出し」と、「蒲田行進曲」と同工の危険なスタントチャレンジとがごっちゃになってる気がしますね。
しかし怒涛の15分のアクションが素晴らしいので、そうした難点もどうでもよくなって、感動してしまうのですね。

で、脚本の書き込み不足の点を私なりに補いますと…。
おそらく、加藤雅也扮する石橋プロデューサーは、実際にはフェン・ロンの演じた役の、危険なスタント・シーンのみの代役(当然顔は見えない)を本城に頼むつもりだったのでしょう。だがそれではOKしてもらえないと考え、「顔出しで出演出来るぞ」と嘘を言ったのでしょう。
そして本番直前、顔が出ない事に本城は気付きますが、それでも彼は、アクター冥利に尽きるこのスタントを是非やり通してみたい、顔が見えなくたっていい、と決意したのでしょう。
多分この危険スタントが評価され、本城はやがてアクション・スターとして売れて行くのかも知れませんね。
(ジャッキー・チェンも無名時代、危険な代役をこなして次第に頭角を現わしてゆきます)
その辺を、きっちり脚本に書いておけば辻褄も合うし、もっと面白くなったでしょう。ベテランの本職脚本家が参加しておれば、こうした難点もクリア出来たのではと悔やまれます。
まあ細かい事は考えず、「蒲田行進曲」の感動をもう一度、と楽しむのがいいかも知れませんね。
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Unknown (クマネズミ)
2014-09-18 07:14:51
「Kei」さん、TB&コメントをありがとうございます。
確かに、「怒涛の15分のアクションが素晴らしい」と思いました。
また、『ラストブレイド』の白忍者の代役については、おっしゃるような書き込みがあれば「辻褄も合うし、もっと面白くなった」ことと思います。
とはいえ、本城は、アクションスターとしてこれから売れるには年を食っていすぎる感じがします。
またクマネズミには、なんとなく脚本の水野氏は、この作品に「武士道」精神を正面から盛り込むことを目指して、細かいことに頓着せずにあのような筋立てにしてしまったのではないか、とも思えるところです。
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Unknown (ふじき78)
2014-10-12 22:34:16
要求が監督の我儘でも構わんのであって、ワイヤーやCGでは決して撮れない絵を撮れるなら、その監督の要求は正しい。同じ結果しか得られないならやる必要はないけど。

顔が見える見えないにかかわらず、「俺たちに日はあたらないがハリウッドに負けてる訳ではない」という気概が彼の出演を決めさせたのだ、と思ってます。
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Unknown (クマネズミ)
2014-10-13 08:11:02
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
本城は、「、「俺たちに日はあたらないがハリウッドに負けてる訳ではない」という気概」を持っていたのは間違いないとしても、妻・凛子の元に報告に行ったのは、やはり顔が出る点を喜んでのことではないか、と思うのですが?
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