
『I’M FLASH!』をテアトル新宿で見ました。
(1)『モンスターズクラブ』の豊田利晃監督が、今度は宗教関係の作品を制作したというので映画館に出かけてみました。
映画の冒頭は、海の中から太陽の光を捉えているような映像。
そのすぐ後のシーンでは、男女が乗っている赤い車が疾走しています。
さらには、DVDを返しに行ってくるといって家を出て、オートバイにまたがった青年の姿。
オートバイも車もどんどんスピードを上げています。
前方にトンネルが。
どうやら車とオートバイは反対方向からトンネルに接近しているようです。
そして、衝突直後の場面。
オートバイの青年は仰向けに倒れています(死んでしまったのでしょう)。
赤い車からは、カルト宗教の教団「ライフ・イズ・ビューティフル」の三代目教祖・吉野ルイ(藤原竜也)が何事もなかったように降りてきますが、車の助手席には流美(水原希子)が血だらけの意識不明状態。
引き続いて、教団本部の場面となり、そのロビーに3人のボディー・ガード(その中の一人が松田龍平の扮する新野)が集められて、秘書(板尾創路)から、教祖ルイの身の安全を守るように委託されます。
ですが、教祖ルイの方は、自動車事故のこともあるのでしょう、教団の解散を言い出します。
でもそんなことをされたら、教団関係者はたまったものではありません。
ルイの母親(大楠道代)が、秘書を通じて、ボディーガードたちに、逆にルイを殺すように依頼します。
さあ、ルイはいったいどうなるのでしょうか?
本作は、銃撃されても弾が当たらない宗教教団の教祖が登場したり(注1)、殺し屋らによる撃ち合いがあったり、またお笑い芸人の板尾創路が出演したりと、前作『モンスターズクラブ』とは雰囲気がかなり異なっていますが、やはり豊田利晃監督の作品だけあって一筋縄ではいかない感じがして、マズマズ面白く見ることができました。
主演の藤原竜也は、『パレード』や『あぜ道のダンディ』で見ましたが、純粋培養的に教祖に育て上げられるものの内に別のものを秘めている人間という役柄にぴったりの感じがしました。

共演の松田龍平は、昨年の『まほろ駅前多田便利軒』や『探偵はBARにいる』とは異なって、本作では、一匹狼然とした殺し屋を演じているところ、そして主役とも見まがう活躍ぶりを見せるわけながら、ここらあたりで本格的な主演作を見たいものです(注2)。

ヒロインの水原希子は、『ヘルタースケルター』で見たばかりですが、決して悪くはないものの、台詞が多いとその言い回しに難があるところ(前作ではモデル役だったので気になりませんでしたが)が目立ってしまう感じです。

