
『マダム・マロリーと魔法のスパイス』を渋谷のル・シネマで見ました。
(1)本作(注1)は、予告編を見て面白そうだなと思い、映画館に行ってきました。
本作の舞台は、南フランスの小さな町サン・アントナン。そこで伝統的なフランス料理を出すレストランの目の前に、インドからやって来たカダム家がインド料理店を開いたからさあ大変。
フランス料理のレストランのオーナーのマダム・マロリー(ヘレン・ミレン)とインド料理店を営む父親(オム・プリ)とは、なにかにつけて争うようになります。
でも、レストランで働く若いマルグリット(シャルロット・ルボン)と、カダム家の次男・ハッサン(マニッシュ・ダヤル)とがコンタクトを持つようになって、………?

これまでもよく制作されているフランス料理を巡る映画ながら、対するにインド料理を持ってきたのが斬新であり、またレストランのオーナー役のヘレン・ミレン(注2)とインド人家族の父親役のオム・プリの演技が秀逸で、最後まで楽しく見ることが出来ました。
(2)フランス料理を取り上げた映画といえば、最近では、『大統領の料理人』とか『シェフ! 三ツ星レストランの舞台裏へようこそ』(注3)を見ました。
ただ、それらは料理人〔あるいはシェフ(料理長)〕が専ら取り上げられているのに対して、本作では、対立する二つのレストランの経営者の方に焦点が当てられています。
一方のマダム・マロリーは、フランス料理のレストラン経営一筋で、なんとしてもミシュランの星を二つにしようと頑張っています(注4)。

他方のカダム家のパパの方は、インドのムンバイで料理店を営んでいたところ暴徒に襲われすべてを失い、なんとか新天地のヨーロッパで一花咲かせたいと考えています。

一見すると、向かい合うレストランは対等のようですが、マダム・マロリーの店は、クラシック音楽が流れ、シックで格調が高く、客も盛装して静逸な中で食事をします。
ですが、インド料理店の方では、普段着姿の客が、大きな音量のインド音楽の中でわいわいがやがや騒ぎながらの食事です。
この二つのレストランの争いは、言ってみれば欧米の正規軍に対してアジアがゲリラ戦を挑んでいるといった感じでしょうか。
本作には、レストラン経営者だけでなく、むろん料理人が何人も登場します。
なかでも、カダム家の次男・ハッサンは、母親(注5)の薫陶もあったのでしょうが、持ち前の才能(注6)と努力によってインド料理をマスターするとともに、フランス料理をもマスターしてしまいます(注7)。
そして、その腕を買われてパリの有名レストラン(注8)の料理人になると、たちまち頭角を表すことに。
ハッサンの料理が、マダム・マロリーやパリのレストランで高く評価されたのは、それまでのフランス料理にインド風のものを持ち込んだからでしょう。
例えば、マダム・マロリーは、ハッサンの作ったオムレツを一匙食してその素晴らしさに圧倒されてしまいますが、劇場用パンフレットに掲載の「特別レシピ」によれば、通常のオムレツ材料に「チリパウダー」や「コリアンダー」などを加えています。

