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彼女の人生は間違いじゃない

2017年08月22日 | 邦画(17年)
 『彼女の人生は間違いじゃない』をヒューマントラストシネマ渋谷で見ました。

(1)『さよなら歌舞伎町』の廣木隆一監督の作品というので、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、両側に街路樹が植えられている通りが映し出されます。
 全体に靄がかかっているところ、ライトを付けた車が正面から道路の真ん中をこちらに向かって進んできます。しばらくしてその車は停まり、中から防護服を来た男たちが10人ほど降り、周囲の道路を清掃し始めます。

 次いで、海岸の近くに建てられた仮設住宅の家々。その向こうは海岸となっていて、丁度朝日が上ってきます。
 仮設住宅の一つで、主人公みゆき瀧内公美)が時計の音で飛び起きます。
 ドアを開けて台所に行き、水を飲み、冷蔵庫を開けて水の入ったペットボトルを出し、炊飯器のご飯が炊き上がっているか確かめます。
 みゆきは、茶碗にご飯をよそって、小さな箪笥の上に置かれた母親の遺影写真の前に置き、手を合わせます。
 みゆきは「行ってくる。ご飯はできてる」と、寝ていた父親の光石研)に言います。修は、「ああ」と言いながら起き出して、タバコを吸います。

 みゆきは外に出て、駐車場に置かれている軽自動車に乗って、勤務先の市役所に向かいます。
 市役所では、みゆきはコピーをとっています。
 また、別の部署では、職員の新田柄本時生)が、相談に来た女性写真家の山崎蓮佛美沙子)に対応しています。
 山崎は、「いわきの風景を撮影しているが、中に入れない場所がある」と言い、それに対して新田は「許可が降りたら連絡します」と答えます。

 修は、玄関から外に出ると、隣に住む主婦の時子安藤玉恵)がいたので、「お早うございます」と挨拶したところ、彼女は慌てて家の中に引っ込んでしまいます。修は不審に思って、ガラス戸越しに隣家の中を伺います。

 その後、修はパチンコ店にいます。
 そばの席の男が「勝っても大したことはない。漁に出ていた頃は、1日何十万も稼げていたのに」と言います。

 修は家で夕食をとっています。
 修は、「美味くないんだな、これ」「美味かったなー、母ちゃんの枝豆」「修学旅行で仙台に行った時に母ちゃんに出会った」「同じテーブルになってなかったら、津波にさらわれることなんかなかった」言います。
 それに対し、みゆきは、「その話、何十回も聞いた」「いつもいつも、お母ちゃんの話ばかり」「仕事は?」などと応じます。
 修はしばらく黙っていますが、「うちは農家。他の仕事なんか出来るか」と呟きます。

 こんなところが本作の始めの方ですが、さあこれからどのように物語は展開するのでしょうか、………?

 本作は、東日本大震災で母親を亡くした女性が、福島いわき市にある仮設住宅で父親と暮らしつつ市役所に勤務しながらも、週末になると東京に出てデリヘル嬢になるという生活を送っているのに焦点をあてています。ただ、それだけでなく、二人を取り巻く人々の姿をも捉えて、震災後の被災地の有様、ひいては今の日本を描き出そうとしています。制作意図はわからないでもありませんが、他方で、沢山のエピソードが平板に並べられているという印象も受けてしまいました。

(2)本作では、3.11の津波に襲われた福島の人々の様子が色々描き出されています。
 例えば、みゆきと同じように市役所に勤める新田は、「両親は健在ですが、父親が営んでいた工場が津波で流され、補償はしてもらったものの、父親はその金で遊ぶし、母親は宗教に入って、家族はバラバラ」などとカメラマンの山崎に語ります(注2)。



 また、みゆきの隣家に住む夫婦ですが、ある時、妻の時子が首を吊ろうとしているのを見て、修は慌てて家の中に入って、「奥さん、ダメだよ!」と言って助け出します(注3)。

 勿論、主人公のみゆきも、厳しい状況に置かれています。
 例えば、みゆきは、週末になると東京に出かけ、バスの中とかトイレで着替えてデリヘル嬢になります。みゆきは、平日は市役所に勤務していますから、修との二人暮らしはなんとかなると思われますから、お金目当てではないでしょう。



 逆に、リスクがかなりあるように思われます。お客に暴力的に関係を迫られたりもしますし、また役所に知られたら退職を余儀なくされることでしょう。
 あるいは、そうしたリスクがあるからこそ、みゆきには生きている実感を覚えることが出来るような感じがして、自ら進んでデリヘル嬢になっているようにも思われます(注4)。

