
韓国映画『哭声/コクソン』をシネマート新宿で見ました。
(1)評判がかなり良さそうなので映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、ルカによる福音書第24章第37-39節が、字幕で映し出されます(注2)。
次いで、男(國村隼)が、大きな川の川岸の岩に腰掛けを置いて座り、本格的な長い釣り竿を使って釣りをしています。釣り針に餌をつける様子が、大写しにもなります。
場面が変わって、ある家の寝室。外は雨。
夫婦が布団を敷いて寝ているところ、夫のジョング(警察官:クァク・ドウォン)が起き出し、携帯に出ます。
妻が「朝から何なの?」と煩さがると、ジョングは「人が死んだらしい」と答えます。
さらに、義母が出てきて「何処へ行くの?」と尋ねるものですから、ジョングは同じように答えると、義母は「ご飯を食べていって」と言います。
ジョングが「急ぐんです」と応じると、義母は「いいから食べていって」と食事をとるよう促します。
次の場面では、ジョングが食事をしながら、「ジョさんの奥さんが、誰かに殺されたようだ」と話していると、娘のヒジョン(キム・ファニ)まで起きてきて、「誰が死んだの?」と尋ねます(注3)。
ジョングは車を走らせ、まず娘を学校に送り、その後で事件現場の家の前に到着し、パトカーの後ろに車を停めます。
雨が降り続いているので、ジョングが後輩の警官のソンボクに、「カッパを出せ」と言うと、ソンボクは「何をのんきに。人が殺されたというのに」と不平顔をします(注4)。
ジョングが門の中に入っていくと、男や女が泣き叫んでいます。

形相がまるで変わってしまい体中湿疹の男が、縁側の柱に目を虚ろにして凭れかかっています。
ジョングが、「あの男は?」と訊くと、ソンボクは「ぼんやりしています。薬でも飲んでいるのでしょう」と答えます。
さらに、ソンボクは、「刃物による傷が20箇所以上」とか「他の場所で殺して、袋に入れて運んできたようです」「その後で奥さんも殺したようです」などと状況を報告します。
このあと本作のタイトルが流れますが、さあ、物語はどのように展開するのでしょうか、………?
本作では、韓国の田舎の村で家族が残虐に殺される事件が相次いで起こり、主人公の警察官らが捜査に乗り出します。彼の娘まで事件に巻き込まれる一方で、酷く怪しい日本人のみならず、祈祷師とか謎の女などが事件に絡んできて、映画はなかなか複雑怪奇な様相を呈します。冒頭で聖書が引用されたりして宗教絡みの感もあり、そうなるとクマネズミにはよくわからなくなるとはいえ、邦画で活躍する國村隼が重要な役を演じたりするなど、作品全体としても、個々の点でも、後々まで気にかかるなかなか興味深い作品です。
(以下では、本文も注も随分とネタバレしていますので、本作を未見の方はご注意ください)
(2)本作では、現場が酷く凄惨な殺人事件が、韓国の谷城の狭い村で何件も起きます。

警察の捜査によれば、一応、幻覚性キノコを口にした者が、重度の精神錯乱の中で次々と殺人を犯したのだ、と整理されてきました。
ですが、事件が起きるのと時を合わせて山の中に居ついた日本人(國村隼)が怪しい、とする噂が聞かれるようになります(注5)。

この日本人は、上記(1)で見るように、本作の冒頭で先ず映し出されます。
次に現れるのは、鹿を追って山に入った猟師の前。重すぎて猟師が運び損なった鹿を、褌だけの丸裸の日本人が、ナマのまま口に咥えて食べているのです。
