『女が眠る時』を渋谷TOEIで見ました。
〔本作は「ミステリー」とされていますが(注1)、以下かなりネタバレしますので、未見の方はご注意ください〕
(1)ビートたけしの主演作というので映画館に行ってみました。
本作(注2)の始めでは、「DAY 1」と字幕が出て、ビーチパラソルがいくつも開く海岸が映し出され、子どもたちがボール遊びをしています。
海岸の直ぐ側にはリゾートホテルがあり、プールが設けられています。
健二(西島秀俊)が、そのプールサイドのビーチチェアで本を読んでいると、同じように隣にいた妻の綾(小山田サユリ)が、「ねえ、ゆっくり起き上がって、向こう側にいる二人を見て。どう見ても親子じゃないよね」と言うので見てみると、初老の男(佐原:ビートたけし)と若い女(美樹:忽那汐里)とが、向こう側のプールサイドにあるビーチチェアにいて、男の方が女の背中にオイルを塗ったりしています。
綾が「羨ましいんでしょ。こっちも塗ってもらっていい?」と頼むものですから、健二は「ああ」と言って綾の背中にオイルを塗りつけますが、綾は「冷たい!」と騒ぎます。
場面は変わって、健二と綾がホテルの庭を歩いていると、ホテルの従業員の恭子(渡辺真起子)が近づいてきて、「綾?久しぶり」と挨拶します。これに対し、健二が「いろいろよくしていただいて」と応じると、恭子は「小説読みました。どこの本屋でも山積みされていて、うちの母も絶賛してました。2作目は?」と尋ねます。それに対し、健二は、「2作目は5、6年前に書きました。今は3作目を書いているところです」と答えます。
恭子が「ご主人は小説家で、妻は編集者か」などと言い出すと、健二は、「僕はこれで」と言いながらその場に二人を残して立ち去ります。健二に向かって恭子は、「1週間、ごゆっくり滞在してください」と声をかけます。
こんな感じで、健二のホテル滞在は始まりますが、さあこれから話はどのように展開していくのでしょうか、………?
本作は、スペイン人の作家が書いた短編を中国人の監督が日本人の俳優を使って日本での話として映画化した邦画。どことなく川端康成の小説『眠れる美女』的な雰囲気を持った作品ですが、色々な事柄がぼやかされはっきりとしないまま展開されます。最後に謎が一応解明されるとはいえ、よくわからなさが後まで残り、こうした作品がミニシアターでないところで公開されているのも不思議な感じがします。
(2)本作は、見ている間は、意味がうまく把握できない映像のつながりがあるために、訳の分からない感じが次第に募ってきます。
例えば、健二が佐原らの部屋に忍び込んでベッドの下に隠れるシーンの後、台風が近づいてきて雨が降る中、健二がタクシーに乗ってホテルを出ようとすると、いきなり美樹が乗り込んでくるシーンになるのです(注3)。
あるいは、健二が後をつけた佐原と美樹が立ち寄る居酒屋の店主・飯塚(リリー・フランキー)も、健二に店の中に貼られている写真について喋った後(注4)、突然奇妙な話をし出します(注5)。
さらには、美樹が失踪したとの佐原の通報によってホテルを調べている刑事・石原(新井浩文)が、健二に対して酷く間延びした質問を浴びせかけたりもします(注6)。
ただ、ここからはまさにネタバレしてしまいますが、ラストでは、健二と佐原とが話すシーンの後、いきなり健二の新作小説のヒットを祝う食事会の場面が描かれるのです(注7)。そしてその後に(注8)、佐原と美樹が何事もなかった如く海岸を歩いているシーンが映し出されます。
ということから、本作の映像は、あるところから以降は健二の新作小説の内容となっているのでは(あるいは、そうしたものが挿入されているのでは)、と推測できるわけです。
そうであれば、前後のつながりがはっきりとつかめなかった様々の映像も小説の中での出来事ではないかということになり、それならなんでもありでしょうから余り思い悩むこともないのでは、という気になってきます。
とはいえ、仮にそうだとしても、例えば、飯塚については小説の中の話なのか、そうではなくて健二が実際に遭遇した人物なのか、などはっきりとしない点が多く残ります。
また、佐原と美樹との特殊な関係は小説の中の話なのでしょうが、それにしては美樹の行動が明瞭ではないままです(注9)。
それに元々、健二が書いている小説が映像化されるというのもオカシナ感じがします。小説とは文章で書かれるものであって、はじめから映像化されているものではないはずだからです。
あるいは、映像化された部分は小説の一部なのかもしれません。ですが、そうだとしたら、何故そんな不完全なものを映画の中にわざわざ持ってくるのでしょうか(注10)?