こうしたことから、例えば、劇場用パンフレットの「プロダクション・ノート」では、「この映画は、食べ物の持つ、人を結びつける性質を通して異なる二つの世界の融合を描いている」と述べられているのでしょう(注9)。
確かに、「融合」なのかもしれません。ですが、実際には、作られる料理はあくまでもフランス料理の範疇に入れられるはずです。
大きく言ってみれば、欧米文化の中にインド文化が味付け程度に挿入されただけのことではないか、とも思えてきます(注10)。
(3)渡まち子氏は、「フレンチ・レストランとインド料理店のバトルを描く「マダム・マロリーと魔法のスパイス」。目にも美味しい料理とあたたかなドラマで幸福感を味わえる」として60点を付けています。
渡辺祥子氏は、「名門レストランの伝統の味にインドのスパイス・マジックが加わり、料理が美味しくなれば幸せも生まれる。そうなれば女と男の間にある溝もうまろうというもの。コトはそう簡単に進むわけもないが、でも大丈夫、美味しい料理と男女の仲に国境はないのだ」として★4つ(見逃せない)をつけています。
(注1)監督は、『砂漠でサーモン・フィッシング』や『親愛なるきみへ』のラッセ・ハルストレム。
なお、スティーヴン・スピルバーグやオプラ・ウィンフリー(『大統領の執事の涙』でグロリアを演じた女優)が製作に加わっています。
(注2)ヘレン・ミレンについては、最近では、『ヒッチコック』で見ました。
(注3)DVDで見た『シェフ! 三ツ星レストランの舞台裏へようこそ』については、『大統領の料理人』についての拙エントリの(3)をご覧ください。
(注4)本作のマルグリットによれば、「三つ星になると神様扱いされる」とか。
(注5)ハッサンの母親は、ムンバイにあったレストランが暴徒に襲われた際に命を落としてしまいます。ただ、ハッサンは、何種類ものスパイスのびん詰が入っている鞄を引き継ぎ、それを使って絶妙の味の料理をこしらえます。
(注6)幼い時分、母親と市場に買い出しに行った際にも、売られているウニの良し悪しがわかってしまいます。
(注7)ハッサンは、パパが買い取った古いレストランの厨房の棚に、「Le Cordon Bleu」のタイトルの入った料理本を見つけ、さらにはマルグリッドが何冊家の料理本をハッサンに届けてくれます。
(注8)そのレストランで作られていたのが「分子料理」〔これについては、上記「注3」で触れている拙エントリの「注9」を参照してください〕。
(注9)劇場用パンフレット掲載のインタビューで、ラッセ・ハルストレム監督も、「(ハッサンは)インド料理の知識を活かし、それをフランス料理のレシピと“融合”させて新しい料理を創作する」と述べています。
(注10)言い過ぎかもしれませんが、本作で描き出されているフランスレストランとインドレストランとの対比にしても、欧米のアジアに対する優越的な見方(オリエンタリズムというのでしょうか)が表されているような感じを受けます。
ラストで、ハッサンとマルグリットが、レストランをマダム・マロリーから譲り受けますが、それはあくまでもフランス料理を提供するレストランであって、そこでインド料理を提供するわけではないでしょう。
★★★☆☆☆
象のロケット:マダム・マロリーと魔法のスパイス
(1)本作(注1)は、予告編を見て面白そうだなと思い、映画館に行ってきました。
本作の舞台は、南フランスの小さな町サン・アントナン。そこで伝統的なフランス料理を出すレストランの目の前に、インドからやって来たカダム家がインド料理店を開いたからさあ大変。
フランス料理のレストランのオーナーのマダム・マロリー(ヘレン・ミレン)とインド料理店を営む父親(オム・プリ)とは、なにかにつけて争うようになります。
でも、レストランで働く若いマルグリット(シャルロット・ルボン)と、カダム家の次男・ハッサン(マニッシュ・ダヤル)とがコンタクトを持つようになって、………?

これまでもよく制作されているフランス料理を巡る映画ながら、対するにインド料理を持ってきたのが斬新であり、またレストランのオーナー役のヘレン・ミレン(注2)とインド人家族の父親役のオム・プリの演技が秀逸で、最後まで楽しく見ることが出来ました。
(2)フランス料理を取り上げた映画といえば、最近では、『大統領の料理人』とか『シェフ! 三ツ星レストランの舞台裏へようこそ』(注3)を見ました。
ただ、それらは料理人〔あるいはシェフ(料理長)〕が専ら取り上げられているのに対して、本作では、対立する二つのレストランの経営者の方に焦点が当てられています。
一方のマダム・マロリーは、フランス料理のレストラン経営一筋で、なんとしてもミシュランの星を二つにしようと頑張っています(注4)。

他方のカダム家のパパの方は、インドのムンバイで料理店を営んでいたところ暴徒に襲われすべてを失い、なんとか新天地のヨーロッパで一花咲かせたいと考えています。

一見すると、向かい合うレストランは対等のようですが、マダム・マロリーの店は、クラシック音楽が流れ、シックで格調が高く、客も盛装して静逸な中で食事をします。
ですが、インド料理店の方では、普段着姿の客が、大きな音量のインド音楽の中でわいわいがやがや騒ぎながらの食事です。
この二つのレストランの争いは、言ってみれば欧米の正規軍に対してアジアがゲリラ戦を挑んでいるといった感じでしょうか。
本作には、レストラン経営者だけでなく、むろん料理人が何人も登場します。
なかでも、カダム家の次男・ハッサンは、母親(注5)の薫陶もあったのでしょうが、持ち前の才能(注6)と努力によってインド料理をマスターするとともに、フランス料理をもマスターしてしまいます(注7)。
そして、その腕を買われてパリの有名レストラン(注8)の料理人になると、たちまち頭角を表すことに。
ハッサンの料理が、マダム・マロリーやパリのレストランで高く評価されたのは、それまでのフランス料理にインド風のものを持ち込んだからでしょう。
例えば、マダム・マロリーは、ハッサンの作ったオムレツを一匙食してその素晴らしさに圧倒されてしまいますが、劇場用パンフレットに掲載の「特別レシピ」によれば、通常のオムレツ材料に「チリパウダー」や「コリアンダー」などを加えています。