さらに、ジョングとソンボク、それに日本語ができる助祭・イサムは、その日本人が暮らす山の中のあばら家に踏み込みます。
その家の奥まった部屋には、小さな祭壇が設けられており、周囲の壁に、最近の殺人事件で殺された人たちの写真が、所狭しと貼られています(注6)。
ここまででも、この日本人が十分怪しいと目星がつきます。
ただ、本作で怪しいと思われるのは、この日本人だけではありません。
まず、ラストの方でジョングの家の周りをうろついている祈祷師のイルグァン(ファン・ジョンミン)。

元々、高熱を発した娘・ヒジョンの脚に湿疹ができているのを見つけ、彼女がついには「お前をぶっ殺してやる」と言うようになったのに驚いて、祈祷師を呼ぶという義母の意見を聞き入れ、父親のジョングが谷城に呼び寄せたのです(注7)。
それで、山を超えて祈祷師がやって来ますが、話を聞くと「その日本人が悪霊だ」「元は人間だったが、とっくに死んでいる」と言います。そして、日本人に対し“殺”を打つ祈祷をします(注8)。
ただし、後で、ジョングに対する電話の中で、「間違った相手に対し“殺”を打ってしまった」「すべては女の仕業だ」「日本人は、あの女を退治しようとしていた」と言います。
その女ですが、本作ではムミョン(注9:チョン・ウヒ)とされ、最初の方で、ジョングに殺人事件を目撃したと告げています(注10)。

彼女は、日本人について、「殺されたお婆さんが、あの男は悪霊だって言っていた」「気をつけて、ヤツの目に止まったら、最後は殺される」などと言いますが、ジョングが目を離した隙に姿を消してしまいます。
その後もチラチラ現れますが、はっきり姿を見せるのは、ラストに近いところ。ジョングの家を見に来た祈祷師に対し「何しに来た。帰れ」と言い、またヒジョンを探すジョングに会うと、「ヒジョンは家にいるが、今家に行くと家族が死ぬことになる」と警告します(注11)。
クマネズミのように、韓国の実情がわからない日本で暮らす者からすれば、本作で引き起こされる事件は、単純に、「毒キノコ」が原因としても良さそうに思えます。
でも、こうした非合理的なことが起こりうる世界もあるのだとして考えてみると、やっぱり事件は、怪しい日本人によって引き起こされたものではないかと思えてきます(注12)。
ただ、その日本人は、本作の途中で、ジョングらの乗った車に惹かれて死んでしまい、ジョングらがそれを確認した上で、崖の下に投げ落としているのです。
そうだとすれば、本作のラストのような事件は起きなかったことになります。でも、本作では、ジョングの家とかソンボクの家で、他の家の殺人事件と同じような事件が起きています。
あるいは、ソンボクの甥とされる助祭が関係しているのでしょうか?
彼は、教会で十字架のキリスト像をしばらく眺めたあと、日本人が暮らしていた山の中の家に一人で入り込み、そこに地下通路を見つけ出し(注13)、その先に日本人がうずくまっているのを発見します。
その日本人は、本作の冒頭の引用文まがいのことを助祭に言います。そして、見る間にその姿形は悪魔となってしまうのです(注14)。
あるいは、助祭が呼び起こしたこの悪魔が、ジョングの家とかソンボクの家で事件を引き起こすのでしょうか(注15)?
なお、ラストにおける祈祷師が何をしているのかも、よく理解できません。どうして、事件の被害者の写真の入った箱を車に詰めなおして、この地を去っていくのでしょう(注16)?