さらに言えば、佐原は美樹の寝姿を10年くらいにわたって撮り続けているとのことながら、何度も映画化されている川端康成の『眠れる美女』(1961年)を持ち出すまでもなく、その行為を健二が覗き見したり、健二が書く小説の中心に据えたりするのには、今やインパクトがなさすぎる感じがします(注11)。
本作全体からすると、あるいは現実の捉え難さを言いたいのかもしれません。
ただ、そうだとしても、実際には、映画のどの部分がリアル(健二の実生活に関するもの)で、どの部分がフィクション(健二の新作に関するもの)なのか、という議論を見る者に招来させるだけではないか、と思ってしまいます。
要すれば、このような構成の映画にすることでどのくらい目新しさを達成できたのか疑問に思える、ということなのかもしれません。
(3)渡まち子氏は、「ひとりよがり? そうかもしれないが、わかりやすい映画ばかりが横行する昨今、こういうモヤモヤ感(?)満載の映画で頭をひねってみるのも一興だろう」として60点をつけています。
宇田川幸洋氏は、「さまざまな謎がふきあげてきて、しかし、これはミステリー・エンタテインメントではないので、ひとつの解答は出ない。視点をかえて見ると、さまざまな模様が想像できるようにつくられている。とはいえ、終盤、いろいろな可能性を暗示しすぎて混乱をきたしているのが残念」として★3つ(「見応えあり」)をつけています。
(注1)本作の公式サイトの「Introduction」では「深淵なる魅惑の“ミステリー”」とされています(劇場用パンフレットの「Introduction」では、「セクシー・“サスペンス”」とされています)。
(注2)監督は、『千年の祈り』のウェイン・ワン。
原作は、ハビエル・マリアス著『女が眠る時』(PARCO出版:未読)。
なお、出演者の内、最近では、ビートたけしは『人生の約束』、西島秀俊は『脳内ポイズンベリー』、忽那汐里は『ペタルダンス』(DVDで見ましたが、この拙エントリの(3)で触れています)、小山田サユリは『昆虫探偵ヨシダヨシミ』、リリー・フランキーは『恋人たち』、新井浩文は『俳優 亀岡拓次』、渡辺真起子は『お盆の弟』で、それぞれ見ました。
(注3)健二が「どうしたの?何かあったの?」と尋ねても、美樹は単に「(車を)出して」というだけです。走る車の中で、さらに健二が、「喧嘩でもしたの?」、「若いのにあんな男と何日もいたら、飽きて苛つくのも分かる」、「あの人何やってる人?」、「どこに行けばいいの?」と矢継ぎ早に質問しても、美樹は答えません。やがて車がホテルキングダムに着くと、「ここにいて」と言い置いて中に入り、しばらくすると泣きながら車に戻り、さらには海岸沿いの道を走って岩山から飛び込もうとしたりするのです。
(注4)その中に、美樹とその両親と佐原が一緒に写っている写真がありますが、飯塚は、佐原については「知らない」と言います(にもかかわらず、再度会った時に、飯塚は健二に「おたく、どことなくあいつ(=佐原)に似ているよね」と言ったりします)。
(注5)飯塚は、突然、ストッキングの厚さについて話し出し、「男が好きなのは40~50デニールのもの」などと言います(「デニール」については、例えばこの記事)。
(注6)例えば、石原は、「お休み1週間ですか、羨ましいですね。奥様とご旅行ですか?」などと訊くかと思えば、また「こうした失踪騒ぎは9割方痴話喧嘩」と言いながら、「清掃員が部屋であなたとぶつかったと言ってます」とか、「佐原さんは、自分が部屋に戻った時にあなたは既にそこにいたとも言ってますが?」と訊いてきます。これに対して、健二が「そんなことはありません。信じてください」と答えると、石原は「信じてくださいと言う時は何かを隠していることが多い」などと応じます。
(注7)その食事会で健二は、健康そうな笑顔を見せ、また綾は妊娠していることが明らかな体の線を見せています。また、もう一組の夫婦が同じテーブルに着いていますが、夫は出版社の幹部なのでしょう。
なお、この場面は、本作で「DAY 1」~「DAY 5」として描かれるホテルにおけるシーンとはある程度時間が経過してからのものでしょう。描かれているレストランは、海岸のそばのそのホテルに設けられているものなのでしょうか、佐原と美樹は、またしてもそのホテルに宿泊しているということなのでしょうか、よくわかりません。
(注8)同じレストラン内に佐原を見つけ、健二はその後を追って「佐原さん?」と呼び止めますが、佐原は振り返ってニヤッと笑うだけです。
(注9)例えば、上記「注3」で触れましたが、美樹はホテルキングダムにおいてどんな目に遭遇したのでしょうか?
