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紙の月

2014年12月03日 | 邦画(14年)
 『紙の月』を渋谷シネパレスで見てきました。

(1)東京国際映画祭での話題作(注1)ということもあり、映画館に行ってきました。

 本作(注2)の冒頭は、賛美歌が聞こえるカトリック系の中学校の教室に独り机に向かって座っている女生徒の姿。机の上には1万円札が5枚並べられていて、彼女はそのお金を封筒に入れます(注3)。
 次いで、時点は1994年となり、通勤電車の中で立っている梨花宮沢りえ)と夫の正文田辺誠一)の二人。新聞を読んでいた正文が、「じゃあ」と言って先に電車を降ります。



 さらに、場面は変わり、わかば銀行の制服(外回り用)に着替えた梨花が、自転車に乗って、顧客の平林石橋蓮司)の家に行きます。
 梨花は「4年目になって、パートから契約社員になりました」などと言い、国債の利点を説明します。「それじゃあ買うよ」と言った平林が、お茶を淹れようと台所に行った梨花の後を追うと、丁度彼の孫の光太池松壮亮)が顔を出します。
 梨花が銀行に戻って平林と契約出来たことを告げると、支店次長の井上近藤芳正)が褒めてくれます。
 他方で、支店のベテラン事務員の小林聡美)が、窓口のテラー・相川大島優子)に事務ミスを指摘し注意します。
 そうこうするうちに、19年勤務したベテラン事務員(梨花の前に平林を担当していました)の送別会が終わり、電車に乗ろうと駅に行くと、梨花は偶然光太に出会います。
 これが一つのきっかけとなって事件が引き起こされるのですが、果たして事態はどのように展開するのでしょうか、………?

 本作で主人公が引き起こす事件は、これまでも類似の事件が何度もマスコミを賑わせていますから、それほど新鮮味はありませんし、まして、男に貢いで破綻してしまった女というように主人公を捉えてしまえば、TVのワイドショーを見ているも同然になってしまいます。とはいえ、本作はほんの少し別の角度から見ることもできるような気がして、その意味からしたらなかなか面白いなと感じました。

 主演の宮沢りえは、『謎解きはディナーのあとで』での印象が強かったので期待したのですが、さすがに素晴らしい演技で見る者を魅了します。
 また、大島優子は、この記事を読むと散々ながら、本作での演技はなかなかのものであり、今後が十分に期待されます(注4)。

(2)上で触れた本作の冒頭のシーンで、中学生の梨花が机の上にひろげていたお金は、その後のシーンから、父親の書斎の机に置かれていた財布から抜き取ったものであることがわかります。梨花は、それを封筒に入れて、教室の後ろに設けられている募金箱の中に入れるのです。
 元々、そのお金は貧しい国の子どもたちに贈られるのですが、学校の方では、大きな金額の寄付をしてひけらかしたりしないよう、あくまでも慎ましく行うように生徒に言っていました。
 最初のうちは、寄付を受け取った貧しい子供たちからお礼の返事が来て、読んだ女生徒たちが喜んだりしていましたが、そのうちに熱気が冷めて募金に皆の関心がなくなってしまいます。
 そんな時に梨花が5万円もの大金を投入したために、募金のプログラムは中止になってしまいます。
 梨花はそれが不満で、皆の前で、「何がいけないのかわかりません」とシスターに反論します。

 このエピソードは、原作では小さな扱いに過ぎず、またその意味合いも本作とは違っている感じがします(注5)。
 反対に本作では、冒頭と終わり近くとラスト間際という極めて重要な場所に、一つのエピソードがわざわざ3つに分割されて描き出されていて(注6)、まるで、梨花が事件を引き起こした動機はこれだよと言っているような感じを受けます。

 ここからはいい加減な議論に過ぎませんが、クマネズミには、梨花は、効率的に使われておらず眠っているお金があったら、それをもっと良い目的に向けて効率的に使っても構わない、という考えを持っているように思えました。
 中学生の時のエピソードについては、寄付を受け取った子供たちからの手紙を読むことが嬉しく幸福になるのであれば、それをもっと味わうために、必要なさそうに無造作に投げ出されている財布からお金を掠め取っても何の問題もないのではないか、と梨花が考えたような気がします。

 それと同じように、梨花は、スグに露見してしまうことは十分に承知のうえで、「社会常識」を投げ打って、束の間の自由の気分をお金をふんだんに使って(注7)味わってみたかったのではないでしょうか(注8)?