そして、一番わからないのは、悪魔の日本人が一連の事件を引き起こしているとして、一体彼は何のためにそんなことをしたのか、という点です(注17)。
でも、ここで掲げるような問題点はレベルが低く、あるいはすでに解決済みなのかもしれません。そして、モット高度な問題点が残されていることでしょう。
とは言え、なんでも構いません。クマネズミは、これからも本作について、ああでもないこうでもないと色々考え続けていくことになりそうです(注18)。
(3)渡まち子氏は、「観る者をわしづかみにする超ド級の怪作だ」として75点を付けています。
北小路隆志氏は、「観客を異様な物語の渦中に無理なく引き込む手際良さや、危機的状況にあっても思わず笑いを誘うユーモア。全編にわたり緊迫感漲る映画ながら、ナ・ホンジン監督による懐の深い演出が冴えわたる」などと述べています。
(注1)監督・脚本はナ・ホンジン。
原題は『곡성 哭聲』(英題は「The Wailing」)。
邦題の中の「コクソン」とは、本作の舞台となった韓国・全羅南道の北東部にある郡の「谷城」のこと。
なお、出演者の内、最近では、ファン・ジョンミンは『ベテラン』、國村隼は『海賊とよばれた男』で、それぞれ見ました(チョン・ウヒは、『母なる証明』で、主人公トジュンの友人のガールフレンド役だったようですが、印象に残っておりません)。
(注2)このサイトの翻訳では、次のように記載されています。
「24:37 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。24:38 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。24:39 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」。
(注3)ヒジョンは、大層“オシャマ”な女の子。母屋では義母や娘がいるために、ジョングが気を使って、庭にある車の中で妻とよろしくやっていると、彼女は、それを覗き見してしまいます。ソレに気付いたジョングが、簪を買ってあげつつ、ヒジョンに「いつから見てた?」「どこまで見てたんだ?」と訊くと、ヒジョンは「黙ってるから安心して」「何度も見たから平気」「もう気にしないで」と答え、ジョングは「全部見てしまったんだ」と気落ちします。
また、ジョングが、事件のために家に帰らずに警察署で寝泊まりしていると、ヒジョンが、「母さんから下着だって」と言いながら署の中に入ってきます。ジョングが「いいから、早く帰れ」と言うと、ヒジョンは、「シャワーを浴びて」とか、「食事もしないで、情けない」などと口にして出ていきます。
(注4)ジョングは、警察署の上司からは、「お前は、女々しくて臆病だ」と言われています。
(注5)ただ、ジョングが、「毒キノコによると鑑定結果が出ている」と言うと、ソンボクは、「たかがキノコくらいで人はあそこまでなりません。やっぱり、あの日本人が怪しい。噂が立つのは、それなりのわけがあります」と納得しません。
(注6)その部屋に踏み込んで写真を見たソンボクは、署に戻ると、「やつが犯人だ」「生きている時に写真を撮り、殺した後からも写真を撮っている」と口にし、「ヤツは、人の物を持ってきて呪いをかけている」と言いながら、ヒジョンの靴をジョングに見せます。
ジョングは、その靴を家に持って帰り、ヒジョンに見せて、「お前の靴だろ?」「あの日本人に会ったな?」「何処であって何をしたのか説明しろ」と問い詰めると、彼女はその日本人に会ったことは認めるも、反対に「何が大事なのか、なんでそんなに大事なのか説明できないくせに」と言い返します。
(注7)祈祷師は、費用が1千万ウォン(約100万円)かかるとジョングに言います。
(注8)祈祷師が、“殺”を打つ祈祷を開始すると、山の家でも、日本人が太鼓を叩き出します。おそらく、日本人も、逆に、祈祷師に対し“殺”を打つ祈祷を行っているのかもしれません。ただ、祈祷師が、大きな釘を打つと、日本人はのたうち回ります。もう少しで死ぬというところで、ジョングが祈祷師の祈祷を止めさせたことによって、日本人は、息を吹き替えします。
なお、ここらあたりについては、例えば、このサイトの記事では、全然違った見方をしております(日本人は祈祷師とグルであり、彼が太鼓を叩いたのは、トラックの運転席にいた男に向けてだとの見解←そうは思えないのですが。下記「注15」もご覧ください)。
(注9)女に「ムミョン」という名前があるのではなく、韓国語で「ムミョン」とは「無名」の意味(この記事)。
(注10)この時、ムヒョンは、ジョングに向かって何度も小石を投げます。これは、ヨハネによる福音書にあるイエスの言葉、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」(このURLの「8:7」)に対応しているのでしょうか?