(注10)あるいは、単なる健二の妄想(または小説の原案)かも知れません。ですが、そうだとしたら、酷くつまらない妄想と思えるのですが。
(注11)こうした“芸術的”な作品であまりエロティックな方向に走るわけにはいかないのでしょうから、仕方がないのかもしれません(でも、上記「注1」で触れたように、劇場用パンフレットの「Introduction」では、「“セクシー”・サスペンス」とされていますし、本作の公式サイトの「Introduction」では、「“背徳的で官能的”な映像美で描く」とされているのです)。でも、綾を演じる小山田サユリの方は体当たり演技を披露しているのですが?
★★☆☆☆☆
象のロケット:女が眠る時
〔本作は「ミステリー」とされていますが(注1)、以下かなりネタバレしますので、未見の方はご注意ください〕
(1)ビートたけしの主演作というので映画館に行ってみました。
本作(注2)の始めでは、「DAY 1」と字幕が出て、ビーチパラソルがいくつも開く海岸が映し出され、子どもたちがボール遊びをしています。
海岸の直ぐ側にはリゾートホテルがあり、プールが設けられています。
健二(西島秀俊)が、そのプールサイドのビーチチェアで本を読んでいると、同じように隣にいた妻の綾(小山田サユリ)が、「ねえ、ゆっくり起き上がって、向こう側にいる二人を見て。どう見ても親子じゃないよね」と言うので見てみると、初老の男(佐原:ビートたけし)と若い女(美樹:忽那汐里)とが、向こう側のプールサイドにあるビーチチェアにいて、男の方が女の背中にオイルを塗ったりしています。
綾が「羨ましいんでしょ。こっちも塗ってもらっていい?」と頼むものですから、健二は「ああ」と言って綾の背中にオイルを塗りつけますが、綾は「冷たい!」と騒ぎます。
場面は変わって、健二と綾がホテルの庭を歩いていると、ホテルの従業員の恭子(渡辺真起子)が近づいてきて、「綾?久しぶり」と挨拶します。これに対し、健二が「いろいろよくしていただいて」と応じると、恭子は「小説読みました。どこの本屋でも山積みされていて、うちの母も絶賛してました。2作目は?」と尋ねます。それに対し、健二は、「2作目は5、6年前に書きました。今は3作目を書いているところです」と答えます。
恭子が「ご主人は小説家で、妻は編集者か」などと言い出すと、健二は、「僕はこれで」と言いながらその場に二人を残して立ち去ります。健二に向かって恭子は、「1週間、ごゆっくり滞在してください」と声をかけます。
こんな感じで、健二のホテル滞在は始まりますが、さあこれから話はどのように展開していくのでしょうか、………?