 また、みゆきの父親の修も、自治体側からの説明会に顔を出したりするものの、前向きに生きようとする気力が失せてしまっていて、田んぼは放ったらかしであり、受け取った補償金はパチンコ代として消えてしまっています(注5)。



 実際にも、福島で避難生活を送っている人たちは、東京で暮らすクマネズミには想像もつかないほど、それぞれ実に大変な思いをしていることでしょう。
 ただ、本作のように、色々なエピソードをこれでもかと盛り沢山に詰め込まれると、逆に、それぞれの話が平板なもののように感じられもしてきてしまいます。
 ここは、3.11にまつわるエピソードをもう少し刈り込んで集中的に描きこんだ上で、みゆきと修との父娘関係により焦点を当ててみたら、より印象的な作品に仕上がったのでは、と密かに思いました。

 というのも、最近見た『ありがとう、トニ・エルドマン』において、特異ながらも随分と魅力的な父娘関係が描き出されていたからでもあります。
 同作では、グローバル企業に努め外国で働く娘のことを心配して、いろいろな手立てを通じて娘の傍にいようとする父親の姿は、幾分コミカルに描かれてはいるものの、娘のことを思う父親の気持ちがよく伝わってくる感じがします。

 他方、本作では、デリヘル嬢を勤めなど、娘・みゆきの方が特異な行動を取るものの、父親・修の方は、毎日をボケッーと漫然と過ごしている感じであり、娘のことをどう思っているのか、よくわからない感じがしてしまいます。
 デリヘル嬢として東京に行く際、みゆきは修に、英会話学校に行くと言っているようですが、果たして修はその説明を信じているのでしょうか?
 また、みゆきは、以前付き合っていた山本篠原篤)と再会しながらも別れてしまいますが(注6)、修は山本のことをどの程度知っているのでしょう?
 修にしてみれば、最愛の妻を津波で失ってからはもぬけの殻となって、みゆきのことなどかまっていられないのかもしれません。
 でも、年頃の娘のことについて心配しない親がいるとも思えないところです。
 みゆきは、修に対して、「父さん、田んぼは?」「仕事探した?」などと厳しいことを言いますが、修の方から、みゆきのことを心配する言葉が、本作には見られないように思われます(注7)。

 それに、みゆきには、山本以外にも交友関係があるはずです(注8)。また、修にだって友人関係や親族関係があるように思います。
 本作で描かれるみゆきと修の父娘関係は、世間から隔絶したところでごくひっそりと営まれているように見えながらも、お互いに突き放しているような雰囲気でもあり、どうも特異な感じがしてしまいます。

 ラストで、修は耕運機で田んぼを耕していますが、みゆきの方は、相変わらず上記(1)に記したように炊飯器でご飯を炊いています。はてさて、みゆきは今後どうなるのでしょうか(注9)?

(3)渡まち子氏は、「これは5年間の日常の絶望と希望が積み重なってできたストーリーなのだ」として75点を付けています。
 日本経済新聞の古賀重樹氏は、「虚脱感はこの国に満ちている。無人の街、壊れた原発、積み上がる除染廃棄物など、荒涼とした福島の光景は、まぎれもなく今のこの国の姿だ。この映画には等身大の被災者、そして等身大の日本が映っている」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
 秦早穂子氏は、「冷静で的確な人間描写の導入部に比べ、終盤、人生間違っていなかったと、なぜか性急に結論づけようとする。そこに、一方的な男の視線がちらつくのだ。震災以外にも、さまざまな理由で心の闇を封印し、辛うじて立ち続ける女たちがいる。みゆきは、もう、作者を離れ、ひとり歩み始めている。ここは、そっと見守ってほしかった」と述べています。
 毎日新聞の木村光則氏は、「東北の人々はあまり感情を露わにはしない。だからこそ心の奥深くに沈殿する悲しみや喪失感を俳優たちが情感豊かに表現し、廣木監督が映像と音楽ですくい取った。そして最後に、再生に向けた一筋の光が差し込んでくる」と述べています。



(注1)監督は、『さよなら歌舞伎町』や『娚の一生』などの廣木隆一
 脚本は、『エヴェレスト 神々の山嶺』などの加藤正人
 原作は、廣木隆一著『彼女の人生は間違いじゃない』(河出文庫)。

 なお、出演者の内、最近では、瀧内公美は『日本で一番悪い奴ら』、光石研は『海賊とよばれた男』、高良健吾は『シン・ゴジラ』、柄本時生は『超高速!参勤交代 リターンズ』、篠原篤は『恋人たち』、蓮佛美沙子は『白ゆき姫殺人事件』、安藤玉恵は『僕だけがいない街』、麿赤兒は『駆込み女と駆出し男』で、それぞれ見ました。