(注11)ムミョンはジョングに、「鶏が3度鳴いたら、家の中に入れ」と言います(ジョングは、この言いつけを守らず、祈祷師からの連絡に従って、2回鳴いたところで入ってしまいます)。これは、聖書のマタイやルカやヨハネの福音書に、鶏が鳴くまでにペテロが3度イエスのことを知らないと言うだろう、とイエスが予言したとされているのに対応しているのでしょう。
(注12)ムミョンにしても、祈祷師にしても、わざわざこの谷城で事件を引き起こす動機が見当たりません。
(注13)『お嬢さん』についての拙エントリの「注4」でも触れましたが、クマネズミは、ここでも『黒く濁る村』で描かれる地下通路を思い出しました。
(注14)その日本人は、「どうして心に疑いを持つのか?私の手や足を見なさい。まさに私だ」などとイエス・キリストのごとくに言うのですが、助祭がこの日本人を悪魔だと強く思い込んでいるからでしょうか、その日本人は、イエス・キリストではなく恐ろしい悪魔になってしまいます。
(注15)ただ、悪魔になる前にもその日本人は、谷城の一連の殺人事件を引き起こしたのでしょうか?
(注16)あるいは、この祈祷師は、日本人とグルになっていたからなのでしょうか(日本人から写真を預かっているのかもしれません)?ムヒョンも、「祈祷師は日本人とグルだ」とジョングに言いますし。
ですが、わざわざ山の向こうからやってくる祈祷師と、韓国語が話せない日本人とがグルというのも、信じがたい気がします。それに、ムヒョンは祈祷師と対立しているとはいえ、だからといって祈祷師が日本人とグルだとまでは言えないのではないでしょうか?
(注17)同じことは、上記「注12」でも申し上げましたが、ムヒョンや祈祷師にも当てはまるように思われます。もしかしたら、本作は、この日本人、ムヒョン、そして祈祷師という3人の霊媒師(又はシャーマン)による谷城争奪戦を描いたものかもしれませんが。
なお、本作では、この日本人については何も明かされませんが、ジョングは、彼からパスポートを見せられ、それを写真に収めているのですから、普通の場合なら日本に照会したりして、少なくとも身元などは判明しているのではないでしょうか(尤も、偽造パスポートということもありうるでしょうが←逮捕する理由ができます!)。
(注18)この監督インタビュー記事で、ナ・ホンジン氏は、「僕たちは<あなたが、家族のために家長として、父親としてどのような努力をしてきたのか、最善の努力をしてきたことを見守ってきました。失敗はしてしまったけれど、その努力する姿を見守ってきました。あなたは立派な父親でありベストを尽くしました。だから、余り苦しまないでください。辛く思わないでください。あなたは最高の父親ですよ>と慰めになるような映画になることを望みました。一番最後のエンディングのところは、役者の顔のアップで終わりますが、それで終わることによって共感を一緒にしてくれたらいいなと思いました。そういう風に観てもらえることがこの映画の存在価値ではないかと思っています」と述べています。
ただ、そういう発言からすると、そして本作のラストでジョングが「ヒジョン、大丈夫だ。父さんは警察官だ、父さんがすべて解決する」と話すのを見れば、拙ブログのように本作について謎解きを面白がるというのは、監督の意にそぐわないことなのかもしれません。

もしかしたら、本作は、怪しい日本人、ムヒョン、そして祈祷師という3人の霊媒師(又はシャーマン)による谷城争奪戦(上記「注16」)に翻弄されるジョングとヒジョンの父娘の強い絆を描いたものと言えるかもしれません。
★★★★☆☆
象のロケット:哭声/コクソン
(1)評判がかなり良さそうなので映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、ルカによる福音書第24章第37-39節が、字幕で映し出されます(注2)。
次いで、男(國村隼)が、大きな川の川岸の岩に腰掛けを置いて座り、本格的な長い釣り竿を使って釣りをしています。釣り針に餌をつける様子が、大写しにもなります。
場面が変わって、ある家の寝室。外は雨。