本作は、スペイン人の作家が書いた短編を中国人の監督が日本人の俳優を使って日本での話として映画化した邦画。どことなく川端康成の小説『眠れる美女』的な雰囲気を持った作品ですが、色々な事柄がぼやかされはっきりとしないまま展開されます。最後に謎が一応解明されるとはいえ、よくわからなさが後まで残り、こうした作品がミニシアターでないところで公開されているのも不思議な感じがします。
(2)本作は、見ている間は、意味がうまく把握できない映像のつながりがあるために、訳の分からない感じが次第に募ってきます。
例えば、健二が佐原らの部屋に忍び込んでベッドの下に隠れるシーンの後、台風が近づいてきて雨が降る中、健二がタクシーに乗ってホテルを出ようとすると、いきなり美樹が乗り込んでくるシーンになるのです(注3)。
あるいは、健二が後をつけた佐原と美樹が立ち寄る居酒屋の店主・飯塚(リリー・フランキー)も、健二に店の中に貼られている写真について喋った後(注4)、突然奇妙な話をし出します(注5)。
さらには、美樹が失踪したとの佐原の通報によってホテルを調べている刑事・石原(新井浩文)が、健二に対して酷く間延びした質問を浴びせかけたりもします(注6)。
ただ、ここからはまさにネタバレしてしまいますが、ラストでは、健二と佐原とが話すシーンの後、いきなり健二の新作小説のヒットを祝う食事会の場面が描かれるのです(注7)。そしてその後に(注8)、佐原と美樹が何事もなかった如く海岸を歩いているシーンが映し出されます。
ということから、本作の映像は、あるところから以降は健二の新作小説の内容となっているのでは(あるいは、そうしたものが挿入されているのでは)、と推測できるわけです。
そうであれば、前後のつながりがはっきりとつかめなかった様々の映像も小説の中での出来事ではないかということになり、それならなんでもありでしょうから余り思い悩むこともないのでは、という気になってきます。
とはいえ、仮にそうだとしても、例えば、飯塚については小説の中の話なのか、そうではなくて健二が実際に遭遇した人物なのか、などはっきりとしない点が多く残ります。
また、佐原と美樹との特殊な関係は小説の中の話なのでしょうが、それにしては美樹の行動が明瞭ではないままです(注9)。
それに元々、健二が書いている小説が映像化されるというのもオカシナ感じがします。小説とは文章で書かれるものであって、はじめから映像化されているものではないはずだからです。
あるいは、映像化された部分は小説の一部なのかもしれません。ですが、そうだとしたら、何故そんな不完全なものを映画の中にわざわざ持ってくるのでしょうか(注10)?
さらに言えば、佐原は美樹の寝姿を10年くらいにわたって撮り続けているとのことながら、何度も映画化されている川端康成の『眠れる美女』(1961年)を持ち出すまでもなく、その行為を健二が覗き見したり、健二が書く小説の中心に据えたりするのには、今やインパクトがなさすぎる感じがします(注11)。
本作全体からすると、あるいは現実の捉え難さを言いたいのかもしれません。
ただ、そうだとしても、実際には、映画のどの部分がリアル(健二の実生活に関するもの)で、どの部分がフィクション(健二の新作に関するもの)なのか、という議論を見る者に招来させるだけではないか、と思ってしまいます。
要すれば、このような構成の映画にすることでどのくらい目新しさを達成できたのか疑問に思える、ということなのかもしれません。
(3)渡まち子氏は、「ひとりよがり? そうかもしれないが、わかりやすい映画ばかりが横行する昨今、こういうモヤモヤ感(?)満載の映画で頭をひねってみるのも一興だろう」として60点をつけています。
宇田川幸洋氏は、「さまざまな謎がふきあげてきて、しかし、これはミステリー・エンタテインメントではないので、ひとつの解答は出ない。視点をかえて見ると、さまざまな模様が想像できるようにつくられている。とはいえ、終盤、いろいろな可能性を暗示しすぎて混乱をきたしているのが残念」として★3つ(「見応えあり」)をつけています。
(注1)本作の公式サイトの「Introduction」では「深淵なる魅惑の“ミステリー”」とされています(劇場用パンフレットの「Introduction」では、「セクシー・“サスペンス”」とされています)。