(2)前作『モンスターズクラブ』では、爆弾男の思想が俎上に乗せられましたが、本作では、教祖ルイの言葉や新野の独白などを通して、「死」の問題が取り上げられています。それはそれで興味深いものの、映画としては、むしろ“蘇り”の物語として捉えたら面白いのではないのかな、と思いました。
教祖としてルイは、たとえば、「魂は、肉体が滅んでも滅びない。死を恐れる必要はない」などと説法するところ、他方で彼に対決することになる殺し屋の新野は、「死ぬよりも生まれる方がいい、死んでしまえばおしまい」などと語り、結局は、その新野によってルイは撃ち殺されてしまうように見えます。
ですが、その時、植物人間状態で病院のベッドに横たわっていた流美(注3)が起き上がって、窓に近づき、まぶしい太陽の光を浴びます。
これは、新野に撃たれたルイが流美となって生き返ったことを意味しているのではないでしょうか?
ただそれは、ルイが言っていたように、魂が魂として存続しているというよりも、むしろ新たに人間として生き続けているということではないでしょうか?
なんだか、ルイと新野が言っていたことの中間的が起きてしまったような感じがしたところです(注4)。
さらに、ルイが解散するといっていた教団の方も、ルイの母親は、ルイの姉サクラ(原田麻由)の9歳になる息子を4代目にしようと企んでいます。ルイがいくら教団を滅ぼそうとしても、簡単に蘇ってしまうようです(注5)。
要すれば、本作は、死が描かれているというよりも、魂もその容れ物も何度となく元のように蘇ってしまうような物語になっているように思えます(注6)。
(3)渡まち子氏は、「生と死の狭間で出会った二人の男の運命を描く「I'M FLASH」。常に死を意識した作品を撮る豊田利晃が、アクションも交え、珍しく生への渇望を見せる」として55点をつけています。
(注1)冒頭の交通事故では、助手席の流美は瀕死の重傷を負うものの、ルイは軽傷にすぎませんし、教団の外廊下で別の殺し屋から銃撃された時、いくら彼をめがけて殺し屋が発砲しても一つも当たりません。さらに、ラストの3人の殺し屋との銃撃戦においても、胸に銃弾を受けるのですが、そのまま海岸を目指して走り続け海に飛び込んでしまうのです。
あるいは、銃弾がルイを捉えているにもかかわらず、その都度ルイは蘇っているのかもしれません。
ルイは、銛で仕留めた海中の魚を食べていますが、「銛でエラを一発で仕留めた魚はストレスがないから美味い」と言います。そんな新鮮な魚をしょっちゅう口にしているせいでしょうか、母親に「若返ったみたい」などと言われます。あるいは、そんな魚を口にしているからこそ、蘇るのも素早いのかもしれません!
(注2)尤も、『悪夢探偵』は松田龍平の主演作でしたが、クマネズミは見ておりません。
また、『まほろ駅前多田便利軒』や『探偵はBARにいる』は、主演と言ってもいい位置づけかもしれませんし、本作もむしろ主演の藤原竜也を食ってしまっていると言えるかもしれません。
(注3)病室で、医者に「名前を呼んであげたら、もしかしたら反応するかも」と言われたルイは「名前なんて知らねえ」と冷たく答えますが、とにかく流美は簡単に回復する状態ではありませんでした。
なお、流美の話によれば、彼女の妹がルイの教団の信者で自殺したとのことです。あるいは、流美はその妹の蘇った姿と言えるかもしれません(流美は、「魂などどうでもいい、肉が付いている方がいい」などと、ルイの教義の反したことを喋りますが)。
(注4)ラストの3人の殺し屋とルイとの対決の場面で、真っ先にルイによって射殺されてしまう殺し屋の一人の青年(永山絢斗)も、あるいは蘇っているのかもしれません。なにしろ、すべてが終わった後、もう一人の殺し屋(仲野茂)が、「あいつと一杯やるか」と言って飲み屋に入っていくのですから(新野はその誘いを断ります)!
(注5)ルイの兄のカオル(北村有起哉)の話によれば、教壇に飾ってある1代目(祖父)と2代目(父)の頭蓋骨にも弾痕があるようです。そうだとすると、教祖は代々蘇っているのかもしれません。
(注6)こうなれば、新野が言う「人生は短い」というのとも違い、また「魂は蘇るにしても、肉体は滅びる」とするルイの説法とも違っているようにも思われます。
もしかしたら、付け焼刃で甚だ恐縮ながら、ニーチェの「永劫回帰」なのかもしれません。
★★★☆☆
象のロケット:I'M FLASH!
(1)『モンスターズクラブ』の豊田利晃監督が、今度は宗教関係の作品を制作したというので映画館に出かけてみました。
映画の冒頭は、海の中から太陽の光を捉えているような映像。
そのすぐ後のシーンでは、男女が乗っている赤い車が疾走しています。
さらには、DVDを返しに行ってくるといって家を出て、オートバイにまたがった青年の姿。
オートバイも車もどんどんスピードを上げています。
前方にトンネルが。
どうやら車とオートバイは反対方向からトンネルに接近しているようです。
そして、衝突直後の場面。
オートバイの青年は仰向けに倒れています(死んでしまったのでしょう)。
赤い車からは、カルト宗教の教団「ライフ・イズ・ビューティフル」の三代目教祖・吉野ルイ(藤原竜也)が何事もなかったように降りてきますが、車の助手席には流美(水原希子)が血だらけの意識不明状態。
引き続いて、教団本部の場面となり、そのロビーに3人のボディー・ガード(その中の一人が松田龍平の扮する新野)が集められて、秘書(板尾創路)から、教祖ルイの身の安全を守るように委託されます。
ですが、教祖ルイの方は、自動車事故のこともあるのでしょう、教団の解散を言い出します。
でもそんなことをされたら、教団関係者はたまったものではありません。
ルイの母親(大楠道代)が、秘書を通じて、ボディーガードたちに、逆にルイを殺すように依頼します。
さあ、ルイはいったいどうなるのでしょうか?
本作は、銃撃されても弾が当たらない宗教教団の教祖が登場したり(注1)、殺し屋らによる撃ち合いがあったり、またお笑い芸人の板尾創路が出演したりと、前作『モンスターズクラブ』とは雰囲気がかなり異なっていますが、やはり豊田利晃監督の作品だけあって一筋縄ではいかない感じがして、マズマズ面白く見ることができました。
主演の藤原竜也は、『パレード』や『あぜ道のダンディ』で見ましたが、純粋培養的に教祖に育て上げられるものの内に別のものを秘めている人間という役柄にぴったりの感じがしました。

共演の松田龍平は、昨年の『まほろ駅前多田便利軒』や『探偵はBARにいる』とは異なって、本作では、一匹狼然とした殺し屋を演じているところ、そして主役とも見まがう活躍ぶりを見せるわけながら、ここらあたりで本格的な主演作を見たいものです(注2)。