夫婦が布団を敷いて寝ているところ、夫のジョング(警察官:クァク・ドウォン)が起き出し、携帯に出ます。
妻が「朝から何なの?」と煩さがると、ジョングは「人が死んだらしい」と答えます。
さらに、義母が出てきて「何処へ行くの?」と尋ねるものですから、ジョングは同じように答えると、義母は「ご飯を食べていって」と言います。
ジョングが「急ぐんです」と応じると、義母は「いいから食べていって」と食事をとるよう促します。
次の場面では、ジョングが食事をしながら、「ジョさんの奥さんが、誰かに殺されたようだ」と話していると、娘のヒジョン(キム・ファニ)まで起きてきて、「誰が死んだの?」と尋ねます(注3)。
ジョングは車を走らせ、まず娘を学校に送り、その後で事件現場の家の前に到着し、パトカーの後ろに車を停めます。
雨が降り続いているので、ジョングが後輩の警官のソンボクに、「カッパを出せ」と言うと、ソンボクは「何をのんきに。人が殺されたというのに」と不平顔をします(注4)。
ジョングが門の中に入っていくと、男や女が泣き叫んでいます。

形相がまるで変わってしまい体中湿疹の男が、縁側の柱に目を虚ろにして凭れかかっています。
ジョングが、「あの男は?」と訊くと、ソンボクは「ぼんやりしています。薬でも飲んでいるのでしょう」と答えます。
さらに、ソンボクは、「刃物による傷が20箇所以上」とか「他の場所で殺して、袋に入れて運んできたようです」「その後で奥さんも殺したようです」などと状況を報告します。
このあと本作のタイトルが流れますが、さあ、物語はどのように展開するのでしょうか、………?
本作では、韓国の田舎の村で家族が残虐に殺される事件が相次いで起こり、主人公の警察官らが捜査に乗り出します。彼の娘まで事件に巻き込まれる一方で、酷く怪しい日本人のみならず、祈祷師とか謎の女などが事件に絡んできて、映画はなかなか複雑怪奇な様相を呈します。冒頭で聖書が引用されたりして宗教絡みの感もあり、そうなるとクマネズミにはよくわからなくなるとはいえ、邦画で活躍する國村隼が重要な役を演じたりするなど、作品全体としても、個々の点でも、後々まで気にかかるなかなか興味深い作品です。
(以下では、本文も注も随分とネタバレしていますので、本作を未見の方はご注意ください)
(2)本作では、現場が酷く凄惨な殺人事件が、韓国の谷城の狭い村で何件も起きます。

警察の捜査によれば、一応、幻覚性キノコを口にした者が、重度の精神錯乱の中で次々と殺人を犯したのだ、と整理されてきました。
ですが、事件が起きるのと時を合わせて山の中に居ついた日本人(國村隼)が怪しい、とする噂が聞かれるようになります(注5)。

この日本人は、上記(1)で見るように、本作の冒頭で先ず映し出されます。
次に現れるのは、鹿を追って山に入った猟師の前。重すぎて猟師が運び損なった鹿を、褌だけの丸裸の日本人が、ナマのまま口に咥えて食べているのです。
さらに、ジョングとソンボク、それに日本語ができる助祭・イサムは、その日本人が暮らす山の中のあばら家に踏み込みます。
その家の奥まった部屋には、小さな祭壇が設けられており、周囲の壁に、最近の殺人事件で殺された人たちの写真が、所狭しと貼られています(注6)。
ここまででも、この日本人が十分怪しいと目星がつきます。
ただ、本作で怪しいと思われるのは、この日本人だけではありません。
まず、ラストの方でジョングの家の周りをうろついている祈祷師のイルグァン(ファン・ジョンミン)。

元々、高熱を発した娘・ヒジョンの脚に湿疹ができているのを見つけ、彼女がついには「お前をぶっ殺してやる」と言うようになったのに驚いて、祈祷師を呼ぶという義母の意見を聞き入れ、父親のジョングが谷城に呼び寄せたのです(注7)。
それで、山を超えて祈祷師がやって来ますが、話を聞くと「その日本人が悪霊だ」「元は人間だったが、とっくに死んでいる」と言います。そして、日本人に対し“殺”を打つ祈祷をします(注8)。
ただし、後で、ジョングに対する電話の中で、「間違った相手に対し“殺”を打ってしまった」「すべては女の仕業だ」「日本人は、あの女を退治しようとしていた」と言います。