こうしたことから、例えば、劇場用パンフレットの「プロダクション・ノート」では、「この映画は、食べ物の持つ、人を結びつける性質を通して異なる二つの世界の融合を描いている」と述べられているのでしょう(注9)。
確かに、「融合」なのかもしれません。ですが、実際には、作られる料理はあくまでもフランス料理の範疇に入れられるはずです。
大きく言ってみれば、欧米文化の中にインド文化が味付け程度に挿入されただけのことではないか、とも思えてきます(注10)。
(3)渡まち子氏は、「フレンチ・レストランとインド料理店のバトルを描く「マダム・マロリーと魔法のスパイス」。目にも美味しい料理とあたたかなドラマで幸福感を味わえる」として60点を付けています。
渡辺祥子氏は、「名門レストランの伝統の味にインドのスパイス・マジックが加わり、料理が美味しくなれば幸せも生まれる。そうなれば女と男の間にある溝もうまろうというもの。コトはそう簡単に進むわけもないが、でも大丈夫、美味しい料理と男女の仲に国境はないのだ」として★4つ(見逃せない)をつけています。
(注1)監督は、『砂漠でサーモン・フィッシング』や『親愛なるきみへ』のラッセ・ハルストレム。
なお、スティーヴン・スピルバーグやオプラ・ウィンフリー(『大統領の執事の涙』でグロリアを演じた女優)が製作に加わっています。
(注2)ヘレン・ミレンについては、最近では、『ヒッチコック』で見ました。
(注3)DVDで見た『シェフ! 三ツ星レストランの舞台裏へようこそ』については、『大統領の料理人』についての拙エントリの(3)をご覧ください。
(注4)本作のマルグリットによれば、「三つ星になると神様扱いされる」とか。
(注5)ハッサンの母親は、ムンバイにあったレストランが暴徒に襲われた際に命を落としてしまいます。ただ、ハッサンは、何種類ものスパイスのびん詰が入っている鞄を引き継ぎ、それを使って絶妙の味の料理をこしらえます。
(注6)幼い時分、母親と市場に買い出しに行った際にも、売られているウニの良し悪しがわかってしまいます。
(注7)ハッサンは、パパが買い取った古いレストランの厨房の棚に、「Le Cordon Bleu」のタイトルの入った料理本を見つけ、さらにはマルグリッドが何冊家の料理本をハッサンに届けてくれます。
(注8)そのレストランで作られていたのが「分子料理」〔これについては、上記「注3」で触れている拙エントリの「注9」を参照してください〕。
(注9)劇場用パンフレット掲載のインタビューで、ラッセ・ハルストレム監督も、「(ハッサンは)インド料理の知識を活かし、それをフランス料理のレシピと“融合”させて新しい料理を創作する」と述べています。
(注10)言い過ぎかもしれませんが、本作で描き出されているフランスレストランとインドレストランとの対比にしても、欧米のアジアに対する優越的な見方(オリエンタリズムというのでしょうか)が表されているような感じを受けます。
ラストで、ハッサンとマルグリットが、レストランをマダム・マロリーから譲り受けますが、それはあくまでもフランス料理を提供するレストランであって、そこでインド料理を提供するわけではないでしょう。
★★★☆☆☆
象のロケット:マダム・マロリーと魔法のスパイス
フランスとインド料理のどちらが偉いというのはないと思うんですが、商売として成立させるにはフランス料理にインドのアクセントを加え、フランス料理の料金を取る方が儲かるでしょう。又、低所得者層に姉妹店のインド料理(場合によってはフランス風)店を併設する事は多くのランクの顧客を獲得する手段として良いと思います。
おっしゃるように、「商売として成立させるにはフランス料理にインドのアクセントを加え、フランス料理の料金を取る方が儲かる」のは言を俟たないと思います。
ただ、その場合には、フランス料理とインド料理の「融合」ではなく、フランス料理のヒエラルキーの中にインド料理が取り込まれるだけのことではないのか、という気がします。
映画の中では語られていない未来の話なのかもしれないけど、カレーやナンをフランス料理に取り組んで出すという戦略があっても何ら驚かない。だからあまり、どちらが中心とかは気にならない。
多分、気にならないのは私が本格的なフランス料理、インド料理に疎く、なおかつ日本人だからでしょう。ラーメンもカレーも和食とは言わないけど国民食でしょ。もう、アクセントがどうとか考えづらい。なんか時間が立てばどちらの国の特質が生きてるとかどうでもよくなってしまう。そんな気がする。
クマネズミも、おっしゃるように、「カレーやナンをフランス料理に取り組んで出すという戦略があっても何ら驚」きません。
ただ、その場合にも、やっぱり、一風変わった「フランス料理」としてお客さんに提供されることになるのではと思われます。
そして、マダム・マロリーによって追放されたフランス人シェフのような国粋的な人は、いつまでたっても同じように出現することになるのではないでしょうか?
カレーやラーメンがこれほど広く浸透していても、日本がインド人や中国人を移民としてすんなり受け入れようとしないのも、ある意味で同じことなのかもしれません。
おっしゃるように、「日本語も喋れない人は何を考えてるか分からずに恐怖の対象なんだけど、意思が通じる相手なら、それなりに仲良しになれるんじゃないか」とクマネズミも考えます。
そんなこともあって、昨年は訪日外国人数が1000万人を超えました(今年は、1200万人に達するのでは、と言われています)。
ただ、それは一時的な観光だからであって、移住となると話は違ってくるように思われます。
下記のサイトの記事、特にその「人口に占める移住者数残高比率」とか「定住外国人流入数」の統計を見ると、日本は他の先進諸国に比べて際立って外国人に対して門戸を閉ざしてきている感じがします。
http://blogos.com/article/99890/