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の・ようなもの のようなもの

2016年02月09日 | 邦画(16年)
 『の・ようなもの のようなもの』を渋谷シネパレスで見ました。

(1)北川景子が出演するというので映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭は、公園のベンチに座っている若いカップルが、互いに「チーズ」と言いながらスマホで写真を撮り合っていると、男(松山ケンイチ)が通りかかって、そのベンチに座ります。
 すると、隣のカップルが消えて、別の男(伊藤克信)が現れアイスクリームを食べます。

 それから、大きな家の場面。
 男(菅原大吉)が池の鯉に餌を与えていると、一門の後援会の会長(三田佳子)が登場し、「昔はよくここでバーベキューをしたものね」と言います。
 そばの男が「志ん魚(シントト)が、ここでゲロした」と応えるものですから、会長は、「思い出した。志ん魚ちゃん、元気でやってるの?」と言い出します。

 その会長が、「志ん魚ちゃんに、私のために書いた「出目金」をやってもらいたい」と言い出したために、大変なことに。
 というのも、一門が今日あるのも会長のサポートがあってのことであり、会長のご機嫌を損ねる訳にはいかないとはいえ、志ん魚は落語を捨てて行方をくらましてしまってどこに住んで何をしているのかわからないからです。
 一門の師匠・志ん米尾藤イサオ)は、前座の志ん田(シンデン:松山ケンイチ)に志ん魚伊藤克信)を探すよう厳命します。
 果たして、志ん田は志ん魚を探しだすことが出来るのでしょうか、そして志ん田と師匠の娘・夕美北川景子:注2)との関係はどうなるのでしょうか、………?



 本作は、森田芳光監督(注3)のデビュー作『の・ようなもの』(1981年:以下「前作」とします:注4)の35年後を描く作品で、前座の落語家と落語を捨てた男、それに師匠の娘が絡んでくるお話です。松山ケンイチや北川景子を始め出演する俳優がそれぞれ頑張っており、面白いことは面白いとはいえ、この程度の物語であれば何も映画館のスクリーンで見るまでのこともないのでは、と思えてしまいました。

(2)これはやっぱり前作を見なくてはと思い、早速TSUTAYAからDVDを借りてきて見ました。

 まず、監督の森田芳光を始め、出演している内海好江、加藤治子、入船亭扇橋(9代目)、春風亭柳朝(5代目)などの皆さんが既に亡くなっているなと気付かされますし、さらには、一門の志ん菜を演じた大野高保とか、志ん肉に扮した小林まさひろは、現在どうしているのかなと思わせます(注5)。

 それとこの前作を見て感じるのは、今作と同じように若い落語家を巡る青春時代が描かれているとはいえ、ヒロインのエリザベス(秋吉久美子)がソープ嬢だったりするように、若者に特有の性的な方面が一定のウエイトを持って描かれている点です(注6)。
 引き換えて、本作では、余りそちらの方面には重点が置かれていないように思われます。

 その代わりに焦点が当てられているのが、前作との繋がりという点でしょう(注7)。
 例えば、上記(1)で書いた本作の冒頭シーンと前作の冒頭シーンとの間にはかなりの類似性が見られます(注8)。また、主人公が話す落語に対して、本作でも前作でも、その恋人が「ヘタクソ!」とけなしたりします(注9)。

 それに、前作に出演した伊藤克信、尾藤イサオ、でんでんらが前作と同じ役で出演しているだけでなく(注10)、森田監督作品に出演した俳優たち(「森田組」と言われるそうです)が大挙して本作に出演しています(注11)。

 そんなところからでしょうか、前作はいま見てもトテモ新鮮な作品と思えますが、本作にはむしろ保守性を感じてしまいます(あるいは、前作では外に向かっていくつも窓が開いているように見えたのに対し、本作は内に向かって窓が閉じてしまっているようにも感じられます)。
 別にそれはそれでもかまわないとはいえ、それだけで何も新しいものが提供されないのであれば、30年以上も経過してわざわざ続編を制作したのは何故なのかな、と思ってしまいます。
 無論、前作に格別の思い入れのある人にとって本作は懐かしさを募らせる作品でしょうから(注12)、意味がないとはいえないでしょう(注13)。
 ですが、そういう一部の人たちの範囲を超えて本作が広く受け入れられるためには、なにか本作ならではのものが必要なのかなと思えます。
 と言って、素人のクマネズミに何か良いイデアがあるはずもありませんが、例えば、上方落語の桂文枝がよく言う「今までの落語を壊す落語」といった方向性(注14)を取り入れることも考えられるのではないでしょうか(注15)?

