半藤一利さんと出口治明さんの対談「世界史としての日本史」小学館新書を読んだ。半藤さんは昭和史の語り部とも呼ばれ、我々の世代が学校で習うことのなかった実録の昭和史を教えてくれる貴重な存在である。出口さんは会社社長をしながら世界史を勉強された、学者も裸足で逃げ出す世界史の博学だ。
これは対談で具体的な史実はほんの一部分しか出てこないが、世界に起きていることの理解と評価にどれほど歴史を知ることが重要かを教えてくれる内容だ。そうした歴史的な教養を背景に、現代世界がどう理解評価できるかが話し合われている。勿論、結局は自分の頭で学び判断しなければならないわけだが、夜郎自大にならず、謙虚に史実を見つめることの大切さが何度も強調されている。
お二人の千分の一程度しか歴史を知らない私でも、人間社会の理解には歴史の知識が欠かせないことは十分承知している。しかるに、民主主義をどう履き違えたか、平成の世では碌な知識もないのに気に食わないと断罪非難する風潮が蔓延ってきている。民主主義というのは誰もが貴重なかけがえのない存在であることを基幹として、人様々な考え方を許容しながら、自分よりも優れた考えがあることを認めることのできる心に支えられているものだろう。
気に食わない人物や物事を非難したくなる気持ちはわからないでもないが、幅広い知識もなく、高々一刻も考えず(そうでなければ極左と判断できまい)、半藤は許せん極左だと切り捨てる人達が居ると知っておぞましく感じた。恐竜より恐い。