その女ですが、本作ではムミョン(注9:チョン・ウヒ)とされ、最初の方で、ジョングに殺人事件を目撃したと告げています(注10)。

彼女は、日本人について、「殺されたお婆さんが、あの男は悪霊だって言っていた」「気をつけて、ヤツの目に止まったら、最後は殺される」などと言いますが、ジョングが目を離した隙に姿を消してしまいます。
その後もチラチラ現れますが、はっきり姿を見せるのは、ラストに近いところ。ジョングの家を見に来た祈祷師に対し「何しに来た。帰れ」と言い、またヒジョンを探すジョングに会うと、「ヒジョンは家にいるが、今家に行くと家族が死ぬことになる」と警告します(注11)。
クマネズミのように、韓国の実情がわからない日本で暮らす者からすれば、本作で引き起こされる事件は、単純に、「毒キノコ」が原因としても良さそうに思えます。
でも、こうした非合理的なことが起こりうる世界もあるのだとして考えてみると、やっぱり事件は、怪しい日本人によって引き起こされたものではないかと思えてきます(注12)。
ただ、その日本人は、本作の途中で、ジョングらの乗った車に惹かれて死んでしまい、ジョングらがそれを確認した上で、崖の下に投げ落としているのです。
そうだとすれば、本作のラストのような事件は起きなかったことになります。でも、本作では、ジョングの家とかソンボクの家で、他の家の殺人事件と同じような事件が起きています。
あるいは、ソンボクの甥とされる助祭が関係しているのでしょうか?
彼は、教会で十字架のキリスト像をしばらく眺めたあと、日本人が暮らしていた山の中の家に一人で入り込み、そこに地下通路を見つけ出し(注13)、その先に日本人がうずくまっているのを発見します。
その日本人は、本作の冒頭の引用文まがいのことを助祭に言います。そして、見る間にその姿形は悪魔となってしまうのです(注14)。
あるいは、助祭が呼び起こしたこの悪魔が、ジョングの家とかソンボクの家で事件を引き起こすのでしょうか(注15)?
なお、ラストにおける祈祷師が何をしているのかも、よく理解できません。どうして、事件の被害者の写真の入った箱を車に詰めなおして、この地を去っていくのでしょう(注16)?
そして、一番わからないのは、悪魔の日本人が一連の事件を引き起こしているとして、一体彼は何のためにそんなことをしたのか、という点です(注17)。
でも、ここで掲げるような問題点はレベルが低く、あるいはすでに解決済みなのかもしれません。そして、モット高度な問題点が残されていることでしょう。
とは言え、なんでも構いません。クマネズミは、これからも本作について、ああでもないこうでもないと色々考え続けていくことになりそうです(注18)。
(3)渡まち子氏は、「観る者をわしづかみにする超ド級の怪作だ」として75点を付けています。
北小路隆志氏は、「観客を異様な物語の渦中に無理なく引き込む手際良さや、危機的状況にあっても思わず笑いを誘うユーモア。全編にわたり緊迫感漲る映画ながら、ナ・ホンジン監督による懐の深い演出が冴えわたる」などと述べています。
(注1)監督・脚本はナ・ホンジン。
原題は『곡성 哭聲』(英題は「The Wailing」)。
邦題の中の「コクソン」とは、本作の舞台となった韓国・全羅南道の北東部にある郡の「谷城」のこと。
なお、出演者の内、最近では、ファン・ジョンミンは『ベテラン』、國村隼は『海賊とよばれた男』で、それぞれ見ました(チョン・ウヒは、『母なる証明』で、主人公トジュンの友人のガールフレンド役だったようですが、印象に残っておりません)。
(注2)このサイトの翻訳では、次のように記載されています。
「24:37 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。24:38 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。24:39 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」。