ヒロインの水原希子は、『ヘルタースケルター』で見たばかりですが、決して悪くはないものの、台詞が多いとその言い回しに難があるところ(前作ではモデル役だったので気になりませんでしたが)が目立ってしまう感じです。

(2)前作『モンスターズクラブ』では、爆弾男の思想が俎上に乗せられましたが、本作では、教祖ルイの言葉や新野の独白などを通して、「死」の問題が取り上げられています。それはそれで興味深いものの、映画としては、むしろ“蘇り”の物語として捉えたら面白いのではないのかな、と思いました。
教祖としてルイは、たとえば、「魂は、肉体が滅んでも滅びない。死を恐れる必要はない」などと説法するところ、他方で彼に対決することになる殺し屋の新野は、「死ぬよりも生まれる方がいい、死んでしまえばおしまい」などと語り、結局は、その新野によってルイは撃ち殺されてしまうように見えます。
ですが、その時、植物人間状態で病院のベッドに横たわっていた流美(注3)が起き上がって、窓に近づき、まぶしい太陽の光を浴びます。
これは、新野に撃たれたルイが流美となって生き返ったことを意味しているのではないでしょうか?
ただそれは、ルイが言っていたように、魂が魂として存続しているというよりも、むしろ新たに人間として生き続けているということではないでしょうか?
なんだか、ルイと新野が言っていたことの中間的が起きてしまったような感じがしたところです(注4)。
さらに、ルイが解散するといっていた教団の方も、ルイの母親は、ルイの姉サクラ(原田麻由)の9歳になる息子を4代目にしようと企んでいます。ルイがいくら教団を滅ぼそうとしても、簡単に蘇ってしまうようです(注5)。
要すれば、本作は、死が描かれているというよりも、魂もその容れ物も何度となく元のように蘇ってしまうような物語になっているように思えます(注6)。
(3)渡まち子氏は、「生と死の狭間で出会った二人の男の運命を描く「I'M FLASH」。常に死を意識した作品を撮る豊田利晃が、アクションも交え、珍しく生への渇望を見せる」として55点をつけています。
(注1)冒頭の交通事故では、助手席の流美は瀕死の重傷を負うものの、ルイは軽傷にすぎませんし、教団の外廊下で別の殺し屋から銃撃された時、いくら彼をめがけて殺し屋が発砲しても一つも当たりません。さらに、ラストの3人の殺し屋との銃撃戦においても、胸に銃弾を受けるのですが、そのまま海岸を目指して走り続け海に飛び込んでしまうのです。
あるいは、銃弾がルイを捉えているにもかかわらず、その都度ルイは蘇っているのかもしれません。
ルイは、銛で仕留めた海中の魚を食べていますが、「銛でエラを一発で仕留めた魚はストレスがないから美味い」と言います。そんな新鮮な魚をしょっちゅう口にしているせいでしょうか、母親に「若返ったみたい」などと言われます。あるいは、そんな魚を口にしているからこそ、蘇るのも素早いのかもしれません!
(注2)尤も、『悪夢探偵』は松田龍平の主演作でしたが、クマネズミは見ておりません。
また、『まほろ駅前多田便利軒』や『探偵はBARにいる』は、主演と言ってもいい位置づけかもしれませんし、本作もむしろ主演の藤原竜也を食ってしまっていると言えるかもしれません。
(注3)病室で、医者に「名前を呼んであげたら、もしかしたら反応するかも」と言われたルイは「名前なんて知らねえ」と冷たく答えますが、とにかく流美は簡単に回復する状態ではありませんでした。
なお、流美の話によれば、彼女の妹がルイの教団の信者で自殺したとのことです。あるいは、流美はその妹の蘇った姿と言えるかもしれません(流美は、「魂などどうでもいい、肉が付いている方がいい」などと、ルイの教義の反したことを喋りますが)。
(注4)ラストの3人の殺し屋とルイとの対決の場面で、真っ先にルイによって射殺されてしまう殺し屋の一人の青年(永山絢斗)も、あるいは蘇っているのかもしれません。なにしろ、すべてが終わった後、もう一人の殺し屋(仲野茂)が、「あいつと一杯やるか」と言って飲み屋に入っていくのですから(新野はその誘いを断ります)!
(注5)ルイの兄のカオル(北村有起哉)の話によれば、教壇に飾ってある1代目(祖父)と2代目(父)の頭蓋骨にも弾痕があるようです。そうだとすると、教祖は代々蘇っているのかもしれません。
(注6)こうなれば、新野が言う「人生は短い」というのとも違い、また「魂は蘇るにしても、肉体は滅びる」とするルイの説法とも違っているようにも思われます。
もしかしたら、付け焼刃で甚だ恐縮ながら、ニーチェの「永劫回帰」なのかもしれません。
★★★☆☆
象のロケット:I'M FLASH!
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