梅雨が明けた模様というのは味のある表現で、どうも真夏の夏空ががやってこない。折角脱皮して鳴く、短いセミの命が終わらないうちに、夏空を拝ませてやりたい。
物事はある時期が過ぎると引き返しが不可能になる。ほとんどの物事、特に不特定多数を巻き込む事案では、先のことに頓着なくというか見境なく進むのでいつの間にか後悔しても始まらないと悔悟を押し流しながら勢い惰性で進んでしまう。
今更何を言っていると言われるだろうが、ポケモンGoが出てきて遂にここまで来たかと思う。尤も私はこうしたゲームはやらないので当初から置いてきぼりなのだが、会話を奪うゲームを見ていると、こうした人達が社会の中核になったらどんな世界になるだろうと不安な気がしてくる。幸いというか残念というか自分は見ることのない世界なのだが、それこそ近未来映画のようにワンパターンで展開され、やがてAI頼りの肝心のプログラムや機器を自分では作れない、AIを崇める集団となってゆくのだろうか。人類の叡智で、それが避けられたとしても貧富や能力格差のある社会になる恐れは大きいと思う。
政治家は口を揃えて教育の重要性を説く。教育が重要なのは論を待たない。どんな教育が良いと思うかを言わないで、教育は重要と勿体ぶって言わないでいただきたい。議論が劣勢の時の切り札に使わないでいただきたい。
誰とでも話をする、結論に飛びつく前に自分の頭で考えてみる教育が大切と私は思う。