(注3)ヒジョンは、大層“オシャマ”な女の子。母屋では義母や娘がいるために、ジョングが気を使って、庭にある車の中で妻とよろしくやっていると、彼女は、それを覗き見してしまいます。ソレに気付いたジョングが、簪を買ってあげつつ、ヒジョンに「いつから見てた?」「どこまで見てたんだ?」と訊くと、ヒジョンは「黙ってるから安心して」「何度も見たから平気」「もう気にしないで」と答え、ジョングは「全部見てしまったんだ」と気落ちします。
また、ジョングが、事件のために家に帰らずに警察署で寝泊まりしていると、ヒジョンが、「母さんから下着だって」と言いながら署の中に入ってきます。ジョングが「いいから、早く帰れ」と言うと、ヒジョンは、「シャワーを浴びて」とか、「食事もしないで、情けない」などと口にして出ていきます。
(注4)ジョングは、警察署の上司からは、「お前は、女々しくて臆病だ」と言われています。
(注5)ただ、ジョングが、「毒キノコによると鑑定結果が出ている」と言うと、ソンボクは、「たかがキノコくらいで人はあそこまでなりません。やっぱり、あの日本人が怪しい。噂が立つのは、それなりのわけがあります」と納得しません。
(注6)その部屋に踏み込んで写真を見たソンボクは、署に戻ると、「やつが犯人だ」「生きている時に写真を撮り、殺した後からも写真を撮っている」と口にし、「ヤツは、人の物を持ってきて呪いをかけている」と言いながら、ヒジョンの靴をジョングに見せます。
ジョングは、その靴を家に持って帰り、ヒジョンに見せて、「お前の靴だろ?」「あの日本人に会ったな?」「何処であって何をしたのか説明しろ」と問い詰めると、彼女はその日本人に会ったことは認めるも、反対に「何が大事なのか、なんでそんなに大事なのか説明できないくせに」と言い返します。
(注7)祈祷師は、費用が1千万ウォン(約100万円)かかるとジョングに言います。
(注8)祈祷師が、“殺”を打つ祈祷を開始すると、山の家でも、日本人が太鼓を叩き出します。おそらく、日本人も、逆に、祈祷師に対し“殺”を打つ祈祷を行っているのかもしれません。ただ、祈祷師が、大きな釘を打つと、日本人はのたうち回ります。もう少しで死ぬというところで、ジョングが祈祷師の祈祷を止めさせたことによって、日本人は、息を吹き替えします。
なお、ここらあたりについては、例えば、このサイトの記事では、全然違った見方をしております(日本人は祈祷師とグルであり、彼が太鼓を叩いたのは、トラックの運転席にいた男に向けてだとの見解←そうは思えないのですが。下記「注15」もご覧ください)。
(注9)女に「ムミョン」という名前があるのではなく、韓国語で「ムミョン」とは「無名」の意味(この記事)。
(注10)この時、ムヒョンは、ジョングに向かって何度も小石を投げます。これは、ヨハネによる福音書にあるイエスの言葉、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」(このURLの「8:7」)に対応しているのでしょうか?
(注11)ムミョンはジョングに、「鶏が3度鳴いたら、家の中に入れ」と言います(ジョングは、この言いつけを守らず、祈祷師からの連絡に従って、2回鳴いたところで入ってしまいます)。これは、聖書のマタイやルカやヨハネの福音書に、鶏が鳴くまでにペテロが3度イエスのことを知らないと言うだろう、とイエスが予言したとされているのに対応しているのでしょう。
(注12)ムミョンにしても、祈祷師にしても、わざわざこの谷城で事件を引き起こす動機が見当たりません。
(注13)『お嬢さん』についての拙エントリの「注4」でも触れましたが、クマネズミは、ここでも『黒く濁る村』で描かれる地下通路を思い出しました。
(注14)その日本人は、「どうして心に疑いを持つのか?私の手や足を見なさい。まさに私だ」などとイエス・キリストのごとくに言うのですが、助祭がこの日本人を悪魔だと強く思い込んでいるからでしょうか、その日本人は、イエス・キリストではなく恐ろしい悪魔になってしまいます。
(注15)ただ、悪魔になる前にもその日本人は、谷城の一連の殺人事件を引き起こしたのでしょうか?