 さらに言えば、至極細かい規則でがんじがらめになっている金融機関の現場では(注9)、ちょっとしたきっかけから、主人公のような派手に「自由」を求める女性(注10)が現れてもそんなに不思議ではないように思われ、特に、映画『25 NJYU-GO』が参考にしたと思われる「長野年金基金横領事件」では24億円もの横領事件でしたから(注11)、金額的にもありうることではないかと思います(注12)。

(3)渡まち子氏は、「平凡な主婦が起こした巨額横領事件の顛末をスリリングに描くドラマ「紙の月」。堕ちていくことによって自分を解放するヒロインを宮沢りえが好演」として65点を付けています。
 渡辺祥子氏は、「目前の大金が紙切れの月ほどにも実在感のなかった日々の息苦しさや不満を逃れるように、大金横領に走った主婦に満たされるものはない。その不満からの解放を求めるにはひたすら駆けるしかないだろう」などとして★3つ(見応えあり)をつけています。
 北小路隆志氏は、「お金は善意や悪意を持たず、空っぽな神である。そして梨花は身近にお金に触れることで、それが誰のものでもないと知ってしまい、終わりなきお金の運動の化身となるのであって、彼女のアクション=行動も善悪の彼岸にある。本作は、現代資本主義への優れた考察でもある」と述べています。



(注1)今回の東京国際映画祭で、本作は「観客賞」を、主演の宮沢りえは最優秀女優賞を受賞しました。

(注2)本作の原作は、角田光代著『紙の月』(ハルキ文庫)。
 監督は、『クヒオ大佐』、『パーマネント野ばら』、『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八

(注3)その中学生が後の梨花となるようです。
 また、机の上には、貧しい男の子の写真が置かれていますが、その頬に大きな傷があります(同じ傷痕を持った青年に、ラストで梨花はタイで出会うことになります!)。

(注4)俳優陣について、最近では、宮沢りえは『謎解きはディナーのあとで』、池松壮亮は『海を感じる時』、大島優子は『闇金ウシジマくん』、小林聡美は『マザーウォーター』、田辺誠一は『ジーン・ワルツ』、近藤芳正は『WOOD JOB!(ウッジョブ)』、石橋蓮司は『ふしぎな岬の物語』で、それぞれ見ました。

(注5)原作では、第4章の「岡崎木綿子」の節で6ページにわたって書かれているに過ぎません。それも、梨花が募金プロジェクトに投入しているお金は「月に50万とも100万ともいわれていた」とされ、贈った先も「6人」とされています。なぜそんなにまでするのかという岡崎木綿子の問に対し、梨花は、「(寄付をもらった)子が一生(感謝をしなければならないという)重荷を背負うのなら、私は一生この子の面倒を見なければならない。私のできる範囲内でそうしなければならない」と答えます(文庫版P.205)。

(注6)上記の「注3」で触れた青年のシーンまで加えると4つに分割されています。

(注7)梨花は、「お金は偽物であり、本物に見えて本物じゃない。偽物だから壊してもいい。そう思ったら“自由”になった感じ」とベテラン事務員の隅に語ります。



(注8)それも、かなりお金を貯めこんでいる老人の平林とか、認知症気味のたまえ中原ひとみ)や外車を買ったり世界一周クルーズに行こうかと言ったりしている夫婦らに、偽の預金証書を掴ませてのことなのですから、お金の一層の効率的な使い方と梨花には思えるのではないでしょうか?

 特に、光太は、平林について、ケチで自分の学費も出してくれない、そのためサラ金から150万円も借りてしまった、と梨花に打ち明けます(尤も、平林老人に言わせれば、「あいつは借金まみれで、金をたかりに来る。あいつに金を渡すくらいなら、女に使うよ」なのですが)。

 その光太ですが、原作によれば、彼の方から梨花に対して何度もアプローチしているのです(P.119とかP.135など)。その上で、「梨花が光太と関係を持ったのは、撮影現場に遊びにいくようになってから3ヵ月ほどのちのことである」(P.146)とされます(それも光太の部屋で)。
 他方、本作の方では、送別会があった日とは別の日の夕方、電車のホームの反対側にいた二人が互いに気がつくところ、梨花の方が光太がいるホームにやってきて、二人は同じ電車に乗り込み、スグにラブホテルに入ってしまいます。