(3)渡まち子氏は、「あらゆる世代がどこか途方にくれている現代社会には、昨日よりは今日、今日よりは明日の、小さな希望を信じるこんな映画が、心にじんわりしみてくる」として55点をつけています。
 小梶勝男氏は、「もはや映画を超えて、これは森田監督を愛する作り手と観客たちによる、森田監督の「映画葬」ではないか。同時に優れた落語映画であり、青春映画でもあると思う」と述べています。
 秋山登氏は、「ここには、森田へのオマージュがたっぷり盛り込まれているのだが、前作に寄りかかり過ぎていないのがいい。この作品だけで存分に楽しませる。後口の爽やかな愛すべき作品である。こうなると志ん田の真打ち昇進まで見たくなるのが人情だが……」と述べています。
 日経新聞の古賀重樹氏は、「かつて遅れてきた新人監督・森田の真情を見事に表現した伊藤は、その後もおもねらず楽観的に生き抜いた森田の心根を体現する」として★4つ(「見逃せない」)をつけています。
 産経新聞の勝田友巳氏は、「まさに、愛すべき小品。どってことのないちっちゃな話に、小さな笑いと哀調があり、最後はささやかに一歩前進。見終わってきっと元気が出る」と述べています。



(注1)監督は、森田芳光監督のもとで長年助監督を務めた杉山泰一

 なお、出演者の内、最近では、松山ケンイチは『日本のいちばん長い日』、北川景子は『悪夢ちゃん The 夢ovie』、伊藤克信は『僕達急行 A列車で行こう』、尾藤イサオは『天地明察』、でんでんは『信長協奏曲』で、それぞれ見ました。

(注2)「夕美」は、森田監督の『間宮兄弟』(2006年)で北川景子が演じた役と同名。
 ちなみに、前作の主役・志ん魚の恋人役の名前は「由美」(麻生えりかが演じました)。

(注3)森田芳光監督作として、クマネズミは、『家族ゲーム』(1983年)、『それから』(1985年)、『模倣犯』(2002年)、『わたし出すわ』(2009年)、『武士の家計簿』(2010年)、『僕達急行 A列車で行こう』(2012年)などを見ています。

(注4)劇場用パンフレット掲載の高田文夫「志ん魚よいきててくれてありがとう」によれば、「の・ようなもの」というタイトルは、落語『居酒屋』に出てくる「小僧さんのセリフ」とのこと。

(注5)二人とも既に芸能界を引退。ただ、前作のラストで「落語をずっとやっていけたら……」と印象的な台詞を言う志ん菜役の大野氏は、本作で背広姿で登場します(劇場用パンフレット掲載の対談「森田芳光を探して―フィルムに焼き付いた思い」におけるプロデューサー・三沢和子氏によれば、大野氏は郵便局職員とのこと)。

(注6)例えば、前作では、エリザベスのサービスを志ん魚が受ける場面だけではなく、可愛い妻のいる志ん米とソープ嬢とのシーンも設けられています。
 なお、志ん米の妻・佐世子を演じた吉沢由紀が引退しているためでしょう、本作では志ん米の妻は死んでいることになっています。

(注7)人はそれを“オマージュ”と言うのでしょうが、余りこの言葉を使いたくありません。

(注8)前作の冒頭では、ベンチに座る若いカップルの内の男が、「昨日、ディスコに行ったら、色々な女から声かけられたが、お前が一番」と言うと、女も「一昨日、銭湯に行ったら、自分の体が最高。しんちゃんにあげてよかった」と答えます。そこへ志ん魚が突然割り込んで、「お茶でも飲みに行きませんか?こんな男と付き合って将来どうすんですか?」と女に向かって言うものですから、志ん魚はカップルの二人にボコボコにされます(次の場面で、志ん魚がこのカップルの結婚式の司会をしているから愉快です)。

(注9)前作では、志ん魚が恋人・由美の父親の前で話した『二十四孝』について、由美が「へたくそ」と言いますし、本作では、風呂屋で開催された銭湯寄席で志ん田が話す『初天神』について、夕美が「相変わらず下手だねえ、ちっとも進歩していない」と言います。



(注10)伊藤克信は志ん魚役、尾藤イサオは志ん米(今や出船亭一門を率いる師匠です)、でんでんは志ん水という具合に。

(注11)例えば、『僕達急行 A列車で行こう』に出演したピエール瀧は志ん魚の義兄の役、『間宮兄弟』に出演した佐々木蔵之介塚地武雅はそれぞれみやげ物屋の店主と銭湯でコーヒー牛乳を飲む男の役、などなどという具合です。

(注12)劇場用パンフレット掲載の対談「森田芳光を探して―フィルムに焼き付いた思い」において、宇多丸氏は「(この映画は、)この冬公開された『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』と重なるんですよ。往年の『スター・ウォーズ』ファンが、新作の予告編を見て、ハン・ソロとチューバッカが出てくるだけで感涙するのと同じで(笑い)。僕らはずーっと志ん魚ちゃんどうしてるかな?と思い続けてきたわけですよ」と述べています。

(注13)でも、それだったら前作のDVDを何度も鑑賞すればいいのではないでしょうか?

(注14)例えばこの記事
 また、今月6日のTBSTV番組「サワコの朝」に出演した折にも、桂文枝は、「とにかく落語を壊せ。壊れたままでダメになるかもしれないが、そこから新しいものが生まれてくるかもわからない」と自分の弟子に言っていると話していました。

(注15)本作では、志ん魚の住まいを探している途中で、志ん田は、大きなヒマラヤ杉のある三叉路にぶつかります〔これは、この記事の中で佐々木譲氏が言うように「Y字路」であり、そうであれば横尾忠則を連想するところです(横尾忠則氏の「Y字路」については、この記事を参照)〕。



 あるいは、この「Y字路」を、本作の志ん田とは別の方角に曲がると、全く別の「の・ようなもの のようなもの」が描き出されるのかもしれません!



★★★☆☆☆



象のロケット:の・ようなもの のようなもの

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