(注16)あるいは、この祈祷師は、日本人とグルになっていたからなのでしょうか(日本人から写真を預かっているのかもしれません)?ムヒョンも、「祈祷師は日本人とグルだ」とジョングに言いますし。
ですが、わざわざ山の向こうからやってくる祈祷師と、韓国語が話せない日本人とがグルというのも、信じがたい気がします。それに、ムヒョンは祈祷師と対立しているとはいえ、だからといって祈祷師が日本人とグルだとまでは言えないのではないでしょうか?
(注17)同じことは、上記「注12」でも申し上げましたが、ムヒョンや祈祷師にも当てはまるように思われます。もしかしたら、本作は、この日本人、ムヒョン、そして祈祷師という3人の霊媒師(又はシャーマン)による谷城争奪戦を描いたものかもしれませんが。
なお、本作では、この日本人については何も明かされませんが、ジョングは、彼からパスポートを見せられ、それを写真に収めているのですから、普通の場合なら日本に照会したりして、少なくとも身元などは判明しているのではないでしょうか(尤も、偽造パスポートということもありうるでしょうが←逮捕する理由ができます!)。
(注18)この監督インタビュー記事で、ナ・ホンジン氏は、「僕たちは<あなたが、家族のために家長として、父親としてどのような努力をしてきたのか、最善の努力をしてきたことを見守ってきました。失敗はしてしまったけれど、その努力する姿を見守ってきました。あなたは立派な父親でありベストを尽くしました。だから、余り苦しまないでください。辛く思わないでください。あなたは最高の父親ですよ>と慰めになるような映画になることを望みました。一番最後のエンディングのところは、役者の顔のアップで終わりますが、それで終わることによって共感を一緒にしてくれたらいいなと思いました。そういう風に観てもらえることがこの映画の存在価値ではないかと思っています」と述べています。
ただ、そういう発言からすると、そして本作のラストでジョングが「ヒジョン、大丈夫だ。父さんは警察官だ、父さんがすべて解決する」と話すのを見れば、拙ブログのように本作について謎解きを面白がるというのは、監督の意にそぐわないことなのかもしれません。

もしかしたら、本作は、怪しい日本人、ムヒョン、そして祈祷師という3人の霊媒師(又はシャーマン)による谷城争奪戦(上記「注16」)に翻弄されるジョングとヒジョンの父娘の強い絆を描いたものと言えるかもしれません。
★★★★☆☆
象のロケット:哭声/コクソン
國村さんが怪しいと思うと、ファン・ジョンミンが、さらに転じてチョン・ウヒが。
あのキノコも怪しい、明らかに毒キノコですが、一体元凶はなんなのか、それともそれ全部が降りかかってきた村なのか。
日本の田舎の村で起こった殺人事件は、横溝作品で多いのですが、はっきりしているようで、わからない、でも主要人物の怪演で、圧倒的な迫力に押される作品でした。
TBいつもありがとうございます。
おっしゃるとおり、本作は「なかなか謎の多いお話」であり、「はっきりしているようで、わからない、でも主要人物の怪演で、圧倒的な迫力に押される作品」だったなと思います。特に、國村隼の演技には脱帽します。
謎が多く、突き詰めると色々な疑問が出てくる作品ですが、私はこの怪しい3人が、それぞれ悪霊でそれぞれがコクソン村の人々を呪っているのだと解釈しました。でも、その内の女だけは実は村を救おうとしていたのかな?という気もしてきています。
ところで、その人が身につけているものを呪詛の対象とするのは、日本でもあるケースなので、その辺りの描写は意味深でぞくっとする怖さでした。
おっしゃるように、本作は、「謎が多く、突き詰めると色々な疑問が出てくる作品」であり、様々な解釈ができるように思います。「怪しい3人が、それぞれ悪霊でそれぞれがコクソン村の人々を呪っている」という解釈も、無論成り立つように思います。
ただ、その場合でも、またクマネズミのように3人とも霊媒師の人間だと解釈するにしても、どうして舞台となる谷城(コクソン)にやって来たのかが一番わからないところです。何しろ、韓国でもかなり田舎のようであり、なんでそんなところに目をつけたのかなと思ってしまいます(監督は「母方の祖母の故郷」などと言っているそうですが)。