 まるで、梨花の方が光太を積極的に誘って関係を持ったような感じなのです。
 それに、光太に女子大生の恋人がいるとわかった際、なおも関係を続けようとする梨花に対して光太が「それは無理だよ」と言うと、梨花はいともアッサリと「じゃあおしまい」と宣言します。
 梨花は、こういう関係が長続きしないことを十分に認識しながら、あくまでも主体的に行動しているように見えます。

(注9)梨花には子供がおりませんし、また夫の正文が彼女の自由を束縛するような亭主関白でもありません。彼女が“自由”ではないと感じるとしたら、職場関係でしょう(尤も、嫌なら、辞めて元の専業主婦に戻ればいいだけのことですが)。
 なお、原作では、もう少し梨花の夫のことが書かれています〔「正文は言葉数は少ないが、おだやかでやさしい男だった」(P.69)が、「夫婦間に「そういうこと」はまったくないままだった(P.95)〕.。

(注10)ラストの会議室の場面で、ベテラン事務員の隅が梨花に対して、「お金なんてただの紙切れ。でもお金で“自由”は買えない。あなたが行けるのはここまで」と言うと、梨花は、近くの椅子を手にして窓ガラスを叩き割り、そこから外に飛び出して走りに走ります!
 そして、日本を飛び出してタイに現れます。
 原作では、当局者が現れて「パスポートを拝見させてもらってもいいでしょうか?」と言い、梨花は「ここまでだ。これで終わりだ」と梨花は観念しますが(文庫版P.348)、本作のラストでは、警官が市場に現れるものの、梨花は姿をくらましてしまい、捕まったかどうかわかりません。本作の範囲内では、“自由”のままではないでしょうか?
(尤も、元々、あのような事件を起こした梨花が、無事に日本を出国できたとは考えにくいところではありますが)

(注11)事件の現場は銀行ではありませんし、犯人も男性ながら、梨花と同様にタイに逃亡しました!

(注12)このサイトの記事を読むと、本作と類似の事件が過去に何度も起きていることがわかり、驚きます。



★★★★☆☆



象のロケット:紙の月


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4 コメント

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Unknown (ふじき78)
2015-02-20 22:36:27
> 皆の前で、「何がいけないのかわかりません」とシスターに反論します。

「誰のために募金をするのか? 不幸な人の為ではないのか?」という考えでしょう。どんな手段を使っても、不幸な人がその生命を失ってしまうよりは良い。大人になって最初の不正を行なう時でも、この人を助けたいという考えが中心にあった。善人の方が陥りやすい罠。どこかで引き返せなかったんですかねえ。
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Unknown (クマネズミ)
2015-02-21 06:49:22
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
確かに、梨花の行動には「どんな手段を使っても」「人を助けたいという考えが中心にあった」といえるかもしれません。
ただ、「大人になって最初の不正を行なう」ことのキッカケが、与った預金からの1万円で高級化粧品を買ったことだとすると、そればかりでなく、“効率的なお金の使い方”という信念がもう一つあるのではないかとも推測するのですが。
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Unknown (ふじき78)
2015-02-22 00:00:14
こんちは。
これは感覚的な物だから、意見の食い違いが狭まらないかもしれませんが、私は「効率的なお金の使い方」という計算的な考えがあったようには全く思えませんでした。最初の化粧品にしても、あれは普通の人がよくやってしまう事の一つだと思います。親からお使い用に預かったお金で私物を買って後から補てんするような事をやらなかった人間はいないと思うのです。

最初の不正は池松君への借金渡しかと思ってたけど、そうか化粧品か。
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Unknown (クマネズミ)
2015-02-22 21:26:36
「ふじき78」さん、再度のコメントをありがとうございます。
おっしゃるように、「意見の食い違いが狭まらないかもしれません」が、クマネズミには、他人の預金のお金を流用するのと、親から預かったお金を流用するのとでは、次元が違うような気がします。
尤も、梨花も、中学の時に、親の財布からお金をとって寄付をします。ただ、その場合には穴埋めはしませんでしたが!
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