(注2)監督は、『千年の祈り』のウェイン・ワン。
原作は、ハビエル・マリアス著『女が眠る時』(PARCO出版:未読)。
なお、出演者の内、最近では、ビートたけしは『人生の約束』、西島秀俊は『脳内ポイズンベリー』、忽那汐里は『ペタルダンス』(DVDで見ましたが、この拙エントリの(3)で触れています)、小山田サユリは『昆虫探偵ヨシダヨシミ』、リリー・フランキーは『恋人たち』、新井浩文は『俳優 亀岡拓次』、渡辺真起子は『お盆の弟』で、それぞれ見ました。
(注3)健二が「どうしたの?何かあったの?」と尋ねても、美樹は単に「(車を)出して」というだけです。走る車の中で、さらに健二が、「喧嘩でもしたの?」、「若いのにあんな男と何日もいたら、飽きて苛つくのも分かる」、「あの人何やってる人?」、「どこに行けばいいの?」と矢継ぎ早に質問しても、美樹は答えません。やがて車がホテルキングダムに着くと、「ここにいて」と言い置いて中に入り、しばらくすると泣きながら車に戻り、さらには海岸沿いの道を走って岩山から飛び込もうとしたりするのです。
(注4)その中に、美樹とその両親と佐原が一緒に写っている写真がありますが、飯塚は、佐原については「知らない」と言います(にもかかわらず、再度会った時に、飯塚は健二に「おたく、どことなくあいつ(=佐原)に似ているよね」と言ったりします)。
(注5)飯塚は、突然、ストッキングの厚さについて話し出し、「男が好きなのは40~50デニールのもの」などと言います(「デニール」については、例えばこの記事)。
(注6)例えば、石原は、「お休み1週間ですか、羨ましいですね。奥様とご旅行ですか?」などと訊くかと思えば、また「こうした失踪騒ぎは9割方痴話喧嘩」と言いながら、「清掃員が部屋であなたとぶつかったと言ってます」とか、「佐原さんは、自分が部屋に戻った時にあなたは既にそこにいたとも言ってますが?」と訊いてきます。これに対して、健二が「そんなことはありません。信じてください」と答えると、石原は「信じてくださいと言う時は何かを隠していることが多い」などと応じます。
(注7)その食事会で健二は、健康そうな笑顔を見せ、また綾は妊娠していることが明らかな体の線を見せています。また、もう一組の夫婦が同じテーブルに着いていますが、夫は出版社の幹部なのでしょう。
なお、この場面は、本作で「DAY 1」~「DAY 5」として描かれるホテルにおけるシーンとはある程度時間が経過してからのものでしょう。描かれているレストランは、海岸のそばのそのホテルに設けられているものなのでしょうか、佐原と美樹は、またしてもそのホテルに宿泊しているということなのでしょうか、よくわかりません。
(注8)同じレストラン内に佐原を見つけ、健二はその後を追って「佐原さん?」と呼び止めますが、佐原は振り返ってニヤッと笑うだけです。
(注9)例えば、上記「注3」で触れましたが、美樹はホテルキングダムにおいてどんな目に遭遇したのでしょうか?
(注10)あるいは、単なる健二の妄想(または小説の原案)かも知れません。ですが、そうだとしたら、酷くつまらない妄想と思えるのですが。
(注11)こうした“芸術的”な作品であまりエロティックな方向に走るわけにはいかないのでしょうから、仕方がないのかもしれません(でも、上記「注1」で触れたように、劇場用パンフレットの「Introduction」では、「“セクシー”・サスペンス」とされていますし、本作の公式サイトの「Introduction」では、「“背徳的で官能的”な映像美で描く」とされているのです)。でも、綾を演じる小山田サユリの方は体当たり演技を披露しているのですが?
★★☆☆☆☆
象のロケット:女が眠る時
それは最後彼女がしっかりと妊娠しているところからでしたが。
原作、監督、配役、何かバラバラな組み合わせなのがかえって、あまり見たことにない雰囲気を出していて、ちょっと新鮮でしたが。
こちらからもTBお願いします。
なるほど、綾は子どもを欲しがっていましたから、「妻の夫に対する仕掛け」という解釈も出来そうですね。
ただ、その場合には、健二の妄想の場合と違って、ある程度実際の人間に綾の思惑どおりに動いてもらう必要があるのでしょうが。