(注2)さらに、新田には幼い弟がいますが、その夕食は、行きつけのスナックのママに作ってもらったりしています(母親がほとんど家にいないため)。
 また、老夫婦に新しく出来た墓地を紹介しますが、その夫(麿赤兒)が「先祖の骨をここに移せるのか?」と尋ねると、「汚染されていますから、骨は無理です」と答えてしまい、酷く怒られます(ただ、その夫は、秘かに新田に「婆さんが、ガンで長くないので墓は必要なんだ」と告げ、新田の方も「骨の件は、役所に戻って検討します」と約束します)。
 ただ、新田には、色ロエピソードが割り当てられていますが、彼の交友関係とか女性関係といった個人的な側面は、ほとんど描かれていないように思われます。

(注3)修は、病院から、東電の職員らしい(はっきりとはわかりません)夫の政明戸田昌宏)に電話して、すぐに来るよう求めますが、政明は「だいぶ塞ぎ込んでいましたので、心配はしていました」「仕事の都合で、すぐにそちらに行けないんです」「どうかしばらく見ていてください」「頼める人がいないんです」と答えます。
 そして、しばらく時間を置いてやって来た政明は、修に、「汚染水の処理をしてから、風当たりが強くなって」「仕事で、月の半分以上家に居られなくて」「母親は施設に預けました」「身を削っても、働かなくてはいけないのです」「私、なにか悪いことをしたのでしょうか?」「どうして肩身の狭い思いをしなくてはならないんでしょう?」などと言います。

(注4)みゆきは、渋谷にあるデリヘルの事務所で出会った三浦(デリヘル嬢の送迎用の車を運転したり、用心棒だったりもします:高良健吾)に、「あんたには無理」と言われながらも、彼の前で全裸になって意気込みを示すことで、なんとか採用してもらいます。



(注5)さらに、修は、説明会で知り合った男・五十嵐波岡一喜)に、壺を売りつけられそうになったりします(修は、その場をなんとか切り抜けますが、あとで仮設住宅を五十嵐がうろついているのを見つけ、「ここはあんたが来るところじゃない」と言うと、キレた五十嵐に逆に、「補償金でパチンコしていながら!」と言い返され蹴り倒されてしまいます)。
また、修は、津波でさらわれた妻のことがどうしても忘れられず(遺体は見つかっていません)、帰宅困難地域内にある自宅に戻って、タンスから妻が来ていた洋服を何枚も取り出して紙袋に詰め、海に船を出してもらって、「母ちゃん、寒いだろー」と言いながら、その洋服を海に投げ捨てます。

(注6)みゆきと山本は、震災の時、「のんきにデートしていていいのかな?」と山本が言って別れましたが、山本が考えを改め、「好きな人とデートしている方が大事なんだ」と思うようになって、再度会うことになります。そして、デートした時に、みゆきは「以前と同じに出来たら付き合う」と言い、2人はホテルに行きますが、みゆきがデリヘル嬢をやっていると告白して(「黙っていようと思ったが、なかったコトにできない」「嫌でしょ、彼女がデリヘル嬢なんて」)、山本は「俺は平気だよ」と言うものの、結局2人は別れてしまいます。

(注7)尤も、修は、東北の人にありがちな寡黙な男であり、例え心で思っていても、口にできないタイプなのかもしれません。でも、それにしても、何か一言あってもしかるべきでは、と思うのですが。

(注8)それに、大部分の時間を過ごす市役所において、みゆきは、どんな仕事をどのようにしているのでしょうか?

(注9)みゆきは、劇団員としての三浦と話ができて吹っ切れた感じですが、それでもさしあたりは子犬を飼うようになったくらいであり、その他は何も変化がないように思われます。



★★★☆☆☆



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2 コメント

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Unknown (atts1964)
2017-08-27 14:50:40
東日本大震災の傷跡は一生残る、改めて感じる作品でした。新しい生活に踏み出したように見えても、心の穴がなかなか埋まらない人たち、主人公の名前はまさにそんな女性だったと思います。
いつもTBありがとうございます。
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Unknown (クマネズミ)
2017-08-27 21:37:22
「atts1964」さん、コメントを有難うございます。
主人公のみゆきは、おっしゃるように、「心の穴がなかなか埋まらない人」なのでしょう、例え、ラストで動物を飼う場面が描かれていても、そんなことくらいではどうしょうもないのかもしれません。
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